エンドグリコシダーゼ


エンドグリコシダーゼ

卵の白身から卵アルブミンを結晶化し、プロテアーゼでズタズタにして、わずかに残っている糖部分、すなわち糖ペプチドを得る。ホラ貝のカラをたたき割って臓物を取り出して、その抽出液を卵アルブミン糖ペプチドに働かせ、遊離してくる糖をペーパークロマトグラフィーで分離する。

これが1964年頃の私の実験だった。当時の東大理科II類では多様なコースを選択できた。医学部へ進んで基礎医学を研究しようとぼんやり思っていたのだが、進学説明会で遺伝情報の話を聞いてすっかり気が変わり、出来たばかりの理学部生物化学科を選択した。

クラスの仲間は8人という少人数教育だった。藤井義明さん(現・東北大理・名誉教授、筑波大・客員教授)、芳賀達也さん(現・東大医・名誉教授、学習院大・教授)、佐藤尚武さん(前・三菱化学生命研)、河井貞明さん(元・東大医科研・教授)などと共に学んだ。生物が好きで選んだコースのはずだったが、学部で化学の講義を聞き、化学的な実習をするうちに私はすっかり化学にはまってしまった。

手段こそ全てという気がしてきたのである。演習では「シアル酸の構造が決まった過程を述べよ」というテーマを選び、ケミカル・アブストラクトを片端から引いた。

修士課程では、腕さえ磨くことができれば、テーマは何でも良いと思っていた。指導教授の江上不二夫先生が「ホラ貝の複合多糖分解酵素の研究」を持ち出されたので、すぐに従った。江上先生はリボヌクレアーゼT1の発見で有名だったが、これから複合多糖が重要になると予言されたのだ。

複合多糖にはグリコサミノグリカンもバクテリア多糖も入る。先生は何を対象にしても良いとおっしゃったのだが、さすがに少し考えた。ヒアルロニダーゼや、リゾチームといった有名な分解酵素がある多糖は敬遠して、当時、研究が遅れていた糖タンパク質の糖部分を対象にすることにした。糖タンパク質の糖鎖に働く酵素としてはノイラミニダーゼくらいしか確定していなかった。

ホラ貝の「酵素」は幸い卵アルブミン糖ペプチドに作用した。ただ検出される産物は単糖ばかりで、条件を変えてもオリゴ糖はつかまらなかった。リボヌクレアーゼのように鎖を内側から切ってくれたら良いのにな、と思った。酵素反応はゆっくりしか進まず、オーバーナイトインキュベーションが必要だった。

修士論文の審査の時、「江上先生、あれは本当に酵素ですか」と聞かれた先生がいらっしゃったらしい。それでも無理して英語の論文を書いたら、Annual Review of Biochemistryが取りあげてくれて、うれしかった。

そのころ、糖タンパク質の糖鎖に働く酵素の研究はやっと海外でも進み始めていた。そして、肺炎双球菌からβ-ガラクトシダーゼやβ-N-アセチルグルコサミニダーゼが精製されて、これが糖タンパク質に働くと報告された。

これらの酵素はp-ニトロフェニル-β-N-アセチルグルコサミニドなどの低分子基質に働くので活性測定が楽である。薄めた酵素液で、15分の反応で十分に活性が測定できるから、いかにも酵素らしい。私も見つけた酵素活性が、低分子基質にも働くと仮定して研究してみることにした。

そのため、いくつかの基質を合成した。そして、p-マンノシダーゼ、β-マンノシダーゼなどを精製し、卵アルブミン糖ペプチドにα-マンノシダーゼが働くことを確かめた。ところが、喜んでいるとナタマメのα-マンノシダーゼの論文がJBCに出てがっかりした。

それでも精製する酵素の種類を増し、また、「ホラ貝はまずい」との声に応えてサザエも対象にし、幅広く研究を展開できた。

修士課程の時は一人で研究していたのだが、博士課程後半には、飯島康輝さん(現・三共)、福田穣さん(現・Burnham研・部長)、福田道子さん(同)なども仲間に加わり、糖グループが形成された。

やはり、糖グループに参加した西郷薫さん(現・東大理・名誉教授)は脳のコンドロイチン硫酸に過硫酸化構造を見つけた。また、有馬輝勝さん(現・鹿児島大医・名誉教授)は脳の糖ペプチドに硫酸基を見出した。

