アラスカの只中へ


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クジラの来る海

今度ののアラスカ旅行では3つ目標を立てた。まず、ザトウクジラをしっかり見たい。ザトウクジラは長さ12-14メートル、重さ40トンに達するというから近くで見れば迫力があるだろう。

グレイシャーベイ国立公園の近くによい所があると聞き、公園のロッジに泊まってホエールウォッチングに出かけることにした。

つぎにデナリ国立公園の観光である。国立公園の奥のほうにロッジがあることが分かり、そこに泊まるプランにした。

そしてクマ見物である。計画を立てている途中で、妻は「クマを見ないの」という。たしかに、ヒグマがサケを捕りに現れる所がある。

やや心配であったが、怖いもの見たさで、クマで有名なカトマイ国立公園のロッジを予約した。

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1994年8月1日、グレイシャーベイ。 前日、氷河観光船に乗った。いよいよクジラと楽しみであった。目が覚めると何と霧が出ている。霧があってはホエールウォチングどころではない。

しかし、上空を見ると霧が薄い所がある。そのうちに晴れるかもしれないと希望を持つことにした。出港時間の9時になると、霧はだんだん上がってきた。それでも船が動く様子はない。

霧のため、向かっている飛行機が着陸できず、それに乗っている観光団を待っているのだそうだ。

10時半になってやっとバスに乗って10数人の客がやってきた。70前後のドイツ人で、ドイツ語しか分からない人が多い。船はやっと出港した。

ドイツの観光も進んだものだ、ホエールウォッチングを取り入れるとは、と思っていると、1人の老人が口をあけてぼんやりとしている。おかしいな、認知症が始まったのだろうか。

にわかに、全体が騒ぎになった。なんとこの客たちはロッジへ行く人たちで、別のグループとバスが入れ替わってしまったのだそうだ。

船は港へ引き返すことになった。ドイツ人たちはどうしてもクジラ見物はいやだと主張したらしい。様子を知らない他の客が「何事だ」と私に聞いた。

「あそこに大きなクジラがいるのさ」

私は出てきたばかりの港を指した。

こんなドタバタで船が7人だけを乗せて再出発したのは11時過ぎ。ロッジに連れていかれた人たちはキャンセルになってしまった。インテリ風の女性が子供に話し掛けている。

「ごらん、あの人は笑っているよ、あなたも見習いなさい」

私のことらしいが、あまりのばかばかしい成り行きにあきれていただけである。

港から離れると海上には霧が残っている。しかも進むにつれて霧が濃くなる。不安を感じ始めた時に、左舷すぐ近くにラッコが現れた。今度の旅でぜひ見たいと思っていた動物の1つだ。

1メートルくらいあって意外に大きい。仰向けになって後ろ足をチョコチョコ動かしている。しばらくすると潜水し、浮上するとまた仰向けになった。全員がラッコで機嫌が直り船は霧の中をゆっくりと進んだ。

船が減速し始めた。進行方向は相変わらず白い霧だが、小山の上部だけが霧から顔を出している。その小山が近くに見えてきた。ここがホエールウォッチングで有名なアドルファス岬であろう。

船が停止し、機関長が双眼鏡であちこち探すが何も見えない。

待つこと数分。霧が薄くなった。すると100メートルほど向こうに数頭のザトウクジラが集まって潮を吹いているのが見えた。

海面は鏡のように静かであり、クジラの噴気孔からの水煙も穏やかに上がっていく。船のエンジンが止まると潮吹きの呼吸音がはっきりと聞こえてくる。平和なひと時である。

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私たちは双眼鏡でクジラの細部の姿に見とれたり、双眼鏡をはずして全体の姿を味わったりして喜びに浸った。数分後にクジラは大きく尾を上げて海中に没した。

気がつけば霧は完全に晴れ渡っていた。私たちは雪を戴いた山々に囲まれた海面の只中にいるのだった。生まれたばかりの世界にいる最初の人間たち、そんな印象である。

再びクジラたちが浮上した。さきほどと同じような所で岸から50メートルほど離れている。そのあたりは餌が多くクジラたちは朝食に熱中しているのだろう。

見えるのは背中のコブ、そして潜る時の大きなシッポだけであるが、私たちは完全に満足した。この神々しい世界をクジラたちと共有している感覚、それが一番良いことだった。

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この調和を乱すことが起こった。遠くから漁船がやってきた。別の方向からはモーターボートが、いずれもクジラの方向を指している。クジラたちは急に向きを変えて私たちの方向へ泳ぎ出した。

