ガラパゴスからマチュピチュへ; アタカマ砂漠、アマゾン、パンタナール


ガラパゴスからマチュピチュへ

ガラパゴス

マイアミ経由、エクアドルのグアヤキルを目指した。アメリカの旅行会社リンドブラッド・エクスペディションズ(Lindblad Expeditions)のガラパゴスとマチュピチュ16日のツアーに参加したのである。

ガラパゴスもマチュピチュも魅力的ではあるが、個人旅行で行くのは不安なところであった。

リンドブラッドは良心的な旅行社として評価が高い。しかし、相当な出費になり、本当に満足できる旅になるか心配であった。

おまけにガイドブックによればガラパゴスのベストシーズンは5月ごろらしい。8月は霧が出やすいし、海も波がやや高い、そして海水温が低くシュノーケリングに快適ではないという。

グアヤキルに1泊して、ガラパゴスへ向けて飛んだ。2006年8月19日である。飛行機の中でガイドブックを見ていて、しまったと思った。

昨日、エクアドル入国のとき、入国カードの薄っぺらいコピーをもらった。税関検査の時に要るのかと思ったが、用意した税関のカードも受け取られずに外へ出てしまったので、これは用済みと捨ててしまった。

あれは滞在許可証である。少なくとも出国の時には必要だろう。とんだ大失敗である。ツアーというので、下調べ不足であったし、やはり年齢が高くなるとしくじりやすいということだろう。

いまさらしかたがない、出国のときに考えようと忘れるように努めた。

ガラパゴスの島が見えてきた。晴れた空の下、火山性の盛り上がった島のシルエットが見事である。これは良いところだ。第一印象は上々である。

待っていたポラリス号に乗船し、すぐに出航。ポラリス号はリンドブラッドが所有する船で、定員100名弱という手ごろな大きさだ。これから1週間の船旅である。

まずノースセイモア島に到着。ここでは、数頭のリクイグアナが登場した。リクイグアナは数が少なくなっているので、早速お目にかかれてうれしかった。

体長1.5メートルほどで、手足ががっちりし、ガラパゴスの売り物の1つになるだけの迫力がある。

グンカンドリの営巣地に向かうと、たくさんのグンカンドリが空を飛んでいた。尾が2股に分かれた黒い大きな鳥が空を舞っているのを見ると、空飛ぶ恐竜を連想する。

今は繁殖期で、オスの胸には、赤い袋が風船のように丸く膨らんでいた。

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アオアシカツオドリの営巣地もあった。足は水かきまで、空色である。初日から、珍しい動物達が登場して、滑り出しは快調だ。

8月20日。朝、エスパニョーラ島に到着。上陸すると、たくさんのウミイグアナが岩にへばりついていた。

ウミイグアナはリクイグアナより少し小さいが、ゴツゴツした顔がユニークで、ガラパゴスの写真によく登場する。おまけにここエスパニョーラ島のウミイグアナは黒と赤のモザイク模様で絵になる。

私はウミイグアナの良い写真を撮ろうと苦労したがなかなかうまくいかなかった。岩を背景にすると、イグアナが目立たないし、海を背景にすると光線の具合が悪いのである。

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海岸に群れているもう1つの住人はアシカである。とても小さな赤ん坊を連れたアシカもいた。血液の跡がある。

「昨日生まれた赤ちゃんだよ」
とガイド。赤ん坊は母親の乳首を求めてうごめいていた。母親はいとしそうに鼻でおして導いていた。

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私たちはガイドに率いられて、アホウドリのいる岬に向かった。この島はガラパゴスアホウドリの貴重な繁殖地なのである。途中でガイドがいった。

「ここはアホウドリの滑走路だ」
たしかにゴツゴツした溶岩の原っぱが200メートルほど崖に向かって続いている。

3羽のアホウドリが現れてヨタヨタと滑走路を歩いていった。私たちは崖に行ってアホウドリを待つことにした。高さ100メートルはある切り立った崖で、太平洋の波が打ち寄せてしぶきを上げている。

すでに2羽のアホウドリがいてたたずんでいた。飛び立つ前に休息しているのかと思ったら、互いに向き合った。そして首を上げ、首を傾け、続いてくちばしを打ち合わせた。求愛儀式である。

キョトンとした可愛らしいアホウドリの求愛儀式に私たちは引き込まれて、ずっと眺めていた。

儀式は複雑で、首を伸ばして口を開いたり、下をむいたりすることもある。カチャカチャというくちばしをたたきあう音が響いてくる。

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アホウドリは12月に島を去る。つがいは別れ別れになり、太平洋を飛びながらえさをとる。そして4月に島に帰ってくる。

この時、1万羽を超える群れの中から、連れ合いを探し出すのだそうだ。求愛儀式は、相手が連れ合いで間違いないと確認する手段とされている。

今は8月の終わり。雛も順調に大きくなっている。アホウドリのつがいにとって一息つける時である。今の求愛儀式はお互いを忘れないための儀式なのだろう。

それにしても良い場所での儀式だ。太平洋に臨む崖の上とは。私はこのアホウドリの夫婦が勝利の声をあげているように思えた。

やがて、歩いてきたアホウドリたちがやってきた。そして、崖の端でふわりと風に乗り優雅に飛び立っていった。

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午後は島のビーチを中心としたアクティビティーである。シュノーケリング、シーカヤック、グラスボトムボートと多彩であったが、私たちはまずはのんびりとグラスボトムボートにした。

寒流が流れているだけあって、魚の色は全体的に地味である。しかし、魚が大きくそして群れも巨大である。さすがに赤道直下の絶海の孤島である。

珍しかったのは長く尾を引いたブタイや紫とダイダイの筋が鮮やかなチョウチョウウオであった。

つづいてビーチに上陸してゆったり過ごした。小麦粉のようなという表現がぴったりの白くてきめ細かい砂のビーチが大きく広がり、ニューカレドニアを思い出させるほどだ。

波打ち際ではアシカが遊んでいた。妻がビデオ撮影していると、跳んでじゃれついてくるのである。

8月21日。クルーズ3日目はフロレアナ島だ。ここもアシカが多い。シュノーケリングではアシカが寄ってくるというので、試してみた。

ゾディアックから飛び込んで、岩礁の周りを泳いでいるとアシカが現れた。深みから悠然と上ってきて、近くを通ってしなやかに沈んで行く。

今度は2頭のアシカだ。お互いがシッポを狙って遊んでいるので輪を描いているようだ。そしてまた大きいアシカが通り過ぎていく。

親しげに遊びに来ないのは、シュノーケリングしている人数が多いためかもしれない。

そう思って、そろそろ皆がくたびれたころ、人々の輪を抜けてアシカのほうへ近づいてみた。予想通りアシカは、くねくね泳ぎを披露しながら超接近してきた。

セミロングのウェットスーツを着ていれば少しも寒くなく、満足できるシュノーケリングだった。

午後のウォーキングで、フラミンゴのいる池に寄った。フラミンゴの数は10数羽。ナクル湖とは比べ物にならないが、ここのフラミンゴはグレーターフラミンゴで体が大きく、ピンク色も鮮やかで、それなりの値打ちがあった。