しかし、30年以上を経て、これらのことが私達の研究に再び関わってくるとは、まったく予想できなかった。なお、海産巻貝のグリコシダーゼは今でも生化学工業から市販されているし、複合多糖の研究にいくつかの局面で役立っている。

博士課程での研究のかたわら、私もやっとまじめに将来の研究について考え、生物学関係の本を読んだ。そして、発生学と免疫学に心惹かれた。いずれにおいても細胞間認識が重要である。

細胞間認識に関わる分子、しかも、できれば糖タンパク質を研究し、細胞表面分子識別による機能調節に切り込もうと決心した。現場に飛び込むため、大学院を卒業したら渡米することにした。

そしていくつか応募した中で、最初に良い返事をくれたアルバート・アインシュタイン医大のS. G. Nathenson 博士の研究室に参加した。Nathensonはマウスの主要組織適合性抗原(MHC)クラス I 分子であるH-2抗原を精製し、これが糖タンパク質であると報告していた。

MHC クラスI分子は同種間移植の拒絶に主要な役を果たし、しかも免疫現象に重要であると報告されていた。MHCが、T細胞受容体複合体の成分であることが分かる10年以上前のことであった。ABO式の血液型抗原は糖である。私はMHCの抗原エピトープ、そして免疫機能に働くドメインは糖であろうと推測したのである。

希望に満ちてニューヨークで実験を始めたのだが、予想はことごとく外れた。海産巻貝、あるいは他の起源のグリコシダーゼをふりかけても、H-2抗原はピンピンしていた。そして、H-2抗原糖ペプチドに抗原活性はなかった。

私はボスに「H-2はタンパク質抗原ですよ」と話していた。ところが、ある国際学会でヒトのMHCクラスI分子(HLA)が糖を決定基とするとの報告が飛び出した。そのグループは続いてNature のArticleに同じことを発表した。

さすがにボスはびっくりしたが、糖の素人がおちいる穴に彼らは、ハマったのだと納得させた。ボスはそのグループの一人をセミナーに招き、私のロジックをぶつけて勝利を収め、上機嫌を回復した。

仕事はドラマチックには進まなかったものの、アルバート・アインシュタイン医大は良い所だった。Hary Eagleは細胞培養となるとほとんどの人がお世話になるEagle培地(Minimum Essential Medium)を開発した人である。

彼がChairmanのCell Biology Department はことに進んでいた。Eagleは30代の若手を招き、つぎつぎに独立させ、「分子細胞生物学」の研究を展開させた。そして、J. MaizelによるSDS-PAGEの発明、D. Summers によるポリオウィルスタンパク質前駆体の巨大タンパクの発見という成果が上がっていた。

Eagle一派は、当時としては新しい、細胞培養の手法にアイソトープラベル法を組み合わせて快進撃を続けていたのだ。Nathensonもその手法を採り入れていた。間接免疫沈降法の実際的手技も彼等が開発したといって良いだろう。そこで私もH-2抗原の糖をアイソトープラベルして解析した。

1971年のある日、肺炎双球菌のグリコシダーゼをH-2糖ペプチドに作用させたら、オリゴ糖のような産物がつかまった。ひょっとして、糖鎖を内側から切り出すエンドグリコシダーゼが混入していたのだろうか。当時、糖タンパク質に働くエンドグリコシダーゼはまったく見つかっていなかった。

江上不二夫先生は「予想外の結果が出たら喜びなさい」と機会を捕らえてはおっしゃっていた。これは予想外の結果なのだろうか。本当にエンドグリコシダーゼとすれば、かなりの発見かもしれない。

私はボスの所に飛んでいって、夜に片手間の実験をする許可をもらった。次に、M. D. Scharffの所へ走った。彼はIgGを生産するミエローマ細胞を大量に培養していた。この先、実験を続けるにはH-2糖ペプチドでは量が少なくて限界が見える。

MHCや免疫グロブリンがIgスーパーファミリーを形成することはもっと後で分かることであるが、実験を進めている私達にはIgGとMHCが糖を含めて類似していることが予感されていた。Scharffは気軽に引き受けて、滅菌したシリンダーに300 mlほどのミエローマ細胞の懸濁液をドボドボと移して渡してくれた。

これにアイソトープ標識の糖を入れてIgGを生合成させた。ここから得たアイソトープ標識糖ペプチドを使って、1ヶ月ほどの実験で結論が出た。肺炎双球菌の酵素はIgGの糖鎖の根元の所、すなわちジ-N-アセチルキトビオース構造(キチンの基本構造)を切断し、マンノース含有オリゴを遊離したのである。