そして、船の脇を通り過ぎていった。船との間は3メートルくらいしかなかったに違いない。私にはクジラの全体像が見えた。楕円形の形、長い胸ビレ、そして優しい目が印象的であった。

驚いたことに親子クジラがいた。長さが母親の半分ほどの子クジラが母親のヒレに守られるようにして、同じような格好で泳いでいった。

クジラたちはキャプテン・コーナーという名のこの船が安全なことを知っているのであろう。船の上は大騒ぎである。

「これ以上近いことは不可能だ」

船長まで興奮していた。

ザトウクジラが遠くでジャンプ、ホエールウォッチング用語ではブリーチしたようだ。大きな水しぶきが見える。一度ブリーチすると、何度も繰り返すことがあるというので、船長はそっとその方向へ船を進めた。

といっても、取り決めで100ヤード、すなわち約100メートル以内に近づいてはいけない。再びブリーチがあった。

そこに双眼鏡を当てていると、見事にクジラが飛んだ。全身ブリーチではないが、体の大半を真っ直ぐ海上に突き上げるのである。

白い腹のうねがはっきり見え、荘厳である。アラスカ政府観光局のパンフレットにあった写真とそっくりだ。

双眼鏡の視野の中なので、現実のものなのか、映像なのか分からない不思議な気がしてくる。クジラはさらに3回飛んだ。

べつの方向ではクジラが胸ビレで水面をたたいている。フラッピングという行動だ。船を近づけると、クジラのほうから泳ぎ寄ってきて、30メートルくらいの距離でフラッピングを繰り返した。

バチャン、バチャンという音が大きく響く。しばらくすると、今度はクジラが尾を上げて空中で振っている。やがて、小さなシッポも出てきて、二つが一緒に振られている。

さっきの親子クジラであろう。子クジラにシッポ振りを教えているのだろうか。

クジラショーのプログラムでもこんなに完全にはいかないという半日だった。私たちは酔ったような気分で港を目指した。朝は険しい顔だった人が緩んだ顔をしている。

「あなたの忍耐が報われましたね。私たちもお陰をこうむりましたよ」

インテリ女性が話し掛けてきた。買いかぶられたままらしい。船は2時過ぎに港に着いた。出港が遅れた分だけ、ゆっくりといてくれたのだ。

私たちは、午後もクジラ見物なので船に残った。そしてお詫びの印にと差し入れられたサンドイッチをぱくついた。どこで昼食にしようかと考えていたので、結局、幸運な霧だったと思えてきた。

午後の船には25人ほどの客が乗った。海にはさざなみが立ち、他の船が多いので神々しい雰囲気はない。クジラも近寄ってこない。

こちらからは100ヤード以内に近づくことはできず、クジラが寄って来るのを待たなければいけないのだが、明らかに異常接近してクジラを追っかけている船がある。

「あれが100ヤードか、アラスカ・ヤードだ」

この船が紳士的なだけに客たちは不満の声を上げる。それでもクジラはブリーチしてくれた。100メートルほどの距離だろうか。魚が飛ぶように平らになって頭とシッポを少し上にした姿を肉眼で捉えることができた。

もう港へ帰る時間が近づいた時、2頭のクジラがやってきた。20メートルほどの距離で船と平行に泳ぐ。人々は興奮して写真を撮りまくった。

突然、クジラが向きを変えて、浮上したまま船に向かって泳いできた。背中のコブが見る見る迫ってくる。

潜水艦が近づいてくるという表現がぴったりだ。コブが数メートルの距離まで来た時、先頭のクジラは高々と尾を上げて潜水して、船の下を通って去った。

2頭目のクジラも同じように尾を上げた。その時フィルムの残っていた客はほとんどいなかったに違いない。船は再び騒がしくて幸福に浸った客たちを乗せて港を目指した。

サケを捕るヒグマ

8月2日、アンカレッジを飛び立った飛行機は南西を目指し、アラスカ半島の付け根、キングサーモンで高度を下げた。

このあたりはアラスカの中でも未開の地で、ツンドラと針葉樹林が入り混じって一面に広がっている。ツンドラは緑のじゅうたんのようで、池や蛇行する川の模様がついている。

ここで1泊して、翌8月3日にカトマイ国立公園のブルックス・キャンプに飛んだ。雨が激しく欠航や事故を心配したが心配することもなかった。

水上飛行機で湖の上を低く飛ぶので、これなら大したことにはならないだろう。

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飛行機を降りた私たちはレンジャーの説明を聞いた。

 

「ヒグマはいたるところにいます。自由に見物してください。滝のところには何頭もいますよ。くれぐれも気をつけてください。クマに接近しすぎてはいけません。100ヤードの距離をとってください。1人では行動せず、グループを作ってください」