フラミンゴは餌を食べた後、首をひねって体中を掃除していた。首を複雑にひねると背中の端のほうまで口が届くのである。

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8月22日。夜の間に船は大きく移動し、イサベラ島の北端で夜明けを迎えた。島に沿って船は南下していった。

「もうすぐ赤道を通過します。赤道には線が走っています」
ガイドが説明した。楽しいジョークだと思っていた。

しかし、へさきに居た2人のクルーが、通過の瞬間にさっとテープを張ったそうだ。傑作であるが、私は見逃し、妻から後で聞いた。

つづいて、
「このあたりにはクジラが多いですよ」
というアナウンス。

船首に集まった私たちは水面を眺めていた。突然叫び声が上がり、モラモラがいたと騒ぎになった。何人かが目撃したのだが、私はまたもや完全に見逃してしまった。

モラモラは大きな魚らしいが、多分マグロかなんかの仲間だろうと、そんなに残念でなかった。受付のデスクを通りかかるとモラモラの説明が置いてあり、図も記してあった。

なんとマンボウである。これはしまったと、水面をぼんやり眺めていたことを後悔した。

朝食後、ゾディアックに乗っての海面探索となった。私たちは2艘目のゾディアックに乗った。ゾディアックは沖に向かった。ひょっとしてマンボウが出ないかと期待したのだ。

マンボウがそんなに何度も出るのだろうか、半信半疑でいると最初のゾディアックがマンボウを見つけた。大歓声が聞こえてくる。私たちのゾディアックが駆け付けた時にはマンボウは去っていた。

急いで支度して最初のゾディアックに乗ればよかったと、また後悔した。

ゾディアックは再び沖に向かった。船頭はあきらめない積りである。ついに、それ、マンボウだとの叫びが上がった。たしかに海面から鋭くヒレが突き出している。

ゾディアックはスピードを上げ、マンボウの横へ出た。ユーモラスな短い胴体の様子も何とか分かる。船頭は、これはまだ小さいなと言った。それでも体長1メートルはあるから私は大満足であった。

それから次々にマンボウに会った。一度に2匹出たこともある。この海域にはどれだけマンボウが居るのだろう。まさかマンボウウォッチングが出来るとは思わなかった。

マンボウは深く沈まないので、背びれを目印に追跡できるのだ。数匹目に現れたマンボウは巨大なもので、船頭が
「これはたまげた」
と叫んだほどだ。

マンボウがゾディアックの前を横切り、白っぽい下半分を含めて、全体像が見えたこともある。歓声を上げる4艘のゾディアックがそれぞれのマンボウを追っかけた。

空は晴れ上がり、海はなぎ、マンボウ祭りである。

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午後になって近くのフェルナンディナ島に上陸した。トレイルを歩いて岬に向かった。溶岩流が海に流れ出して作った岬だ。

岩には実にたくさんのウミイグアナが折り重なるように取り付いていた。ここのウミイグアナは黒と灰色のぶちである。

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全体が不恰好で、おまけに頭から背中にかけて細かな櫛状の突起が乱立し、鼻から噴出した塩水は頭を白く染めている。小さな恐竜という表現がぴったりである。

岬のトレイルの真ん中にコバネウが巣を作っていた。人間を全く恐れていない。コバネウは飛ばなくなったため羽根が小さくなってしまったウである。小さな羽根をバタバタさせて、ピョンピョンと歩くのが可愛らしい。

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8月23日。朝、サンタクルス島に入港した。ここには町があり、そしてダーウィン研究所もある。

この研究所はゾウガメを繁殖して野生に返したりして、ガラパゴス諸島の自然保護に大きく貢献している。まず、ダーウィン研究所を訪ねた。

ゾウガメは島ごとに進化の方向が違い、種が分かれている。大きなドーム型のゾウガメと鞍型の甲羅を持ったゾウガメを比較して眺めることができた。

ドーム型のカメは草が多い島で進化し、鞍型のは、草が少なくサボテンを食べなければいけない島で進化したという。サボテンを食べるため首を伸ばすのに鞍型の甲羅が適しているのである。

小さなコガメが一杯いるコーナーもあった。ピンタ島のゾウガメで一頭だけ生き残ったロンサムジョージというカメは老体かと思ったが、結構元気で別の種のメスゾウガメを追いかけていた。

しかし、いつも嫌われているというので、やはりかわいそうである。

バスでハイランドとよばれる高原地帯に向かった。昼食後、ゾウガメの保護区を目指した。ここでは野生のゾウガメに会える可能性が高いという。

野生のゾウガメを見るのはガラパゴス訪問の大きな目的だったので、私たちは期待すると共に不安だった。本当にゾウガメは出るのだろうか。

ハイランドにはうっすらと霧が立ち込めていたが、保護区が近づくと、天候はさらに悪化し、小雨となった。やれやれである。

保護区の近くで車を降り、牧場のようなところへ入った。ほんの2-3分進んだところで、道の脇に丸い大きな甲羅があった。もういたのである。その先にもいる。よく見ると視界の中に数頭のゾウガメがいる。

ゾウガメは前から接近すると驚いて首を縮めると教わったので、主に後ろや横から近づいて写真を撮った。ガイドは40分の自由時間と宣言してくれた。

あちこちにカメがいるので人々は散らばってしまい、落ち着いた雰囲気だ。

私たちはとりわけ大きいカメの傍でじっくり観察した。体重200-250キログラムほどというだけあって、人間よりかなり大きい。

しばらくして霧雨もやみ、絶好の観察日和となった。妻にカメの後ろに回ってもらい、記念撮影もした。

カメは時々ゾウのような足を突っ張って立ち上がるが2-3歩歩いただけで、すぐにまた腰を下ろす。バリバリという草をかじる音が聞こえてくる。

やがて、ほとんどの人が休憩所に引き上げてしまい、私たちはあちらのカメこちらのカメと渡り歩くことが出来た。

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ゾウガメは全部で10数頭いた。あまり多いので本当に野生なのかと疑問が生じた。船に帰って、図書室で最新のガイドブックを調べた。やはり野生であり、保護区から近くの牧場にやってくるのである。

