サファリの本場、ケニアを回る: ヌーの川渡りなど


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ナイロビからアンボセリへ

南部アフリカのマラマラやチョベでサファリを満喫した私たちだが、一度はケニアを訪ねるべきだと思っていた。

ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」、そして「愛と哀しみの果てに」と訳された「アウト・オブ・アフリカ」。

アフリカを象徴する物語はいずれもケニアが舞台だ。アフリカの風が気に入った妻は特にケニア行きに熱心だ。

しかし、ケニアの治安の悪さは一向に改善しない。特にナイロビは最悪のようだ。

そこで、個人旅行はあきらめ、ツアーに参加しようと、国内外の様々な旅行会社を調べた行き着いたのはナイロビに本拠があり、ニューヨークに営業所を持つミカト・サファリズ(Micato Safaris)である。

アメリカの旅行雑誌トラベル・アンド・レジャーが2年連続で世界最高のサファリ旅行会社に選定したところだ。ミカトのツアーの中でスタンレー・サファリを選択した。

10日間のプランであるが、マサイマラの宿泊を1日伸ばし、さらにフラミンゴで有名なナクル湖を付け加えた。ニューヨーク営業所は面倒がらずに手配してくれた。

エミレーツ航空で出発、ドバイ乗換えで大して疲れずにナイロビに着いた。2005年8月11日である。

驚いたことにミカトの係員が、飛行機を降りた私たちを出迎え、入国審査に付き合ってくれた。ロビーにはさらに、ツアーコンダクターのレウェラと運転手が待っていた。

現地人3人に囲まれ、頑丈な車で行くので、ナイロビの街も恐ろしくなかった。宿泊先はノーフォーク・ホテル。ナイロビで一番伝統のあるホテルである。

アウト・オブ・アフリカに出てくるナイロビのクラブはここだったのではないか。 翌朝、ホテルのロビーで集合してツアーに出発した。

総勢9名のこじんまりしたグループである。私たち以外はすべてアメリカ人だ。

ジラフ・センターでキリンにエサを与えた後、カレン・ブリクセンの家に行った。

デンマーク人の彼女はナイロビ郊外でコーヒー園を営み、18年を過ごして帰国した。その経験を綴ったアウト・オブ・アフリカは大ヒットし、映画にもなったのである。

家は意外に質素だったが、庭には花が咲き乱れていた。

つづいてキアムベツ農園を訪ねた。カレン・ブリクセンのコーヒー園が成功していればこうなったであろうという姿である。ただし、ここで栽培しているのは紅茶である。庭の植え込みを見て妻が叫んだ。

「あなた、何か動いたわよ」

カメレオンである。移動しながら茶色の体をゆすっている。

はじめて見るカメレオンに喜んで探してみると、さらに数匹見つかった。一番大きいのは10センチほどあり、茂みの中にいるためか緑色をしていた。

カメレオンに熱中していると、ランチの支度が出来たという報せだ。食事の後、奥さんの案内で庭の前の森へ行った。

アビシニアコロブスという、白と黒の鮮やかな色をしたサルを見ることができた。

夜はミカト・サファリズのオーナーであるピント氏の家にディナーに招かれた。

ピント邸からは森が見渡せ、ナイロビ市内とは思えない良い環境にある。

ピント夫人は客にワインを勧め、話題を探してくれた。家庭的な雰囲気のサファリ会社である。

8月13日。朝早く空港に向かい、アンボセリ行きの小型機に乗った。

アンボセリはキリマンジャロの麓にある国立公園だ。乾いた大地が一面に広がり、それを貫いて、湿地帯が延びている。

湿地帯とその周辺のサバンナだけが、生き生きとした緑色だ。

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アフリカで一番高いキリマンジャロを見るのも目標だったが、その方向には厚い雲が腰をすえていた。

シマウマ、ヌー、ガゼル、カバ、バッファロー、ゾウとたくさんの動物を見ながらオルトカイ・ロッジに向かった。

ロッジはキリマンジャロを望み、湿地帯を正面に見るという恵まれた条件にある。私は湿地帯とそこから広がってくる緑のサバンナを眺めて時を過ごした。

サバンナにはシマウマが多数展開している。向こうの湿地帯をゾウがゆっくりと移動してゆく。突然ヌーの群れが緑のサバンナに乱入し、あわただしく去っていった。

いつまで見ていても飽きることのない光景だ。

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4時からゲーム・ドライブである。ゾウの大群がサファリ・カーの前を横切り、遠くではライオンがヌーを食べていた。牧場のウシのようにヌーが密集しているところもあった。