幸い、投稿したJBCの速報は受理された。Nathenson は糖タンパク質のシンポジウムでこのことに触れ、人々は驚いて迎えてくれた。

アメリカ4年目に入った私はMHCの研究を続けると共に、エンドグリコシダーゼを細胞膜糖鎖の解析に利用することをはじめた。同期のポストドクで、もう助教授として独立していたPaul Atkinson, Costante Ceccarini両博士と共同研究を開始したのである。

CostanteはEagleの直弟子であり、彼らから 抗生物質を使わないEagle 流の厳しい細胞培養法を体得することもできた。いくつかの面白そうな結果が得られたが、特に心に残っていたのは糖鎖のがん性変化であった。

Warrenらは繊維芽細胞を癌化させると糖タンパク質の高分子量糖鎖が増加することを発見していた。彼らは「がん細胞の糖鎖はシアル酸が増加しているためである」といっていた。ところが、私がシアル酸をはずしてみても、大きさの差は残った。

エンドグリコシダーゼを使った解析で、糖鎖の内側の構造に差異があると分かったのだが、その実体は不明のままだった。

4年間住んでいたニューヨークを後にして、帰国した。神戸大学医学部第一生化学の教授に着任された木幡陽先生(現・東大医科研・名誉教授)がエンドグリコシダーゼの仕事を日本で発展させたらと持ちかけて下さったのである。

木幡先生は米国生化会でいつも冴えた発表をしていらっしゃり、憧れていた大先輩であり、大喜びで神戸へ向かった。木幡先生は糖鎖研究に変革をもたらされた方であるが、NaB3H4で糖鎖を、また14C-アセチル化でペプチド部分を標識する発想を持たれるなど、私の研究にとっても極めて重要な示唆を与えられた。

私は、早速、肺炎双球菌のエンドグリコシダーゼの精製と特異性決定に取り込み、小出典男さん(現・岡山大医・教授)と共にこの課題を達成した。酵素は、複合型のアスパラギン結合型糖鎖の外側の糖(シアル酸、ガラクトース、N-アセチルグルコサミン)を取り去った核構造に働くのである。

酵素をエンド-β-N-アセチルグルコサミダーゼD(エンドグリコシダーゼD、略称Endo D)と命名した。教室では田井直さん(前・東京都臨床研・部長)と山下克子さん(現・東工大・教授)が卵アルブミンの糖鎖構造を解明され、Endo D の特異性はより明確となった。

Endo Dの発見から一年後、TarentinoらはEndo Hを発見した。私は荒川美登璃さんと共にEndo DとEndo Hが基質のマンノース核構造について厳しい特異性を持ち、しかも相互に相補的とも呼べる特異性を示すことを見出した。

教室の伊藤節子さんはClostridium perfringensに特異性の異なる2つのエンド-β-N-アセチルグルコサミニダーゼを見出した。

私たちのエンド-β-N-アセチルグルコサミニダーゼに関する成果は、糖タンパク質研究にかなりの影響を与えたと思われる。まず、糖鎖を大きく切り出す酵素に関心が集まった。

ステムブロメラインの糖鎖研究をされていた高橋礼子先生(現・名市大・名誉教授)がグリコアミダーゼ(N-グリカナーゼ)を最初にアーモンド・エムルシンで発見された時、討論したのも楽しい思い出である。

また、糖鎖プロセシング研究への寄与がある。アスパラギン結合型糖鎖の生合成においては高マンノース型糖鎖が切り縮められて、複合型糖鎖の母核が形成される。

このことが、1977年に3つのグループから報告された時、いずれのグループも、私たちが見出したエンド-β-N-アセチルグルコサミニダーゼの特異性の違いを利用していたのである。

神戸では、中途半端な結果に終わっていた糖鎖のがん性変化についても研究が進んだ。 Endo Dの他に、もう一つの手段を得たからである。尾形俊一郎さんと共に14C-アセチル化した糖ペプチドを用いて、コンカナバリンA-セファロースの糖結合特異性を明らかにしたのである。

マンノース母核からの分岐の数によって結合、非結合が分かれるのだ。そこで、正常繊維芽細胞とポリオーマウィルストランスフォーム繊維芽細胞の糖鎖をこの方法で比べ、がん化に伴ってN-アセチルグルコサミン分岐の数が増えると結論した。論文は1976年にNatureにすぐに採択された。