ただし、7月から12月というシーズンがある。この間は乾季であってもハイランドでは霧が発生しやすく、草がぬれているからだ。

乾燥状態では、カメは林の奥に隠れているという。そういえば、アホウドリも島にいるのは4月から12月で、しかも、つがいの求愛儀式が高揚するのは7月以降とあった。

私が日本で見たガイドブックは5月がガラパゴス観光には一番良いと書いていたのだが、正確とはいえない。

「今はガラパゴス観光の最も良いときです」
船の出発のときにツアー・リーダーが言っていた。調子が良いなと思ったが、これが本当かもしれない。

天気も、一日中快晴の場合もあるし、平地ではやたら霧がでることもない。そして、海はずっと穏やかだった。

8月24日もサンタクルス島。朝のうちに、入り江をゾディアックで探った。数匹のエイが編隊を組んで泳いでいった。

午後に、セロドラゴンと呼ばれる丘をハイキングした。ここにも何頭かのリクイグアナがいた。黄色い皮膚のどっしりしたイグアナは何度見てもよい。

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もう一つ目を引いたのは、サボテンだ。10メートル近い高さに成長し、おまけに幹のとげがはがれて、木のような肌を露出させていた。

8月25日。クルーズ7日目である。早朝、バルトロメ島に上陸。典型的な火山地形の島である。

100メートルほどのピークに登り、見下ろすと、海中から突き出した溶岩柱が見事であった。曇天で写真に適さないのは残念だったが。

朝食後、ビーチに上陸してシュノーケリング。今度は妻も一緒である。浜でアシカが遊んでいたので、近づいて一緒に泳いだ。

しばらく楽しんでいると、頭をこづく奴がいる。振り返るとオスのアシカで、あたりのボスである。

じゃれているのかもしれないが、邪魔だと言っているのかもしれない。刺激しないように、沖に向かった。

溶岩柱まで泳いで回り込むと、完全な磯になる。黒く大きな魚、橙色の小さな魚の群れ、色々な魚を楽しんで溶岩柱まで引き返すと、いた。ペンギンである。

このペンギンは巣立ったばかりのようで、表面をゆっくり泳いでいた。私たちはしばらくペンギンと一緒に過ごすことができた。

午後は近くのサンサルバドル島のハイキングである。磯にはまた、たくさんのウミイグアナやアシカがいた。天気は快晴となり、ぶらぶら歩きにもってこいである。

今日でガラパゴスの自然ともお別れと、皆、名残を惜しんでいた。

8月26日。バルトラ島に上陸してすぐに空港へ向かい、グアヤキルへ飛んだ。ここでツアーは2つに分かれた。大部分の人は帰国するが、私たちを含めて16人はペルーのリマへ飛ぶ。

いよいよ出国だ。滞在許可証がなくて大丈夫か。空港で待っていたガイドに相談すると、心配いらないと言ってくれた。

実際、係官は渋い顔をして、この書類にもう一度記入してくださいと言っただけで、何事も起こらなかった。横を見ると、ツアー仲間の夫婦も書類に記入していた。

しかし、これはリンドブラッドというブランド物のツアーのメンバーだったためかもしれない。船で読んだ最新のガイドブックには、滞在許可証がないと様々なトラブルが起こると書いてあったのだ。

ガラパゴスに入るとき、空港でパスポートチェックがあった。個人旅行で、滞在許可証をといわれたら、と想像するだけで恐ろしい。
マチュピチュ

リマで1泊してクスコに向かった。海抜0メートルから、3400メートルのクスコへ飛ぶので、高山病になりやすいという。

山は慣れているはずなのに、クスコの空港ではフラフラした感じとなった。待っていたバスに乗り、空港から聖なる谷のウルバンバに向かった。

ウルバンバは標高2800メートル。大した高さではないが、まだ少しフラフラする。弱くなったものである。

ウルバンバのホテルはソルイルナ。広い庭に花が咲き乱れ、20センチ以上もある大きなハチドリのジャイアント・ハミングバードが蜜を吸いに来ていた。

コカの葉のお茶は高山病に効くという。コカ茶をがぶがぶ飲んだせいか、単に慣れただけなのか、翌日から何事もなくなった。

聖なる谷を2日間観光して、いよいよマチュピチュに向かった。8月29日である。列車はウルバンバ川に沿って、谷を下っていった。

乾燥していた景色が次第に変わり、緑が濃くなっていった。それと共に天気も悪化し、雨となった。

列車を降りても雨は止まない。私たちはすぐバスに乗り込んで出発した。バスは切り立った山肌につけられた道をうねうねと登っていった。

マチュピチュの入り口にある、マチュピチュ・サンクチュアリー・ロッジが今夜の宿である。

ロッジで昼食を摂っている間に雨が止んだ。最後に天気に見放されたかと思ったが、どうやら何とかなりそうである。

マチュピチュの遺跡には2時半から入ると予定を聞かされていた。それまでの待ち時間がもったいない。ガイドに頼んで自由行動を許してもらった。

入り口から少し進むと、遺跡の全体が見える。
「これはすごいわね」
妻がいった。想像以上の大きさと広がりだ。

私たちは、遺跡を見下ろせる高台へと登っていった。見張り小屋まで来ると、遺跡全体が目の下である。

その向こうは円錐形に聳え立つワイナピチュ。マチュピチュの山自体も、谷から円錐として立ち上がっているのだ。

その上部を削り取って、膨大な建物を建てたのだから、使った技術とエネルギーは想像を絶する。

でも、マチュピチュを素晴らしくしているのは、周囲の山々と思った。アンデスから続く山々は、アマゾンが近づいて緑に満ちている。それが幾重にも連なり、そして遠くには白銀の峰もある。

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飽きずに眺めていると、やっとツアーの仲間が下に見えてきた。私たちは、丘を下って遺跡見物に合流した。

精巧な作りの太陽の神殿は、ここがインカにとって、とても重要な場所であったことを物語っている。

空は晴れ渡ってきて、今日の日没は期待できる。日没は5時過ぎであるから、その前にもう一度、さっき行った高台に登ろうと思っていた。

しかし、説明に時間がかかるせいか、4時を過ぎても、まだ先が長い。

私たちは、また自由行動を許可してもらい、急いでインティワタナを見た。インティワタナは日時計の役をするというが不思議な形の岩だ。ここはもう円錐状の山の縁である。

インティワタナの石はパワーを与えるという。手をかざすとジンジンとしたが、運動して手を上げれば何時もそうなるかもしれないので、はっきりしない。

急いで引き返し、高台へ登った。一番良さそうなところに陣取って、翳っていくマチュピチュを眺めていると、何人かの仲間が息せき切って登ってきた。ガイドも続いている。

私たちに刺激されて、日没を逃すなとなったらしい。仲間たちが登りきったちょうどその時、山の峰に日が沈んだ。

「やったじゃないか」
私は仲間のボブたちと喜び合った。

ツアーの仲間はわずかに移動して、夕映えを眺めていた。管理人が笛を吹いて私たちの所へやってきた。
「もう閉門時間です。下りてください」
「すみません、あのツアーのグループなので、一緒に下ります」

