エンブリオグリカン


エンブリオグリカン

エンドグリコシダーゼの仕事が一段落すると30代半ばになっていた。細胞表面分子識別の研究を本格的に再開するためにはどうすれば良いだろうか。主任教授の木幡先生に相談すると、一年間、海外へ出かけて良いとおっしゃって下さった。

喜んで、発生の研究をしようと思った。シュペーマンによるオーガーナイザーの研究などの結果、分化誘導のメカニズムが大きな謎として立ち現れていた。題材はテラトカルシノーマの幹細胞(embryonal carcinoma細胞、略称EC細胞)と決めた。EC 細胞はシャーレの中で三胚葉性の分化を遂げるのである。その後に開発されたES細胞の出来の悪い兄貴のような細胞である。

また、いくつか手紙を書いた中で、パスツール研究所のFrançois Jacob教授から熱意あふれる返事を頂いた。JacobはMonodと共にオペロン説でノーベル賞をもらったが、そのころは分化の謎を解こうとEC細胞とマウス胚を中心に陣を布いていた。

1977年、参加したパスツール研究所のJacob研究室にはGabriel GachelinやRolf Kemlerなどがいた。そして、Jacobはほとんどの間、研究室を離れず、データに一喜一憂して、研究にかける情熱は昔と変わらないのだと思わせた。良いデータが出ると「そうだ。そいつを握りしめて離すな」と激励した。

私がねらったのは、分化途上の細胞の細胞膜糖タンパク質を加えて、EC細胞の分化を誘導したり、分化方向を変えることだった。しかし、糖タンパク質の調製方法を種々に変えても良い結果は得られなかった。

JacobたちはMHCクラスI分子の胎児型と考えられたF9抗原を解析中だった。協力して、H-2抗原研究の手法をF9抗原に応用したが、これも明確な結論に達しなかった。そこで、アプローチを変えてみた。アイソトープ標識法で、EC細胞の細胞膜糖タンパク質の糖部分を解析した。

驚いたことに、EC細胞には分子量1万かそれ以上の、糖タンパク質結合糖鎖が多量に存在したのである。がん細胞の高分子量糖鎖は分子量4,000くらいである。あまりに妙な結果なので、いろいろと間違いの起こる理由を消していった。

ついに、用いたトリチウム標識フコースがフランス産だったので、「たしかにフコースかどうかチェックする」といったら、フランス産にけちをつけられたと思ったのか、Gabrielは「お前は自虐的だ」と怒った。どう確めても高分子量糖鎖の存在は間違いなかった。

EC細胞の分化に伴ってこの糖鎖は消失していった。マウスの初期胚もこの糖鎖を多量に持ち、胚発生の進行と共にやはり高分子量糖鎖は消失した。こうして、発生初期の細胞は特徴ある高分子量糖鎖を持つことが分かったのである。

福田道子さんから提供していただいたエンド-β-ガラクトシーダーゼを用いた解析で、この糖鎖はポリ-N-アセチルラクトサミンに属することが判明した。ポリ-N-アセチルラクトサミンとはガラクトースとN-アセチルグルコサミンがGalβ1-4GlcNAcβ1-3と繰り返した構造であり、今日では様々な分子量のものがあることが分かっている。

そのころ、高分子量のポリ-N-アセチルラクトサミンが赤血球膜に見出され、エリスログリカンと呼ばれた。エリスログリカンはABH

血液型抗原を担っていた。しかし、EC細胞のポリ-N-アセチルラクトサミンはABH血液型抗原を持たなかった。代わりに、いくつかの初期胚細胞のマーカーがその上に存在していたのである。Lotusのフコース結合タンパク質(LTA)の結合部位、そしてピーナッツ凝集素(PNA)の結合部位がそうである。

何とF9抗原もこの糖鎖が担っていた。そして、EC細胞の良いマーカーと考えられたSSEA-1抗原も同様であることも後になって分った。私達はEC細胞や初期胚の高分子量ポリ-N-アセチルラクトサミンをエリスログリカンと区別するためにエンブリオグリカンと呼んだ。
一年間のパスツール研究所での研究を終えて帰国した。私はEC細胞の細胞膜糖タンパク質、ことにその糖鎖であるエンブリオグリカンについて系統的に研究しようと決心した。発生初期に糖鎖パターンの大きな変化があるのだから、糖鎖が発生の進行に重要な役を果たすに違いないと考えたのである。