その後、山下克子さんらは研究を進めN-アセチルグルコサミンの1-6分岐が重要なことを明らかにした。今日、この方向の研究はさらに進んでいる。

私達は、また、増殖時の細胞は非増殖時の細胞に比べて、高マンノ−ス型糖鎖が多いことを見つけた。糖鎖プロセシングが明らかになると、これは増殖時の細胞は生合成中間体が多いという一般原則で理解されるようになった。

Endo Dを発見した時、Endo DはIgGそのものにも働くと報告していた。Williamsらは早速、未精製のEndo DをIgGに作用させFc部分の機能が損なわれると発表した。しかし、未精製の酵素を使ったため、つじつまの合わない所もあった。

1977年、私達は、ノイラミニダーゼ、β-ガラクトシダーゼ、β-N-アセチルグルコサミニダーゼと共にEndo DをIgGに働かせ、大部分の糖鎖を除去した。その結果、補体結合能や単球結合能が大きく低下し、Fc部分の機能保持に糖鎖が重要なことが確定した。

今日でも未変性の糖タンパク質から複合型の糖鎖を除くには、やはりEndo Dと3種のエキソグリコシダーゼのカクテルが最も有効である。名大時代、教室の村松壽子さん(前・名大医・疾患モデル解析学部門・准教授、現・愛知学院大教授)と立久井宏さん(現・日立メディコ)はEndo Dをクローニングし、発現させた。

この論文を見て、いくつかの見知らぬ所から「糖鎖除去にEndo Dを使っているので」とDNAを請求され、自分たちの考えが裏付けられた。Endo Dは分子量180 kDaで、発現にはやや苦心を要する。しかし、山本智史さん(現・千葉大医)と村松さんは100 kDaの短縮型でも同様な活性を示すことを明らかにした。今後の利用が、楽になるであろう。

エンドグリコシダーゼは名大でも研究室のホットなテーマとなっていた。後で述べる胚性細胞の巨大糖鎖であるエンブリオグリカンを研究していて、村松さんはGal1-3Galをエンブリオグリカンから遊離する酵素をClostridium perfringensの培養液に見出した。

富宿紀夫さんと村松さんはこの酵素を精製して、エンド-β-ガラクトシダーゼC(EndoGal C)と名付けた。EndoGal Cは糖の構造研究に役立ったが、より大きな展開が待ちかまえていた。名大・二外科の高木弘教授(当時)との異種移植についての共同研究が持ち上がったからである。

移植臓器の不足を補うべく、ブタからヒトへの移植が計画されている。この時、第一に障害になるのはブタに存在するGalα1-3Gal構造で、この異種抗原に対してヒトは抗体を持ち、補体依存性の細胞障害を引き起す。これは超急性拒絶反応と呼ばれる。

二外科の片山明男さんや長坂隆治さんらが教室に参加し、異種抗原を抑える工夫をこらした。研究が軌道に乗ったところで、ユニークな戦略を立てた。EndoGal Cはまさにこの異種抗原を切断するので、これをクローニングして利用することにしたのである。

小川晴子さん(二外科、現・帯広畜産大・准教授)、村松さん、小林孝彰先生(二外科)を中心としたチームで研究を進めた。EndoGal Cの部分アミノ酸配列に基づいて酵素をクローニングし、大腸菌で発現させた。この酵素はブタの摘出腎に低温で作用させると、たしかにα-ガラクトース異種抗原を除去してしまったのである。

大西彰先生(生物資源研)のグループと二外科が共同でクローンブタ作成の技術を用いると、さらに研究が進んだ。EndoGal Cを発現するようにした細胞から出発して、この酵素を恒常的に生産しているクローンブタが得られた。

このブタは-ガラクトース異種抗原をほぼ完全に失っていた。α-ガラクトース異種抗原を除くためには、これを作るα-ガラクトシルトランスフェラーゼをノックアウトすることが王道とされていたが、違う可能性が浮かび上がったのである。しかし、わずかに残った抗原のため、その後はかばかしい進展はなかった。いっぽう、この酵素遺伝子を発現するトランスジェニックマウスを作製した渡部聡先生(生物資源研)との研究では予想外の展開があった。TGF- β- シグナル系においての糖鎖の新しい役割が提示されたのである。

(2004年1月記、2009年8月、2011年3月一部追記、村松 喬)