管理人はツアーのガイドが知り合いのためなのか、他のところへ笛を吹きながら行ってしまった。

最後に、ツアーの効果が出てきたのである。私はガイドブックの知識で閉門は5時半と思っていたのだが、実際は日没時と後で分かった。

どんどん暮れていく、マチュピチュの遺跡を眺めていて、その構築の真髄が分かった。ウルバンバ川はマチュピチュとワイナピチュの峰のあたりで大きく湾曲し、激しく大地を切り取っている。

ウルバンバ川は半円形にマチュピチュとワイナピチュを囲んでいる印象だ。自然の地形だから、実際にはデコボコがあるのだが、正面のワイナピチュの峰がそれを隠している。

そして、太陽の神殿は、ウルバンバ川の作る半円の中心にあるようだ。周囲の山々も神殿を中心に円を描いている。

マチュピチュを築いたインカの人々は、適した場所を捜し求め、壮大なプランを実行したのだろう。

自然と人工が織りなす不思議な神秘性。それはインカの人々の頭の中に生まれ、アンデスとアマゾンの接点で現実化したのである。

8月30日。マチュピチュの遺跡は朝6時に開く。私たちは開門と同時に遺跡に入り、再び高台に登った。ワイナピチュの峰にわずかに霧がかかっている。写真には絶好と準備していると霧が消えた。

しばらくすると、また霧がやってきた。こんどは濃い霧で遺跡のほぼ全体が隠れた。インティワタナの丘だけが島のように浮かんでいる。

また霧が去り、そして日が昇った。光をあびて、遺跡の石が鮮やかな色となった。

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朝食後、インティプンクへのハイキングに参加した。見張り小屋のある高台の近くから左へ折れてだらだらと登っていった。インカの人たちが交通のために作ったインカ道であるが、なんの変哲もない。

これは運動になるだけだ、と思ったとき、マチュピチュが見えてきた。やや遠いが、朝の光の下、マチュピチュの全体像がくっきりと見える。喜んで歩いていくと花が増えてきた。赤い筒状の花が多い。

そして、赤紫色のランが現れた。大きな花で、細身のカトレアといったところである。進むにつれて、ランの数が多くなった。

斜面にランが群生し、お花畑のようなところもあった。ランの花の向こうはマチュピチュである。

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幸せに歩いていくと、ハチが道の脇に巣を作っていた。そして、叫び声があがった。妻がハチに襲われたのである。手を3箇所も刺されたのだ。
「とても痛かったわ」

腫れるのが心配だった。
「大丈夫、家でミツバチを飼っていて何度も刺されたから免疫が出来ているわ」

逆にアレルギーになることもあるはずだ、と思ったが、無事であった。元気な妻である。一緒に刺されたツアー仲間の女性は肩が腫れ上がってきた。

1時間ほどでインティプンクに着いた。石造りの門で、インカ時代にはマチュピチュへの入り口だったのだろう。

インカ道はさらに、遥か山の中へ続いている。私たちはゆっくり休憩し、写真を撮った。マチュピチュはまだ見えているが、ずいぶん遠くなった。

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さあ帰るのだ。クスコへ、リマへ、そしてマイアミから日本へ。今度も良い旅だった。帰国は9月になるから、待っている仕事を考えると恐ろしい。次の旅を楽しみにがんばろう。

アタカマ砂漠、アマゾン、パンタナール

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アンデスの下に

チリのアンデス山脈の傍らに、アタカマ砂漠が横たわる。雨はほとんど降らず、地上で最も乾燥した場所の1つという。いろいろと珍しい景色に会いそうだと訪ねてみたくなった。

ほかに、南米で行きたいところも多い。そこで2004年の夏休みにアタカマ砂漠、アマゾン、パンタナールと回る計画を立てた。7月31日に日本発、3週間の予定である。

サンティアゴに入るため、ブエノスアイレスから飛んだ。しばらくは平原が続いたが、やがて前方に白い長大な壁が現れた。アンデスである。飛行機はアンデスを横切った。

次々にピークが目の下を過ぎてゆく。アンデスは幅も広いことを知った。さすがに、ヒマラヤに次ぐ山脈だけのことはある。すぐ近くを飛んだ大きい山は、南米の最高峰アコンカグアだった。

サンティアゴで1泊し、アンデスに沿って北に飛び8月2日にカラマに着いた。タクシーをやとって、アンデスのふもとの町、サン・ペドロ・デ・アタカマを目指した。ここが、アタカマ砂漠探訪の拠点となる。

ホテルに荷を置いてすぐに、ツアー会社のコスモ・アンディーノ(CosmoAndino)のデスクに行った。日本から連絡していたが、確認のためである。申し込んだ3つのツアーはちゃんと予約されていた。

午後は早速、月の谷観光である。粘土質の土が侵食され、渓谷やギザギザとした塔になっている。たしかに月面を思わせる荒れ果てた地形だ。

崖の壁面に青白く半透明な物が埋まっている。岩塩だそうだ。手でこすってから、手をなめると塩辛かった。

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夕方になって、200メートルはあろうという砂丘のふもとに到着した。この上で日没を待つのだ。素晴らしかったのは、日没の後だ。正面にそびえるアンデスの山々が赤っぽいオレンジ色の帯となって、燃え立ったのである。

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8月3日、アタカマ塩湖と高地の湖を訪ねるツアーに参加した。アタカマ塩湖の湖畔は塩で覆われている。雪道のようなトレイルを歩いて湖岸に出た。

数10羽のフラミンゴが浅い水の中にたたずんでいた。背景はアンデスの山である。場所を変えるとフラミンゴのすぐそばに行くことができた。

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フラミンゴはくちばしを水に突っ込んで、それを中心に大きく体を回していた。こうすると、えさの藻を取りやすいのだろうか。

塩湖を出発して、ミニバスは少し高度を稼いだ。標高3000メートルほどの原住民の部落につくと、ブラブラした散策が始まった。特に珍しいものはないのに、時間が過ぎていく。
「どうだい」
ガイドのビクターが聞いてきた。
「いや、この村はたいしたことないな」
早く先へ行きたくて、そう答えた。
「全部のプログラムが面白い訳じゃないよ」
ビクターがニヤリと笑った。

部落を出ると、本格的な登りが始まった。バスはアンデスに近づいていくのだ。黄色の草が滑らかな山腹を覆うようになった。黄色の花が咲いているようだ。

「この草は標高3800メートル以上に生えるんだ。ビクーニャの好物だ。ビクーニャには明日会えるぜ」
とビクター。

ビクーニャはラクダの仲間の小型の動物だ。アンデスに特有だが、数が減ってきて絶滅が心配されている。本当にビクーニャが出るのだろうか。

ミニバスは国立公園の入り口で止まった。隣の青年は腕時計のようなものを眺めている。不思議に思って尋ねてみると、高度計だと教えてくれた。今の高度は4150メートルだそうだ。