空はしだいに晴れてきたがキリマンジャロは姿を現さない。ガイドもあきらめたようだ。私はしっこくその方向を見ていた。夕暮れが迫ったころ、雪をかぶったピークが見えた。

「レウェラ、あれはなんだい。」
「やー、よく見つけたね。キリマンジャロだよ」

雲はしだいに山腹を降りて行き、ついに山の上部がかなり露出した。私は揺れるサファリ・カーの上から必死になってキリマンジャロの写真を撮った。

翌日は晴れの予報だったので、無駄なことをしていると思ったが、これは貴重な写真となった。

結局、キリマンジャロが見えたのはこの時だけだったのである。写真がなければ、本当にキリマンジャロをはっきり見たのだろうかと疑うところであった。

8月14日。朝食後、マサイ部落を訪問した。マサイの人たちの歓迎はうれしかったが、ハエが多いのには閉口した。サファリではまたゾウの群れに会った。2頭の小ゾウがふざけていて、ほほえましい。

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ハイエナの巣穴もあった。地面に掘られた穴から、数匹の子供たちが飛び出してきた。エサの切れ端を奪い合って、じゃれている。黒っぽい子イヌのようだ。

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ツアーの仲間たちはライオンに執着した。しかし、現れるライオンはいずれもはるか遠くにいる。
「向こう側の道からは近くに見えないかな」
客の提案に応えてサファリ・カーは移動するが、ライオンがもっと遠くなるだけである。ライオンについては不満げな一同に、レウェラが話しかけた。

「サファリでは何が起こるか分からないよ。アンボセリで飛行場に向かっている時にライオンの群れが出たことがあるよ」

8月15日。飛行場に向かっていると、ライオンたちがやってきた。10頭ほどの群れである。先頭としんがりを大人のメスが務め、それ以外は子供たちだ。ライオンの群れは車のすぐ前を通った。

レウェラの言った通りの、信じがたいことが起こり、皆、大満足である。

ケニア山のふもとで

ナイロビの空港からサファリ・カーで北上した。アバデア・カントリークラブでロッジの車に乗り換え、ジ・アークに着いた。

ロッジの前に広場があり、そこに塩がまかれている。塩をなめに集まってくる動物をロッジから観察するのだ。

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森の中から次々にゾウがやってきて、広場はゾウに占領された。ゾウを見ているのは楽しいが、そのうち排泄作業が始まり、これはたまらんと部屋に引き上げた。しばらくして様子を見に行って驚いた。

20頭ほどのモリイノシシがいる。数頭の親に率いられた家族である。コロコロと太り、黒い毛が長い。ゾウたちはモリイノシシをうるさがり、広場から追い出そうとしていた。

モリイノシシはイノシシの仲間では最も大きいのだが、ゾウと比べると大人と子供である。2頭のゾウに追われたモリイノシシの群れは、その間を転がるように走って、脱出していった。

夕食を待つ間に激しい雨となった。これでは、もう動物を期待できない。それでも、レストランの外の階段に置かれたベーコンエッグに惹かれてジャネットが現れた。ほっそりしたネコのような動物だ。

8月16日。スウィート・ウォーター・テントキャンプへと移動した。ケニア山の麓に広がる私営動物保護区である。この中にチンパンジー保護施設がある。

著名なチンパンジー研究者であるジェーン・グドールが、虐待されていたチンパンジーを引き取り、彼らのリハビリ施設を作ったのである。

自然に近い状態でチンパンジーを見られるというので、一同大いに期待していた。

施設の中を川が流れている。私たちは案内人に率いられて川岸へ行った。4-5メートル先の向こう岸に、チンパンジーの群れがいるはずだ。

ヒトとチンパンジーの過剰な接近を防ぎ、そして近い距離でチンパンジーを見せようという心憎い設計なのである。しかし、チンパンジーはいない。案内人が説明してくれた。

「夕立があったので、チンパンジーは木の茂みに避難したのだろう。それに、もう午後4時で、チンパンジー見物にベストな時間ではない。朝が良いよ」

施設の入り口の金網を張ったところに、チンパンジーはいる。でもここのチンパンジーは不幸そうで、外を眺めている。そのうちに棒を持って金網をたたきだした。これでは動物園と同じである