まず、テラトカルシノーマの研究を自前でできるようにしなければならない。テラトカルシノーマの移植に使う129/slcpマウスを金沢大学のがん研から頂いてこれを殖やし始めた。そして一方ではEC細胞の維持や分化の条件整備も開始した。

研究生活への復帰を願っていた村松さんが大きく協力してくれた。しかし作業は難航した。たとえば、動物飼育の条件が悪く、129マウスがなかなか殖えないのである。ケージ洗いを含め、すべて自力で進めたのであるが。やっと光が見え始めた頃、神戸大学医学部に実験動物棟が新設され、事態は好転した。

研究面では、レクチンを採り上げた。パスツールでは、N. Sharonとの共同研究が行われていて、LTAやPNAの結合部位がEC細胞のマーカーとして利用されていた。しかし、全体像が分らないので、病理の渡辺信先生(現・神戸大医・名誉教授)に共同研究をお願いして、レクチン結合部位の成体臓器での分布を調べた。

また、他にも良いレクチンがないかと検索して、ドリコス豆のレクチン(DBA)に巡り会った。FITC標識したDBAは、EC細胞の一つであるF9細胞をピカピカと染めたのである。奥村康先生、葛西正孝先生との共同でDBA結合部位はPreT細胞や、ある種の白血病細胞のマーカーになることも分かった。

テラトシカルノーマの研究に正面から取り組むためには、研究室を持たなければならないことは明白だった。幸いなことに1980年鹿児島大学医学部に新設された生化学第二講座の教授に採用された。もっとも予想に反して教授の他の教官定員は一人だった。

そこで、阪大蛋白研の佐藤了先生の所で良い仕事をした小澤政之さん(現・鹿児島大医・二生化教授)に助手として来て頂いた。さらに、村松さん、そして大塚製薬を辞職して加わった宮内照雄さん(前・日本抗体研究所・副所長)の2人の有志、そして秘書の佐藤久美子さんと、長く教室を支えた人達が集まり、半年ほどでそれらしい形で出発することができた。

まず神戸から129マウスを輸送した。既に1000匹を超える数になっていたが、鹿児島大学側は驚きながらも場所を確保してくれた。研究室は既設講座と同じスペースが確保されていた。新築されてから5年しか経ていないという良い条件だった。

キャンパスからは真っ青な錦江湾を望むことができ、ロマンチシズムをかき立てられた。とはいっても、ゼロからの出発だから機械をどうそろえるかが問題であった。相当な無理をして、最低必要なものは取りあえず運び込んでしまった。

一年後、一般Bとがん特別研究のお金が共に頂けたうれしさは今でも忘れられない。ディープフリーザーとか分光光度計とか、後回しにしたものも何とかなったのである。

科学研究費と共に、大塚製薬からの奨学寄付金にも大変お世話になった。フランスから帰った直後、先輩の三井宏美先生が、大塚グループに属する日本抗体研究所の足立正一社長を紹介して下さった。足立さんは私たちの研究に大きな興味を持って下さったのである。

そしてテラトーマ研究会を作りなさいとすすめられた。研究会の相談に、三島の遺伝研を尋ねた時は、雪をかぶった富士が白刃のように見えた。松代愛三、森脇和郎、野口武彦、井川洋二の先生方と研究会を作った所で、鹿児島行きが決まった。

足立さんは「先生、お祝いをしましょう」とテラトーマの国際会議を開くことを提案された。私はすぐにGabrielと相談してDavor Solter, Gail Martin ら、その領域のトップを招くことにした。1980年の10月、京都国際会議場で開かれた国際会議は盛況だった。

テラトーマ研究会はその後も10年以上続いて、毎年研究会を開いた。そのいくつかは国際会議だった。大学院生も含めた泊まり込みの定例の会であり、我が国の哺乳動物発生学の発展に寄与したと思われる。日本の会社が元気であった、当時でなければできないことであった。

研究はエンブリオグリカンを軸に進めた。まず構造面をしっかりする必要があった。村松さんはメチル化分析によってエンブリオグリカンが分岐構造の多いポリ-N-アセチルラクトサミンであることを決定した。といっても当時は質量分析計がなかったので、水俣の研究所へ出かける必要があった。アイソトープ標識後のメチル化分析も行った。

村松さんと鎌田裕子さん(現・吉村昭彦九大教授・夫人)はさらにいくつかの糖鎖エピトープの構造を明らかにした。例えば、DBAエピトープはGM2ガングリオシドの末端がN-アセチルラクトサミンに結合していた。