私たちはバスを降り、なだらかに盛り上がった、草の稜線を登っていった。左の眼下にはミスカンティ湖。その向こうにはアンデスの山々が立ち上がっている。

右側にはゆるやかに起伏しながら下って行く斜面が続く。そのはるか先はアタカマ塩湖だ。今までに経験したことがないほどの広大な景色である。

30分ほどしてミニケス湖が見えてきた。ミスカンティ湖より色合いが濃く、青黒い。十分に景色を楽しんでから稜線を去って、ミニケス湖に向かって下りた。

湖の周囲は白く縁取られ、塩が固まっていることが分かる。それなのに、岸から数メートルの湖中に鳥が巣を作っている。えさは何なのだろうか。

ミニケス湖のほとりで昼食を摂り、下の道を歩いて、ミスカンティ湖に出た。湖の岸はやはり白い塩の結晶である。岸に近い水面は鏡のように滑らかだ。よく見ると氷が張っているのである。

その向こうは深い青い色。湖面からは標高5600メートルの山がスラリと立ち上がる。
「どうだい」
ビクターがまた寄ってきた。
「いやー、実に素晴らしいツアーだ。驚いたよ」
感謝を込めてそう答えた。
「それは良かった。ほかのツアーは下の道を歩くだけだよ」

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この場に来れば、柔らかい草の生えた稜線を歩きたいと、皆思うはずである。それが実現できるかどうかは、大きな違いである。そして、高度に慣れるために現地人の村でブラブラしたことも、やっと分かった。

8月4日。標高4300メートルのタティオ間欠泉を目指した。夜明け前に到着するため、出発は4時半だ。数10の間欠泉が冷気の中で湯気を上げていた。

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間欠泉の種類は色々である。シューッと2メートルほどの高さに吹き上げるものがあれば、ボコボコと泉のように湧きあがるものもある。

湯は青く澄みわたり、清流のようだ。温泉になっていて、入浴できる場所もある。私たちは足だけ湯につけた。足底から熱い湯が吹き上がってきて心地よい。

間欠泉の写真を撮っているうちに、望遠つきのカメラのシャッターが下りなくなった。湯気にやられたらしい。

乾かしてみようと、日向にカメラをおいたが、すっかり忘れてミニバスに乗り込んでしまった。気がついた時には、もうミニバスは間欠泉を去っていた。ばかな失敗をしたのは高度障害のためだろうと、言い訳をした。

「帰り道にはビクーニャが出てくるぞ。ビクーニャに会わなかったら首をあげてもいい」
とビクター。しばらく走ると、いた。2頭のビクーニャが首を伸ばして、こちらを見ている。

首が長くほっそりした身体、薄茶色の毛皮そしてつぶらな瞳が愛らしい。それからも、ビクーニャは7回登場した。一度などは30頭ほどの群れである。

なだらかな高原を疾走するビクーニャを見ながら、ここはビクーニャの楽園だと思った。チリ北部ではビクーニャは標高4000メートル以上に棲む。

「この一帯のビクーニャは熱心な保護の結果、殖えてきたぜ」
ビクターが誇らしげに教えてくれた。素晴らしいことだ。

高原を下り、崖道になった。崖の中腹に緑がかったウサギのような不思議な生き物がいた。野生のチンチラだそうである。満足している私たちにビクターが寄ってきた。

「明後日は6時間かけてトレッキングする。参加しないか」
「残念だな、明日帰るんだよ」

アンデスを眺めつつ、広大な空間を歩いていくことを想像して心残りだった。予想をさらに超えて、アンデスの麓は素晴らしかったのである。

8月5日。 朝の便で着いたサンティアゴの空港は快晴で、アンデスが白銀に輝いていた。急いでタクシーを拾ってサン・クリストバルの丘へ向かった。

雲が上がってくる前のアンデスをもう一度眺めようとしたのだ。期待はかなった。市街の向こうにアンデスの6000メートルを越える山々があった。

数10キロ離れているはずなのに、山々はすぐそばから空に浮きあがっているようだった。

アマゾン川

アマゾン川はあまりにも有名だけれど、一般の旅行客が行くマナウスのあたりでは動物はたいしたことがないそうだ。それでも、この大河を一度は見ておこうと思った。

生物としてはピンクのイルカとモルフォチョウに狙いをつけた。ピンク・イルカとはアマゾン川イルカのことで本当にピンク色をしているという。

モルフォチョウは青く光沢を帯びた羽を持った大型の蝶だ。アマゾンには多いはずである。

サンティアゴからリオデジャネイロに飛び、観光の後、マナウスに向かった。マナウスのトロピカルホテルに1泊し、8月9日、ジャングルロッジであるアリウー・アマゾン・タワーズ(Ariau Amazon Towers) を目指した。

アマゾン川の支流ネグロ川を船で2時間半かけてさかのぼるのだ。支流といっても対岸ははるか向こうで、はっきり分からないほどの広い川である。

私はピンク・イルカを期待してじっと川面を見つめていた。しかし、ピンクのピの字もなかった。ガイドに聞くと、数は多いから、カヌーで細流を行くときに会えるよという。

ネグロ川から細い川に入るとすぐにアリアウ・アマゾン・タワーズ である。半ば水没したジャングルに板を張り巡らしその上にロッジを作っているのである。

桟橋にはリスザルの群れが見えた。穀物を入れたかごが置いてあり、これを目当てにやってくるのだ。

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大きなコンゴウインコもいた。一羽は青い羽、黄色い胴のルリコンゴウ、もう一羽は赤、黄、青の色鮮やかなアカコンゴウである。つるしてあるトウモロコシをかじり、森との間を行き来していた。

もっとも違う種が1羽ずついるのも妙で、どこからか連れてこられたのかもしれないと疑った。後で調べると、違法に捕獲されたインコを引き取って野生に帰しているのであった。

真っ黒なクモザルにもお目にかかったが、これはどうもロッジに定住してしまったようだ。

オフィスに行く途中で、ピンク・イルカ・ツアーという看板が目に付いた。カヌーのツアーでも会えないときに備えて、早速申し込んでおいた。

案内された部屋は湿地とジャングルに面していた。赤紫色で楕円形の大きな実をつけた木が目についた。カポックらしい。鳥がつついて実が割れると綿毛のような種が飛び散るという。

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木に這い上がったつる草には沢山の花が咲き、チョウたちがやってきていた。これはよいとモルフォチョウを待ったが、青いチョウはまったく見えなかった。

カヌーツアーまでは時間がある。水に浸かったジャングルの中に張り巡らされた板の道を歩いてみることにした。少し行くとゴーゴーというホエザルの声が聞こえてきた

。姿は見えない。水は静まり返り、鏡のように木々を写している。その像があまりに明瞭なので、写った木の幹は水中のものが見えているようだ。

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待望のカヌーツアーは3時に出発した。しばらくしてカヌーを下り少し歩くと、牧場のように柵で囲ったところがある。一同が入ったところで、ガイドが何か合図した。