皆が押し黙って移動するサファリ・カーで運転手に聞いてみた。
「明日の朝の予定はどうだい」
「サイのモラニに会いに行くよ」

しばらく考えてから、運転手に提案した。
「今日モラニに会いに行くのはどうだい。まだ時間がある。そして明日もう一度チンパンジーを見るのさ」
「すばらしい、それよ」

一人旅の若い女性であるメアリンが賛成した。新婚のケニー夫妻もそうだ、そうだと声を上げた。

「もう1台の車を呼んでみよう」

運転手は、レウェラを呼び出し、しばらく話していた。
「モーリス一家もレウェラも賛成だ。計画を変えよう」

一同、拍手して大喜びした。運転手はモラニのいる地区を目指し、車を飛ばした。

巨大なクロサイのモラニはすっかり人なれしている。私たちは、代わる代わるモラニの胴体をたたいてやり、並んで記念撮影した。モーリス一家の2人の少年たちが特にうれしそうだった。

テントへ帰る途中のドライブで、池に立ち寄ると野生のクロサイがいた。2本の鋭く立ち上がった角が印象的だ。計画を変えたことはプラスに働いているようだ。

8月17日。日の出前にテントを抜け出してみると、ケニア山がはっきり見えた。なだらかな楕円形の稜線の上に、塔のように山頂が突き出している。

ケニア山はキリマンジャロより標高が低いが、ケニア第一の高山だ。しばらくすると荘重な日の出が始まった。つきは続いている。そう確信した。

チンパンジー保護施設に着くと、案内人が待っていて、私たちを川岸に案内した。3頭のチンパンジーが向こう岸を歩いている。通り過ぎていったチンパンジーがホッホッホと大きな声を上げた。

私たちは急いで川岸を少し上流側に移動した。

「スナックが置いてある」

と案内人。ボスの呼び声に応じて、次々にチンパンジーがやってきた。10数頭いるだろう。

うれしいことに、赤ん坊を連れた母親も見える。赤ん坊は餌を探したり、ピョンと飛んだりした。やがて母親におんぶされ、おもちゃのサルのようにキョトンとした顔をしていた。

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バナナやマンゴーのスナックを握ったチンパンジーたちは思い思いの場所に展開した。二匹の少年ザルは高い木によじ登った。

食事が終わっても、チンパンジーたちは毛づくろいしたり、ぶらぶら歩いたりとくつろいでいた。

川岸には黄色い花が咲き乱れ、平和な光景だ。映画で見た野生のゴリラたちを思い出した。

この保護施設は自然のままの森とサバンナで、1平方キロの大きさがある。母親を殺され、サーカスに売られたりしたチンパンジーたちにとって、ここは確かに避難所となっている。

帰り道、グレイビー・シマウマに出くわした。北部ケニアに住む種で、通常のシマウマより縞模様が細かく、きれいである。つきはまだ続いている。

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その日の泊まりはマウント・ケニア・サファリクラブ。ケニアでは有数のリゾートホテルである。

マサイマラ

8月18日。小型機でマサイマラへ飛んだ。マサイマラはなだらかな丘陵地帯に広がるサバンナで、アフリカを代表する景色である。

宿はマラ・サファリクラブ。マサイマラ保護区の境界を出て北上した所にある。午後のサファリではライオン、キリン、ゾウ、シロサイそして茂みの中だけどヒョウまで現れた。

夕食時の打ち合わせで、レウェラが宣言した。

「明日は一日がかりのサファリだ。マラ川下流に向けて南下する。ちょうどヌーの大移動の最中だ。ヌーの川渡りを見られるかもしれない」

私はとても驚いた。100万頭を超えるヌーがセレンゲティからマサイマラへ移動する。その時、マラ川を越えるイベントはテレビで見たことがある。

ヌーの川渡りは8月20日を中心に起こることも知っている。しかし、年によって違うし、大群が川に近づいても、渡らないことも多いそうだ。

おまけに、宿のマラ・サファリクラブは渡河地点から離れている。ヌーの川渡りなどはすっかりあきらめていた。安全第一でツアーに参加した以上、欲はかかない積もりだった。

どうしても川渡りを見たければ、マラ川の近くのロッジに一週間滞在する計画で個人旅行としただろう。

「ガイドのエバンスは、確率50パーセントで川渡りが見られるといっているよ」

現地の最新情報を元に、レウェラは自信たっぷりだ。にわかに夢が復活した。

「素晴らしい。レウェラ」

賛同していると
「チーター」

という声が上がった。

ヒョウまで見てしまうと、残るのはチーターだけだ。おまけに、マラ・サファリクラブのあたりはチーターが狩をするので有名なところだ。どちらも魅力的だが、一つを選べば、ヌーの川渡りである。

