ベイシジンとエンビジン


ベイシジンとエンビジン

LeXやDBAエピトープなど、いくつか分化マーカーとなる糖鎖を担う細胞膜糖タンパク質は実体としてはどのようなものだろうか。糖鎖の機能を識るためにはタンパク質側も理解しなければならないだろう。逆に、糖鎖を切り口として未知のタンパク質に迫ることができるかもしれない。

こう思って小澤さんにはテラトシカルシノーマの糖タンパク質の解析を依頼した。レクチン・アフィニティークロマトグラフィーで、糖タンパク質を分別した後、糖タンパク質をさらに精製しようというのである。性質が類似した糖タンパク質を生化学的な方法で精製できるだろうか。

小澤さんはもう一つのアプローチも採り入れた。免疫化学的手法である。特に、抗体を用いての大腸菌での発現クローニングを行うことにより、この方法は成功を収めた。

小澤さんはまず、胚の近位内胚葉と腎の尿細管の共通糖タンパク質を単離し、brushinと名付けた。現在megalinと呼ばれている巨大タンパク質を最初に生化学的に同定した成果であった。

古川龍彦さん(現・鹿児島大医・准教授)と小澤さんはHBP-44と命名した糖タンパク質を発見した。 HBP-44は後に、LDL受容体ファミリーを細胞膜へ運ぶシャペロンであるreceptor associated protein (RAP)として再発見された。

増澤寧さん(前・日本抗体研)と宮内照雄さんはMGC-24と名付けた細胞膜のムチン糖タンパク質を発見した。これは今日ではCD164とも呼ばれている。小澤さんは reticulocalbinと命名した細胞質のカルシウム結合タンパク質も発見した。このような多くの研究の中で、大きなストーリーとなったのはエンビジンからベイシジンにいたるものである。

小澤さんはDBAアガロースを用いてテラトシカルシノーマから糖タンパク質群を分離した。これをウサギに免疫して得た抗体を用いてテラトカルシノーマ由来の大腸菌発現ライブラリーをスクリーニングすると、膜貫通タンパク質をコードするcDNAが得られた。

この膜タンパク質は糖含量の高い糖タンパク質で、Igスーパーファミリーの新しいメンバーであった。私達はこの糖タンパク質をGP70と呼んだが、すぐにエンビジン(embigin)と改名した。発現が成体では限定されていて、胚で強いのでembryonic immunoglobulin superfamily memberの意味を込めたのである。

エンビジンのcDNAをL細胞にトランスフェクトして強制発現させると、シャーレとのインテグリン依存症接着が増加した。Haung Ruo-Pan さん(現・Emory大・教授)らの結果である。私達はエンビジンにはインテグリンの活性を増大させる働きがあると考えた。

宮内照雄さんは、LTAアガロースを用いてEC細胞からLexを担う糖タンパク質を単離して、同じくこれに対する抗体を用いたcDNAクローニングを行った。やはり、糖含量の高い膜貫通糖タンパク質が得られ、再びIgスーパーファミリーの一員であることが分かった。

この糖タンパク質は胚にも成体にも広く分布し、私はこれをbasic immunoglobulin superfamilyの意味でベイシジン(basigin)と命名した。ベイシジンは免疫グロブリンVドメインと MHC クラスIIのβ-鎖の両方にホモロジーを持つ分子でIgスーパーファミリーの始原型に近いと思わせた。金藏拓郎さん(現・鹿児島大医・教授)はベイシジンの糖鎖が、その起源によって大きく異なることを見つけた。

ベイシジンの論文はすぐにJBCに送ったのだが、機能が分からないと却下されてしまった。気を取り直してJBに送り、1990年に採択をして頂けたのだが、この間に別のグループがベイシジンのcDNAクローニングを投稿している。

幸い、その論文の印刷前に、私たちも再投稿はしていたが、やや遅れたかなとその時は考えた。特許については私達が最初であった。特許が先取権争いで有効なことが分かってきたので、「ベイシジンを発見した」と、もう少し声高に言う必要があると最近は思っている。

1990年プラハでマウスの遺伝学の国際会議があり、招待された。そこでは遺伝子座の決定がしばしば報告されていた。ベイシジン、そして後で述べるミッドカインについても遺伝子座を決めなればならないと、居合わせたパスツール研究所のJ. L. Guenet部長に共同研究を依頼した。

遺伝子座を決めると遺伝子名がつく。ベイシジン遺伝子はマウスではBsgとなった。要匡さん(現・琉球大医・准教授)はヒトのベイシジン遺伝子の位置を決め、ヒトの遺伝子はBSGとなった。このことが幸いしたのか、ゲノムプロジェクトではベイシジンが正式名称として採用された。抗原としてはCD147の名前が与えられている。

ある日、小澤さんが飛んできた。「エンビジンとベイシジンは似ています!」両方とも2つの免疫グロブリンドメインを持ち、膜貫通領域の真ん中にグルタミン酸がある。そしてエンビジンとベイシジンのアミノ酸配列には28%のホモロジーがあったのだ。

今日ではエンビジン、ベイシジンそしてその後で見出されたneuroplastinの3つの分子が、小さなファミリーを作ることが分かっている。機能面でもベイシジンはエンビジンと似ているようだ。フコシルトランスフェラーゼをトランスフェクトしてL細胞のシャーレとの接着が増大する時に、フコシル化される糖タンパク質はベイシジンであると示唆された。
ベイシジンの成体での分布は広いが、LeXを持つベイシジンはごく限られた部位にしかない。そしてEC細胞はLeXベイシジンを大量に発現する。LeXベイシジンの生化学的性質はJacobのF9抗原と良く一致した。私はベイシジンが重要な機能を持つに違いないと確信した。このことを証明するためには遺伝子ノックアウトが必要である。