ぬっと現れたのはバクであった。ガイドが差し出す葉っぱを食べている。こんなところで動物園のような経験をしても仕方がないと、私は横を向いていた。

少しは嬉しそうにしてあげるべきだったかもしれない。これは南米で会った唯一のバクになるのである。

ガイドは私のマイナス評価を挽回しようとナマケモノを探してくれたが、不成功であった。つぎにピラニア釣りになった。あちこち場所を変えたのに、ガイドが1匹釣っただけである。

これは異常な事態である。正式なガイドのクラウディオがマナウスに行っているとかで、ピンチヒッターが駆り出されたらしいが、ピラニアの居る場所も知らないのだろうか。

むろんピンク・イルカが姿を現すこともなかった。

私はすっかりあきらめて、5時に出発するというピンク・イルカ・ツアーに間に合うように帰ってくれとだけ念を押した。桟橋で待っていると小さなカヌーで原住民の男が迎えに来た。

海水パンツ1枚である。客は私たち2人だけ。カヌーが勢い良く川を渡っていると、「アッ」と妻が叫んだ。ピンクのイルカが飛び上がったという。たしかに1頭のイルカがカヌーをつけている。

時々浮き上がってブワオーと息をするが、わずかに水面から出る背中は灰色である。不思議に思っていたが、後で本を読むとピンク・イルカも背の出っ張りは灰色だと書いてあり、納得がいった。

じきに目的地に着いた。小さな桟橋があり、そこに数10匹のピラニアが積まれていた。餌付けがあるだろうとは思っていたが、このスケールには驚いた。

当たり一帯のピラニアはこのために釣りつくされたのかもしれない。

現地人のガイドと私の間に共通の言語は1つもない。しかし、ニッコリ笑って身振りをしてくれると意味はすぐ分かった。

ガイドは見本を見せると、ピラニアのしっぽを持って水に入りチャプチャプと水面を叩いた。すぐにイルカがやってきてうれしそうに口をあけて魚を食べた。たしかに、きれいなピンク色である。

イルカはガイドに胴を叩いてもらって褐色の水に消えた。すぐに次のピラニア。イルカはまた泳いでくる。これを数回繰り返してから、ガイドはやってみろと勧めた。

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私もパンツ1枚となり腰まで水に入り、ピラニアで水面を叩いた。イルカは近づいてきたが、様子が違うと思ったらしく、魚を食べずに潜ってしまった。

それでも繰り返しているうちに、イルカは大きく浮上してピラニアを取った。その後、イルカは私に慣れたのかつぎつぎに魚を持っていった。ガイドと私は交代でエサを与えた。

あんなに多いと思ったピラニアの山もどんどん小さくなった。妻はビデオ撮影に熱中した。イルカが浮いてくるのはほんの短い時間であり、良い映像をとるのは大変なのだ。

日没が迫ってきて、あたりは赤みを帯びた。でも、イルカの色はもっと赤い。ついに最後のピラニアとなり、ガイドは惜しそうにピラニアに口づけするポーズをした。

夕食の後はワニ狩りである。ガイド二人が舳先に立ちサーチライトできびきびとケダモノを探した。今度のガイド達はプロである。

たちまち高木の上にいる3匹のナマケモノをみつけた。パンダが木の上でうごめいているようだ。双眼鏡を持ってこなかったのを後悔した。

やがて現地人のガイドが水に飛び込んで1.5メートルほどのワニを捕まえた。説明の後、ワニは放たれるのだが、今日のワニは不幸であった。

ポルトガル語とスペイン語での長い説明の後、マナウスから帰ってきたクラウディオが私たちのために英語でこれを繰り返したからだ。それでもワニは勢い良く水に帰っていった。

8月10日。まずサンライズ・ツアー。朝日の昇るほんの少し前にホエザルのコーラスが始まった。地の底から湧き上がってくるようなウナリ声だ。嵐が近づいて来るようにも聞こえる。

食事の後、モーターつきのカヌーで水路を1時間ほど進んだ。木々が多様で明るい景色である。目立つのは水面から立ち上がり、藤のような形をした黄色い花をつける木である。

カヌーが接岸し、いよいよ熱帯雨林を歩くことになる。大部分の客はポルトガル語での説明のグループとなり、英語組は私と妻そして研修中のロッジ従業員一人だけ。

これにクラウディオと現地人のガイドがついてくれたから豪勢だ。クラウディオは、これはマラリアの薬になる木、これは胃腸薬の木と詳しく説明してくれた。これは合図の木。張り出した根を木で叩くと大きな音がした。

ドングリとクリの合いの子のような実も落ちていた。現地人のガイドが山刀で切ると甲虫の幼虫がいた。これをほじりだして、ライターであぶって食べる。

どうだい、とクラウディオがすすめるので頂いた。香ばしい味である。
「これは美味い。日本ではハチの子をたべるけど、似ているな」
と返事した。
「ハチの子を食べるのか」
クラウディオは顔をしかめた。

カヌーへ戻って、他の人たちが帰ってくるのを待った。現地人のガイドはヤシの葉で折り紙をしてくれた。最初は風車。つぎは釣竿と釣り糸の先のピラニア。見事なものである。

「モルフォチョウがいないね」
気になっていたことをクラウディオに聞いた。
「時期が悪いよ。今は幼虫でモリモリ葉っぱを食べている」
そうだったのか、とがっかりした。

帰り道に現地人の住居に立ち寄った。色々なお土産があり、クラウディオが吹き矢を実演してくれた。良く当たるので私は1つ買い込んだ。

午後の便でマナウスに帰り、1泊して日帰りツアーに参加した。ネグロ川とソリモンエス川が合流してアマゾン川となるところを見に行くのである。

まず、ネグロ川を横切って対岸に行きジャングルウォーク。入り口にナマケモノが1匹いた。ただし現地人の子供に抱かれている。写真を撮ると1レアルである。

ナマケモノはどこからか捕まえてきたはずなので奨励しないほうがよい。しかし、ナマケモノを抱いている7-8歳の女の子は目がクリッとしてとてもかわいい。

私は、これは女の子の写真を撮るのだと1レアル払ってしまった。ナマケモノはぼんやり、おっとりとつめの長い手を伸ばして抱かれていた。ジャングルウォーク自体は、昨日に比べれば簡単なものだった。

昼食後、合流点に行った。黒褐色のネグロ川と茶色のソリモンエス川がしばらくの間混じりあわずに平行して流れていた。境界線は直線ではなくジグザグとしている。たしかに一見の価値がある光景である。