私はレウェラの気が変わらないように、あわてて、ヌーの川渡りを見ることがいかに値打ちのあることか説明した。

ヌーの川渡りなど初めて聞いた人を含めて、全員が明日のサファリに大きく期待して部屋に帰った。

8月19日。朝8時に出発して、ひたすら南下した。樹林帯を抜けると、滑らかに盛り上がった草原が黄金色に輝いている。

行く手に向けてなだらかに下っていて、はるかかなたの地平線にかけて草原の輝きは増していくようだ。あの地平線近くで、ドラマが起こるのだ。

四輪駆動車であっても、渡河地点までのドライブは大変だ。ところどころに低地があり樹林帯になっている。そこを1つ1つ苦労して抜けていかなければならない。

驚いたことに樹林帯にヒョウがいた。獲物を木の上に引き上げて食べていた。獲物の肉の赤い色が鮮やかだ。別の樹林帯の入り口にはライオンの家族がいた。エサが豊富なためか毛並みが良い。

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しだいにヌーの数が増えてきた。一列になって歩いているヌーがいる、これはまさにヌーの大移動だ。ついには帯状になって移動するヌーに出会った。

おまけにサファリ・カーめがけて走ってくる。つむじ風のようだ。

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晴れた空の下、なだらかに起伏する草原を行くヌーの大群。見たかった景色である。私はサファリ・カーの中で立ち上がってうっとりしていた。でも、川渡りが気になる。

「マラ川はどっちだい」
「もうすぐだ。あの丘を越えるのだ」

ガイドのエバンスが黒い顔をほころばせた。

マラ川は静まり返っていた。川岸にヌーの死体が何頭も転がっている。そして、生きたヌーは1頭もいない。私は、さっき出会った大群は川を渡った群れだと思った。

遅かったのか。そんなばかな。成功を確信していただけに、信じられない思いである。

「私たちは事件の後にやってきたのね」

小さくメアリンがつぶやいた。

「いや、この死体は昨日のものだよ。今日はまだ渡っていない」

エバンスが明るく答えた。ヌーはいくつかの群れに分かれて川を渡るのだ。それにしても向こう岸にヌーがいなければ話にならない。

川岸で待っていたサファリ・カーも次々にロッジに戻っていった。ランチの時間なのだろうか。エバンスはじっとしている。

こちら岸をヌーの大群がやってきた。どんどん川岸に近づいてくる。エバンスは「それみろ」とばかりに微笑んで、川岸にピタリと車をつけた。

私は渡河の方向を誤解していたと気づいた。ヌーはこちら岸から渡るのだ。とすれば、南下中に出会った大群はこれから川を渡るのだ。
ひっきりなしにヌーがやってきた。一緒に行動しているシマウマの姿もある。川岸の前は広場の雑踏のようだ。それでも、後から後からヌーの隊列が押し寄せてくる。
ヌーは渡らない。目の前に四足を突き出した仲間の死体があるから当然である。

先頭のヌーは川岸の勾配を降りて、川面に近づくが、しばらく水面をにらんで引き返し、雑踏の中に紛れ込んでしまう。次に先頭に立ったヌーもにらんで引き返す。この繰り返しである。
そのうちにシマウマが水面に近づいた。ソレ!と皆、緊張したが水を飲んで引き返した。つぎにガゼルが水に飛び込んで、きれいな泳ぎで渡りきった。しかし、ヌーは川をにらんでいるだけである。

30分もすると群れは到着し終わった。後尾のほうは川岸に近づけず、一列になったままである。手持ち無沙汰で近くの草を食べている。
ついに、引き返していくヌーが出始めた。これが、大きな動きとなり後尾のヌーたちは川を去り始めた。今日はだめなのだろうか。

別の大群がやってきて、より下流の川岸に近づいていく。また20台くらいに増えていたサファリ・カーは次々にエンジンをかけた。新しく来た群れの方へ移動する車が多い。エバンスはじっとしている。