大学院生の佐藤正宏さん(現・鹿児島大教授)はエンブリオグリカン上のエピトープの胚発生に伴う発現変化を次々に明らかにしていった。野口基子先生(前・静岡大理・助教授)との共同研究では、DBAエピトープが初期発生時の内胚葉のマーカーであることが見出された。

小澤さんはSSEA-1などの重要な糖鎖エピトープがエンブリオグリカン上にあることを見つけていった。こうして、1980年代後半には、マウスの初期発生に伴う糖タンパク質糖鎖変化の全体像を明らかにすることができた。結果を要約した図は、今でもGlycobiologyの教科書に転載されている。

また、眼科の上原文行先生は視細胞のマーカーとしてのPNAエピト−プを発見し、多面的研究を展開した。

もちろん、大切なことは発生に伴う糖鎖変化の生理的意義である。これを解析する実験系の確立を目指し、村松さんはin vitro分化能の高いEC細胞であるHM-1細胞を樹立した。HM-1細胞の母体になったのは遺伝研の野口武彦博士が樹立した精巣性テラトシカルシノーマの移植株であった。

HM-1細胞の凝集塊から神経細胞が分化し、シャーレの中でネットワークを作るのを、私達はウットリと眺めた。また、佐藤正宏さんはマウス初期胚のin vitro発生系を整備した。これらの系にエンブリオグリカンを加えてみたが、目立った変化は起こらなかった。

なお、EC細胞の分化系は当時の私達の主な看板となり、これを用いていくつかの研究を行なった。たとえば赤嶺卓哉さん(整形外科、現・鹿屋体育大・教授)は、パルス電磁場刺激はEC細胞の分化を抑え、増殖を促進することを見つけた。

本筋の研究はもう一歩踏み込んだ。助教授の尾形俊一郎さんがEC細胞の糖タンパク質をEC細胞やその分化系に加える実験を担当したのである。82年になって医学部内の機構改革でもう一人定員がつき、それを用いて尾形さんに来てもらったのだ。

尾形さんはLTAを用いて糖タンパク質を単離した。LTAはLexすなわちGalβ1-4(Fucα1-3)GlcNAcを識別する。LexはSSEA-1のエピトープでもあり、エンブリオグリカン上で機能を持つ可能性が高いのである。デザインとしては完全なはずであったが、やはり何も起こらなかった。

正攻法の限界を識って私は2つのアプローチを採用することにした。抗体による阻害と遺伝子操作である。

村松さんは抗体による阻害を担当した。野元茂さん(現・野元医院・院長)と共にEC細胞に対するモノクローナル抗体を沢山作成して、その中からEC細胞の生理活性を阻害するものを検索したのである。分化を阻害する抗体は得られなかったが、細胞のシャーレとの接着を阻害する抗体である4C9が得られた。

驚くべきことに、この抗体の識別する抗原はエンブリオグリカン上にあった。エピトープを追跡すると、SSEA-1と同じLexであることが判明した。

しばらくして、Lex構造を作るフコシルトランスフェラーゼの最初のものとしてFUT4がJ. Lowe博士によってcDNAクローニングされた。そこで Lowe博士から酵素の提供を受けて、FUT4をL細胞にトランスフェクトして強制発現してみた。須藤明治さん(現・国士舘大・准教授)らは、トランスフェクトされた細胞がシャーレに、より強く接着することを見出した。

抗インテグリン抗体、さらにRGDペプチドがこの接着を阻止するので、Lex構造がインテグリンの作用を助けると考えた。ES細胞にFUT4をトランスフェクトして分化させると心筋分化が促進されることも分かった。心筋分化にインテグリンが必要なことはよく識られている。

トランスフェクションされた細胞でLexを発現するようになったタンパク質は 、後で述べるベイシジンと考えられた。これは、EC細胞でLexを担うタンパク質として同定されたもので、インテグリンと複合体を形成することが分かっている。

最近になって村松さんと小田喜博さん(現・ヤクルト)はEC細胞でエンブリオグリカンを担うタンパク質を再検索し、さらにエンビジンとインテグリンを同定した。エンビジンについては後で述べるがベイシジンと類似のタンパク質で、インテグリンの作用を促進する。

このような結果から、私達は次のような考えている。1) Lex構造はインテグリンを含む複合体中でインテグリンの活性を高める。2)エンブリオグリカン上の多価のLexはその作用が強い。今後もいくつかの実験が必要であろうが、大きな筋書きはできたと考えている。