つづいてジャナウアリー湖のオオオニバス見学である。トレイルを歩いていると突然大きなチョウがやってきた。ゆったりと鳥のように羽を動かしている。

羽の中央部は輝く青紫色である。モルフォチョウだ。あきらめていたモルフォチョウに会えたのだ。私はゆっくりと去っていくチョウを見送った。

羽の周辺部は大きく黒く縁取られている。帰国して調べて、アオタイヨウモルフォと分かった。

夕方のアマゾンを眺めてホテルに戻った。ガイドはクルーズ中にピンク・イルカが出るかもしれないといったが実現しなかった。

ジャナウアリー湖を出るとき、滑らかな水面が一瞬盛り上がった。しかしそれがピンク・イルカなのか、他のイルカなのか、それとも突然出来た波が夕日に映えたのかも分からなかった。

パンタナール

ブラジルとボリビアの国境地帯に世界最大の湿原が広がっている。パンタナールである。

オオアリクイ、バク、オオカワウソ、カピバラそして運がよければジャガーといったケダモノ、さらにたくさんの鳥が見られるという。

パンタナールは南部と北部に分かれる。交通の便が良いのは北部で、ケダモノはどちらかといえば南部に多そうだ。鳥の数は、乾季にあたる8月は、北部が多いという。

どちらに行くか迷ったが、結局、南部にある老舗のカイマン・ロッジ(Caiman Ecological Refuge Lodge)を選択した。お勧めは1週間の滞在というので、従ってみることにした。

マナウスからサンパウロ経由でカンポ・グランデに飛んだ。8月12日、空港で迎えの車に乗って、ひた走ったが、いくら行っても湿原は見えてこない。

本当にカイマン・ロッジは湿地にあるのかと心配になったころ、大きな池が見えた。ここにセントラル・ロッジがある。

空を飛んでいったのはスミレコンゴウインコですっかりうれしくなった。スミレコンゴウインコは体長1メートルで、最大のインコである。深い青色の羽が美しく、乱獲されて、絶滅が恐れられている。

このインコの保護活動のセンターがカイマン・ロッジにある。カイマン・ロッジを選んだ理由の1つは、スミレコンゴウインコを見られると考えたことであるが、それが早くも実現した。

セントラル・ロッジでトラックの荷台に乗り換えて、これから3日間を過ごすコルジレイラ・ロッジに向かった。13キロの道のりである。

すぐに、スミレコンゴウインコ3羽が木に止まっているのが見えた。半ば干上がった湿原が現れてくると、2羽のトゥユユ(スグロハゲコウ)がいた。トゥユユはコウノトリの最大種で、白い身体、黒い首と頭を持つ。

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首と胴の境には真っ赤な輪がある。堂々とした姿で、パンタナールを代表する鳥とされている。つぎは、黒色のコロコロしたケダモノが10数頭群れていた。最大のげっ歯類、カピバラだろうか。

いや、ペッカリーとよばれるイノシシの親戚だそうだ。そして、カピバラの登場。子供を3匹連れていた。遠くにはピンクのヘラサギもいる。期待どおりの動物たちである。

コルジレイラ・ロッジは広い湿原の脇に位置し、湿原に張り出した大きなデッキを備えている。チリへ向かう時の機内誌でパンタナールの記事を見た。その写真に、まさにこのデッキが載っていた。

部屋にも湿原に面したデッキがあり、私たちは水と草とその向こうの森を眺めてぼんやりと過した。

夕方になって、ガイドのオリビエに率いられて散歩にでかけた。大きな木にシラサギが集まっていた。その数は次々に増えていった。やがて日没だ。シラサギの羽が一瞬、緑色に染まった。

近くの池にはカピバラ一家が棲みついている。ドブンという水音が驚くほど大きい。帰りは迎えにきたトラックに乗ってのナイトドライブである。オリビエはライトを掲げて、道の脇を照らしている。

じきに、キツネが現れた。そして、コアリクイが見つかった。明るい茶色と黒白の身体、突き出した鼻、長いシッポとユーモラスな生き物である。コアリクイはキョトキョトした動作のあと、闇に消えた。

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夜中のロッジはまったくの静寂である。鳥とホエザルの声と共に夜が明ける。外を見たら、茶色でウサギより大きいケダモノがいた。カピバラにしてはスマートだと不思議だった。あとでオリビエに聞くとアグーチだそうだ。

8月13日朝のプログラムはウマでのパンタナール探索である。私はウマに乗ったことがない。いや、正確には、アルゼンチンの牧場でまたがったことはある。

しかし、ぎごちないのか、ウマはいやがって足を踏ん張り、動いてくれなかった。妻は阿蘇で子供たちと1時間ばかり遠乗りをするなど、経験があり大丈夫である。

私は、出発前に練習をしようと考えたが、時間がなく果たせなかった。オリビエに乗馬の経験がない、と相談すると、
「理想的よ。妙なくせがなくてよいわ」
と快活に笑い飛ばした。歩くだけであり、ウマもおとなしいらしい。

実際、ウマで行くのは快適で、何の問題もなかった。私の乗ったウマはせっかちで、前のウマに接近したがる。

あまりくっつくと、前のウマは怒ってブルブルというので、手綱で制御することだけ気をつければよい。

林を抜け、湿原と牧場の脇を通っていくと色々な生き物が現れた。空を横切るのはスミレコンゴウインコだ。

トゥユユの巣が高木の上にあり、つがいが巣を守っている。座っているのがメスだとすると、スラッと立っているのはオスだろうか。

今度は、ハナグマの群れが尾を立てて茂みから飛び出してきた。木の上から顔だけ出して覗いているハナグマもいる。歩いているのは、ダチョウの仲間のレアだ。

なんとコアリクイまで草原を進んでいた。ウマの上から見ると生き物たちがより身近に見える。

牧場では移動中のウシの群れにも会った。土煙を上げ、ひしめきあって進むウシを数人のカーボーイが必死にコントロールしていた。

ロッジに帰るため、湿原にウマを乗り入れて横断した。最初のうちはパチャパチャと水をはねている程度だったが、だんだん水が深くなってきた。

ついに、まだですか、とウマが進むのをためらうほどになった。たしかに向こう岸はまだはるかに先である。

午後はトラックに乗ってのドライブだ。カピバラが小さな子供を連れて道を横断し、池を泳いでいった。

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ピンクのヘラサギが近くにいたが、カメラを構えると飛び立ってしまった。イノシシの群れには2回も会った。

セントラル・ロッジの近くで、ホエザルを見た。声ばかり聞いたホエザルの姿は始めてである。2頭いて、黒いのがオス、茶色のがメスだそうである。

川にはカイマンが群れていた。流れの急なところに数頭のカイマンが集まり長い口を空けていた。流れてくる魚を待っているという。それにしても怠け者のワニだ。

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帰り道は本格的なナイトドライブとなった。突然、イタリア人夫妻が[止まれ!]と叫んだ。なんと林の中にオセロットがいた。