後尾のヌーの動きが止まった。そして向きを変え、じりじりと川岸に向かって進んでいった。

川岸はヌーであふれかえっている。ついに先頭の2頭が川に飛び込み、しぶきを上げて突き進んだ。そして、川の中央に達し、頭だけ出して必死に泳いでいった。

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すぐにもう1頭が続いた。つぎのヌーも大きく飛び込んだ。先頭は無事に向こう岸に這い上がり、岩の斜面を踏みしめるように登っていった。列を作ったヌーたちが次々に川を渡っていく。
渡河地点は私たちのサファリ・カーからから50メートルほど上流側だ。全体像がよく見える。数10頭が渡った後、後続が止まった。1頭のヌーが溺れ、また四足を突き出している。

しかし、ヌーはわずかに下流に渡河地点を移して、再び渡り始めた。
川の流れは強い。ヌーたちは流されるようになり、上陸地点が下流にずれてきた。それにつられて、渡河地点もさらに下流に移り、やがて私たちの目の前になってきた。

ヌーとシマウマが川岸を足早に歩いて押し寄せてくる。

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ヌーたちは取り残されるのを恐れように、一刻も早く渡ろうとしている。

近くを泳ぐヌーの姿は写真撮影に絶好だ。頭だけ出して必死に泳ぐさまは、甲冑の武者が川を渡っているように見える。飛び込んだものの水がいやなのか、跳ね上がっているヌーもいる。

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大人のヌーに囲まれるようにして子供のヌーが渡っていった。無事渡りきり、平原に出て、うれしそうに跳ねていくヌーもいる。やったぜというところだろうか。

こちらへ向かうヌーの数はさらに増えた。そして走って殺到してくる。渡河地点はさらに下流となったが、泳ぐ姿はずっと見えていた。

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今や、上陸地点は急な崖である。直登しようとして、疲れきり倒れ伏してしまったヌーが数頭いた。渡りが終わっても倒れたままである。

皆が心配して見ていると、1頭ずつ立ち上がり、よろめきながらも、斜めの楽な道を探して登っていった。

最後のヌーが登った時は拍手が沸き起こった。今回の渡りは犠牲者1頭であった。マラ川にはワニもいるはずだが、それまでの渡りの犠牲者で満腹になったのだろう。
マラ川から引き返し、サバンナの真ん中で昼食となった。全視野にわたって、移動していくヌーの群れが見えた。

ロッジに帰り着くと、すぐに、サファリ・カーはアイトング・ヒルを登っていった。丘の上にキャンプファイアーが焚かれている。ここで日没をめでながら、ワインを飲むのだ。
明日でツアーは終わるので、お別れパーティーである。

この丘は大地溝帯の外縁を成し、マサイマラ保護区の北端であるシリア断崖へと続いている。眼下に果てしなくサバンナが広がってゆく。申し分のないアレンジだ。

8月20日。朝のゲーム・ドライブでは、オオミミギツネが登場した。かわいい顔に、不釣合いな大きな耳である。

エバンスが、
「おかしいな、たくさんのハイエナが歩いていく」

という。たしかに、ハイエナたちは皆、1つの方向を指している。私たちも、行ってみることにした。
1頭の雌ライオンがヌーを食べていた。それを、ハイエナたちが遠巻きにして見守っている。少し離れて、伏せた2頭の雌ライオンがいる。ハイエナたちに向かって力強く吼えていた。

この2頭は、食事は終わったのだが、もう1頭のライオンが心配で援護しているのだろう。
しかし、ハイエナたちはじりじりと接近してきた。ライオンは食事を止めて、ハイエナに向かった。この間に、別のハイエナたちがヌーに殺到した。

こうなると饗宴で、あっという間にヌーは片付けられていく。ヌーの足を持っていくハイエナもいる。
ライオンは引き返してきたが、この様子を見て座り込んだ。そして、足をなめて、身づくろいを始めた。それでも、あきらめきれないのか、キッとハイエナをにらんで立ち上がり、吼えながらハイエナに接近した。

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ハイエナたちは負けずに、ライオンを包囲するように立ち向かった。後ろの2頭のライオンも立ち上がって激しく吼えた。対決は威嚇の段階で終わって、ライオンたちは引き上げた。