4C9抗体を用いた染色でマウス胚発生に伴う4C9抗原の発現変化を調べた。熊本大・医の吉永一也先生との共同研究である。すると、4C9抗原はSSEA-1と類似だが、より限られた分布を示すことが分かった。

中期胚では、移動中の、そして生殖巣に定着したばかりの始原生殖細胞の良いマーカーとなる。SSEA-1も類似の性質を示すが、やや分布が広いので4C9抗原のほうが適している。始原生殖細胞を研究する何人かの研究者に4C9抗体を提供したが、それぞれの局面で有用であったと聞いている。

4C9とSSEA-1の特異性の違いは何だろうか。最近に答えが得られたと思う。村松さんは分岐したポリ-N-アセチルラクトサミンを作るI酵素をノックアウトしたマウスからES細胞を樹立した。すると、4C9抗原が消失したのである。

4C9抗体は分岐したポリ-N-アセチルラクトサミン上のLexを識別するのであろう。SSEA-1はポリ-N-アセチルラクトサミンの直鎖部分のLexであることが分かっている。

また、このES細胞は正常ES細胞よりシャーレへの接着性が弱かった。エンブリオグリカンがインテグリンの活性を高めているという考えに合致する結果である。

4C9をはじめとするいくつかの糖鎖マーカーを手中にしていた80年代の終わり頃、私はがん特別研究でがん転移を研究する班に入っていた。ヒトがんの転移に関するデータが必要になり、松本英彦さん(鹿児島大・一外科)と村松さんに肺がんの組織を染めることを提案した。

思いがけずすっきりしたデータが出た。[DBA(+)、4C9(-)]の肺がんは、[DBA(+)、4C9(+)]、 [DBA(-)、4C9(-)]、 [DBA(-)、4C9(+)]の肺がんに比べて転移が少なく予後が良いのである。

泌尿器科の白濱勉先生や松迫哲史さんらもLex系の抗原の発現が強い膀胱がんは転移が多く、予後が悪いことを見つけた。これらのデータはちょうどその頃盛んになった糖鎖と転移の研究の中でもポイントを押さえたものとなった。同時に、私達は、研究している糖鎖はやはり重要なのだと勇気づけられた。

私達は糖転移酵素をcDNAクローニングし、これを個体レベルで操作して、分化における糖鎖の意義を明らかにする計画を樹てていた。そして、村松さんはα-1,3-フコシルトランスフェラーゼを、菅沼龍夫さん(二解剖、現・宮崎医大・教授)はガラクトシルトランスフェラーゼをEC細胞から精製していた。

しかし、糖転移酵素のクローニングには失敗した。N末端のアミノ酸シークエンス決定が、多量のサンプルを必要とする上に、他施設の機器に頼るため、うまくいかなかったのである。名大に移ってしばらくしてから、しかし、この方向をもう一度取りあげることにした。

エンブリオグリカンの分岐したポリ-N-アセチルラクトサミンを作る上で鍵となるのは、β-1, 6-N-アセチルグルコサミン転移酵素(I酵素)である。I酵素は福田穣さんらがクローニングしていた。同じ酵素に割り込むこともないと思っていたのであるが、しばらく時間を経たので手をつけることにした。

陳国云さんと黒澤信幸さん(現・富山大工・准教授)がマウスのI酵素を調べると、既報の酵素の他にもう一つのI酵素が存在した。そして、この2つの酵素はN末端側は違うが、C末端側は同一であった。読み始め点を異にする特異エクソンと共通エクソンがあるのである。最近、ヒトのI酵素も同様で3つの酵素があることを他のグループが明らかにしている。

陳さんと村松さんはこの共通エクソンにねらいをつけてノックアウトマウスを作成した。マウスは生まれてきたが、いくつかの異常が見つかり、分岐ポリ-N-ラクトサミンの生理的意義が確認された。立ちあらわれて来た姿は、同じ膜面上での分子相互作用への関与である。

先のインテグリン機能の増強の場合もそうであった。また次に述べる、ベイシジンの機能もそうである。細胞間の分子識別(トランス識別)と共に、同じ膜の上での識別(シス識別)が、非常に重要なのであろう。分化に伴う糖鎖変化は、このいずれもが細胞によって異なるためと考えられる。

(2004年1月記、2009年8月、一部追記、村松 喬)