オセロットは大型のヤマネコでヒョウのような模様がある。一度は林に隠れたが、また現れてチョコンと座ってこちらを見ている。

距離が離れているせいか、やや大型のネコといった印象である。大喜びで帰っていくと、今度は車の脇にコアリクイが現れた。地面を嗅ぎまわり、時々草むらに首を突っ込んでエサを探していた。

8月14。アキダウアナ川のクルーズに参加した。トラックで川まで2時間ほどかけて飛ばしていった。途中でオオアリクイを見つけた。

パンタナールで一番見たかった動物だ。オオアリクイは長い鼻で地面をほじっていたが、車を嫌って茂みに隠れた。もう一度、現れたものの、すぐに林の奥へ去ってしまった。

アキダウアナ川のほとりでは、たくさんのカピバラが上陸していた。小型犬がカピバラに吠え掛かったが、巨人と子供の違いがあり、カピバラの大きさが際立った。

停泊していた船に乗って、クルーズが始まった。アキダウアナ川はジャガーも出ることがあるというので、私は期待して川の両岸を注視した。

しかし、大型動物は、すべてカイマンであった。水面が複雑な動きをし、オオカワウソか思うと、カイマンが顔を出すのである。

支流が流れ込んでいるところでカップルごとにカヌーに分乗した。支流を遡るのである。ホテイアオイのような水草を掻き分けて漕いでいると、妻が
「あなた、下はワニよ」
といった。

たしかに、カイマンの黄色と黒のまだら模様が見えた。カイマンはヒトを襲わないと知っていても、不気味である。このスリルが売りなのだろうか。

しばらく進むと木の上にホエザルがいた。両親に守られて子ザルが両手を伸ばしていた。

帰り道はまたナイトドライブである。長い鼻の屏風のようなケダモノを見つけて、止まれと叫んだ。じっとしていたオオアリクイであった。

フサフサしたシッポも体の一部のように見え、特に巨大に感じたのである。一瞬、バクかと思った。そのままセントラル・ロッジまで行き、バーベキューの後、再びドライブして帰った。

途中で、また、オセロットが現れた。妻はビデオ撮影を始めた。イタリア人がこれは宝物だと、昨日撮影したオセロットのビデオを見せてくれて、うらやましく思っていたところだったのである。

今日のオセロットは長い間、優美に歩いてくれた。妻は
「よし、大丈夫」
といった。私は半信半疑だったが、後で見たビデオには肉眼よりも良いほどにオセロットが写っていた。私たちも宝物を手に入れたのだ。

8月15日。朝早くロッジの近くを散歩した。もうこのロッジとお別れと思うと名残惜しかったのである。ピンクのヘラサギが近くにいて、はじめてちゃんと写真を撮れた。

朝食後、トラックに乗ってセントラル・ロッジに向かった。その近くのセダ2ロッジに4泊となっている。途中でトレイルを歩いた。しばらく行くと、ソテツのような木にサルがいた。

ノドジロオマキザルである。オマキザルは木の実をうまく取り外して食べていた。

セントラル・ロッジの周辺は便利が良いが、湿原の只中という雰囲気ではコルジレイラ・ロッジが勝っている。

もっとも、1週間滞在だと2箇所のロッジに泊まれるシステムで、人気のあるコルジレイラにも泊まれたらしいから、幸いだったと思わなければならない。

8月16日。朝はトラック・サファリ。トゥユユが湿地の地面をつついていた。掘り出したのはヘビであった。ヘビは必死に抵抗し、トゥユユのくちばしに巻きついた。

しかし、トゥユユは歩きながら、くちばしを振って、ついにヘビを飲み込んでしまった。さすがに、パンタナールの鳥の王である。普通でもふくらんでいるトゥユユの首がより太く見えた。

平原に出ると乾季を象徴するという、イペの花が咲いていた。高木に、ピンク色で、小さな花が無数についているのだ。繊細だけど巨大なモモの木という風情である。

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ナイトドライブではオオアリクイが近くに登場した。場所はロッジからそれほど遠くない平原である。

しかも1頭を見て少し行くとまた1頭が現れるのである。なんと5頭のオオアリクイが出現して、すっかり驚いた。オオアリクイの集会でもあるかのようだ。

私たちはそれまで、短い時間しか見られなかったオオアリクイをじっくり観察できた。細い首を伸ばしてエサを探しているのだが、白く太い前足が頭のようにみえる。シッポはどう見ても胴体のようだ。

不思議な生き物である。妻は、今度はオオアリクイの撮影に成功した。

8月17日。スミレコンゴウインコはセントラル・ロッジの周辺で必ず見ることができる。さすがに、保護活動の中心地だ。

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朝はカップルの写真を撮ろうとじっくり構えた。面白かったのはディスプレイと呼ばれる求愛行動だ。2羽は少し離れて、別の木の枝に止まったのだが、1羽がもう1羽の近くの枝へチョンと移った。

そして、枝を滑るように降りて接近した。それからアラアラと鳴きかわしたり、羽を広げあったりした。

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スミレコンゴウインコの保護センターも訪問した。センターの人たちは保護の重要性を訴え、密猟防止を呼びかけ、巣箱をかけ、自然の巣穴を掃除したのだ。

その甲斐があって、スミレコンゴウインコの数は増えているという。今、野生のスミレコンゴウインコの数は6500、そのうち5000はパンタナールにいるそうだ。

保護に協力した団体としてWWFと共にトヨタの名もあった。日本人としてうれしかった。

午後は再び乗馬である。ほこりっぽい道でがっかりしたが、牧場に入るとのんびりしたコースとなった。遠くをアルマジロが歩いていた。

そして、スミレコンゴウの繁殖地という林を通った。大木の洞に作られた巣から1羽が顔を出していた。スミレコンゴウは、私たちを警戒してアララアララと声を張り上げていた。

8月18日。最後にもう一度アキダウアナ川のクルーズに挑戦した。ひょっとしてオオカワウソかバクと夢をかけたが、見えたのはカイマンだけであった。

オオカワウソは2,3年前まではセントラル・ロッジの近くの池にもいたのだが姿を消したのだそうだ。バクは雨季になるとマンゴーの木に寄ってくるので必ず見られる。乾季の今は林の奥に潜んでいるとのこと。

夜はまたバーベキュー。大きな串に牛肉の塊を刺し、火であぶって焼いたものをカウボーイたちが持って回る。いくらでも切り分けてくれるから、うっかりすると食べ過ぎてしまう。

香ばしい肉にかじりつき、赤ワインも十分に飲んだ。明日はサンパウロに出てロス経由で帰国である。オオカワウソとバクは残念だったが、それ以外は申し分のないパンタナール経験だった。

こんな僻地で、トラブルもなく1週間楽しませてくれたとカイマン・ロッジに感謝した。