ハイエナの勝利といえるだろう。
午後のドライブでは変わったことは起きなかった。私はサバンナの景色を楽しむことにした。いよいよマサイマラも終わりなのだ。

ナクル湖

8月21日、ナイロビに飛んで、ノーフォーク・ホテルに1泊。翌朝、ミカト・サファリの車が迎えに来た。ナクル湖までの長距離ドライブである。

ナクル湖は100万羽に達するというフラミンゴで有名だ。しかし、フラミンゴの数は季節によって変動する。本当に沢山のフラミンゴがいるだろうか。
ナクル湖の手前のエレメンタイタ湖が見えてきた。岸がフラミンゴでピンクに縁取られている。これはいい、もしナクル湖のフラミンゴが少なければここに来よう。

私が喜んでいると、運転手のキップは、にやっとした。

「まだまだ、こんなものじゃないぜ」

ナクル湖の湖岸に達して、快哉を叫んだ。一面のフラミンゴである。岸から何層にもなってフラミンゴが密集している。そしてピンクの姿が湖面に映っている。見渡す限りピンクの帯だ。
フラミンゴは流れるように静々と移動している。数羽の、特にきれいな鳥は岸に上がり、連れ立ってきどって歩いている。メスに求愛しているオスなのだろうが、ファッションショーといった風情だ。

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十分に満足するまでフラミンゴを眺めて、宿のレイク・ナクル・ロッジに向かった。部屋のベランダから、ピンクを帯びた湖が見える。
4時からのゲーム・ドライブ。キップは湖岸の別の場所に案内してくれた。やはりフラミンゴが湖岸を埋めている。

面白いことに、フラミンゴがさらに密集したところがある。集まったフラミンゴは一斉に首を上げていて、ピンクの菊の花弁のようだ。これも求愛儀式の1つらしい。繁殖期が近く盛り上がっているのだろうか。

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何度も写真を撮り、全体を眺め、そして双眼鏡で細部を見つめ、これを繰り返して30分以上も湖岸に留まった。頭の中がフラミンゴで一杯になってしまった。
ドライブを再開するとシロサイが赤ん坊を連れているのに出会った。ナクル湖国立公園はサイを保護していることでも知られている。保護活動は順調なようである。

夕闇が迫るころ、ライオンの夫婦に会った。雌ライオンは倒木の上にいて、茂みの中を見ている。そのうちに雄ライオンが吼えだした。そして、雌ライオンは茂みに消えた。

しばらくして雌ライオンは数頭のライオンを連れて現れた。大部分は子供たちである。子供たちは父親にじゃれついた。雄ライオンは、くすぐったそうだが嬉しそうにしていた。

「ママが木に登って子供を探したんだよ。見つからないから、パパが吼えた。そして、マ
マが探しにいったのさ」
キップの説明を聞いてよく分かった。

8月23日。朝8時から最後のゲーム・ドライブ。フラミンゴに別れを告げるため、また湖岸に寄ってもらった。フラミンゴはいくら見ていても見飽きない。

朝の澄み切った空気の中でフラミンゴのピンク色がより鮮やかだ。フラミンゴは湖の中央部にも展開していた。サクラの花弁が散り敷かれたようである。

ドライブ中に何度もシロサイを見た。一時の絶滅の危機をサイたちは脱しつつあるのかもしれない。

さあ帰国である。無事にナイロビに近づいたころ、タイヤがパンクした。ナクル湖までの道は悪路で、そのためか既に一度パンクしていて、スペアタイヤはない。キップは近寄ってきた少年と共に、タイヤを転がして歩き出した。

「車の外へ出ないでください。じきに帰ります」

キップの姿が見えなくなると心配になった。本当に大丈夫か。チョベからの帰りが思い出された。

無線でミカト・サファリズのオフィスを呼んだほうが早いのではないか。しかし、遠くに人影が見えた。双眼鏡で見るとタイヤを転がしているようだ。

少年が「近くにガソリンスタンドがある」と教えたので、そこでパンクを直したのだそうだ。おかげで、大した時間もかからず、ナイロビに着いた。
ノーフォーク・ホテルではレウェラが待っていて、空港まで送ってくれた。最後まで面倒見の良いサファリ会社であった。

帰国してすぐに、ニューヨーク営業所のフランにお礼のメールをした。川渡りも見られたと付け加えた。翌日、返事が来た。
「何ですって。川渡りは、皆が見たがるけれど、めったに見られないのよ。おめでとう」
世界一のサファリ会社でも、しょっちゅう川渡りを見せるのではないようである。

やはり幸運な旅であったのだ。