鹿児島大医学部の二生化は、創設後10年近くになっていて、遺伝子ノックアウトに乗り出すだけの力があると考えた。そこで、少しずつ胚操作の装置をとりそろえていった。良いES細胞を入手する必要があり、マックスプランク研究所で大成していた旧友のRolf Kemlerに頼むことにした。RolfはD3 ES細胞を樹立していた。そして、小澤さんはそこへ出張して、何とカテニンを発見していた。

Rolfは「分かった。とても若い細胞をあげるよ」といってくれた。フライブルグから鹿児島へ大切に持って帰った1つのアンプルを村松さんに渡した。村松さんは「これは緊張するわ」とつぶやきながら、大量の細胞ストックを作った。

小児科の大学院へ進んで、一緒に仕事をしていた要匡さんには胚操作の習得のため熊本大の山村研へ留学してもらった。ちょうど山村研もノックアウトに乗り出す時で、種々なノウハウを教えて頂いた。

EC細胞で鍛えた村松さんの培養技術、要さんの胚操作、そして宮内さんが単離し解析したゲノムDNA、これで条件としてはうまく行くはずだが、やはり、集中して仕事する若い人が欲しかった。

昼食の時、隣り合わせた三内の納教授に頼みこんだ。納先生は「何とかしましょう」と約束して下さった。じきに三内の大学院の猪鹿倉忠彦さん(現・パールランド病院・病院長)がやってきてくれた。

 

ノックアウトの準備が整った1993年、私は名大の一生化へ転任することになった。陣を移す不安はあったが、新展開の魅力のほうが大きかった。名大医学部の先生方に尋ねるとノックアウトマウスの作成はまだ行われていないとのことだった。ノックアウトで面白いことを見つけるのを手土産にしようと思った

。部屋を改装するとき、一つの部屋はノックアウト専用の部屋にした。幸いなことに猪鹿倉さんは名古屋に来てくれることになった。要さんは山村研一教授に気に入られ山村研の助手になることが決まっていたが、「義理がある」とノックアウトの立ち上げまで名古屋に来てくれた。

そして、NIHへの留学から帰ってきた門松健治さん(現・名大医・教授)と村松さんが助手に着任し、体制は整った。この後、ノックアウトマウスの作成は教室の最も重要な武器となった。現在までに8つの遺伝子をノックアウトしたが、4つ目のノックアウトまでは組み換えESクローンの単離では門松、村松の2人が中心となる形をとった。以後も必ずどちらかがESクローンの単離では主役となってもらった。

猪鹿倉さんたちが作った、ベイシジン遺伝子ノックアウトマウスは予想通り、いや予想以上に多彩な異常を示した。まず、大部分のノックアウト胚は着床期のあたりで死滅した。そして生き残ったノックアウト胚から生じた成体マウスは不妊であり、いくつかの神経機能の異常を示した。

范企文さん(現・カリフォルニア大)と門松さんはin situハイブリダイゼイションでベイシジンが胚の栄養外胚葉と子宮の内膜さらに精巣の精母細胞に強く発現されることを示した。この発現様式はノックアウトマウスの表現型と見事に一致した。しかし、どのようなメカニズムでベイシジンが機能を果たすのかは、まったく分からなかった。

日本抗体研の足立社長は、「先生、ベイシジンの研究会はどうですか」といって下さった。各領域のエキスパートに参加をして頂こうと、名大眼科の三宅養三教授にもお願いした。三宅教授は「面白い分子ですね。一度electroretinogram (ERG)をとりましょう」とおっしゃった。

結果は驚くべきであった。ノックアウトマウスは生後2週からほとんど盲目なのである。その時、網膜の形態は正常である。しかし、次第に網膜は変性していくのである。機能異常が形態異常に先行するメカニズムは何なのだろうか。

日本抗体研究所がスポンサーとなり、1998年にはベイシジンに関する国際会議も開かれた。ノックアウトマウスの視覚異常はそこで報告され、大きな反響を呼んだ。しかし、ベイシジンの作用機構は依然として不明であった。吉田誠哉さんと門松さんはベイシジンが二量体を作ることを観察したが、それは同じ膜面上で起こった。

Halestrapらの研究が突破口を開いた。彼らはモノカルボン酸トランスポーター(MCT)1と赤血球膜上で結合しているタンパク質を追跡し、これが、エンビジンであることを見出した。MCTは乳酸をはじめとするモノカルボン酸を細胞の内外へ輸送するたんぱく質である。

エンビジンの分布は限られているので、彼らはベイシジンに目をつけた。そしてベイシジンがMCT1とMCT4に結合すること、さらMCT1, 4を細胞膜へ運ぶ役割をすることを明らかにした。

そこで、Linser、 Philp,、私は共同研究を行った。ベイシジン遺伝子ノックアウトマウスでは、網膜細胞の細胞膜へのMCT輸送が妨げられるのではないか。結果は、まさにその通りであった。網膜では、Müllerグリア細胞が乳酸を細胞外へ放出し、視細胞がこれをとりこんで利用している。この細胞間の協調がうまくいかなくなり、視細胞は機能不全となり、やがて変性するのである。この明解な結果はすぐに広く受け入れられた。

ベイシジン遺伝子欠損マウスの示す、他の表現型もやはりMCTと関連する可能性がある。ベイシジンは細胞間相互作用に関与するが、明らかになった姿は、代謝産物のやりとりという予想を超えたものであった。とはいえ、細胞膜の構築と機能のストーリーの中で、ベイシジンが確かな座を占めたことは大いに満足できることであった。

(2004年1月記、2009年8月、一部追記、村松 喬)