予想どおり、自己責任でクマの王国を歩くことになるのだ。宿となるブルックス・ロッジに荷物を置き、隣室の、子供を1人連れたイタリア人夫妻と一緒に滝へ向かうことにした。

滝のところで、遡上するサケがせき止められ、これを狙ってヒグマが集まってくるのである。

ロッジを出発して、ワイワイと話しながら湖に沿った道を進んだ。騒々しくしてヒグマを遠ざけようとしたのである。ほんの50メートルも行ったところで驚いた。

道の左側わずか数メートルの距離で、巨大なヒグマが四足を踏ん張ってこちらを見ているではないか。黒褐色の毛はつやがよく、まるでぬいぐるみのようだ。

クマはじっとしていて、私たちに敵意はない様子である。むしろ、突然、騒々しい人間どもが現れて驚いているようだ。

それにしても、クマを見たいと思ったが、こんなに近い必要はない。100ヤードの距離どころではない。

とっさに引き返そうかと思ったが、かえってクマを刺激する。前進するしかなかろうと判断した。後ろを振り返って、妻とイタリア人たちに合図してそっと進んだ。やはりクマは襲ってこなかった。

最初からこの調子では、2キロ先の滝に着くまでに何頭のクマに会うか分からないと、代わる代わる歌を歌ったり、大声で叫んだりしながら歩いていった。

滝が近づくと、あちこちに畳2枚分くらい草がなぎ倒された跡がある。あきらかに、夜にクマが寝た所である。巨大なクマの糞も道の脇にある。

通常であれば、こんなクマのサインを見ればすぐにその場を去らなければならない。

しかし、ここは特別だと、薄気味悪いのを我慢して進んでいった。歌の効果か、クマと鉢合わせすることはなく、ブルックス滝と滝見台が見えてきた。

滝見台は頑丈な木で作ってあり、中にクマは入れない。私たちは滝見台に飛び込んだ。

この滝見台は通常とても混んでいるのだそうだが、小雨がパラついているせいか、昼食時間のためか、数人の人がいるだけであった。

私たちはすぐに手すりに取り付いて観察を始めた。滝が近くに見える。滝の高さは2メートルくらいだろう。川幅は30メートルといったところか。

たしかにクマがいる。こちら岸にはやや小柄な灰褐色のクマ。これは母グマで乳房が張っている。岸沿いの木のそばに1匹の黒っぽい毛のコグマが見え隠れしている。

川の真ん中、滝の下にはウシほどの大きさのオスグマが陣取り、向こう岸にはやや若いオスグマがうろうろしている。

サケ捕りが上手いのはメスグマである。滝の上から首を伸ばして、飛ぶサケを狙っている。30分の間に4匹を捕まえた。

彼女はバタバタするサケをくわえて、さっと待っている子供のところへ行く。一緒に食べるのだろう。

向こう岸のクマも2匹のサケを捕った。まず皮をむいてから、少しずつ身をかじっている。真ん中の巨大グマは上ってくるサケを捕まえようとするのだが、しくじってばかりいる。

そのうちに、サケを食べているメスグマに近づいた。メスグマはさっと飛び出してきてうなり声を上げて追い返した。

母親は強い。オスグマは横取りをあきらめ、サケ捕りを再開した。やっと、1匹捕まえると後ろ足で立ち、前足で岩の上に体を支えると共にサケを握って頭からかじりはじめた。迫力のあるポーズである。

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つづいて、第三のオスが現れた。巨大オスとにらみ合いになり、両者が激しく声を上げて渡り合ったが、やがて第三のオスは引き上げた。

今度は下流から小型のメスがやってきた。岸の上を2匹のコグマが駆けてくる。すると前からいたメスが新顔のメスと子供の方へ近づき、吠えかかった。新顔のメスも負けずに応戦する。

新顔の2匹のコグマは寄り添って、動かずにいる。前からいたメスは気が変わり、もう十分食べたと思ったのか、コグマを引き連れて帰っていった。

滝見台のすぐ近くを通り、私たちがやってきた道を歩いていったのである。

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近くで見ると、やや小型かと思ったメスでもばったり出会ったら震え上がるヒグマの相貌をしていた。1時間ほどクマのサケ捕りを飽きずに見つめて、私たちはロッジに向かった。
8月4日。案内するレンジャーが「今日は珍しい」と驚くほどの晴れ渡った日となった。ツアーの目的地は1万本の煙の谷である。

1912年、カトマイ国立公園で火山の大噴火が起こった。その時の火山灰が積もって出来たのがこの谷である。 荒涼とした火山地形を眺めながら昼食となり、ロサンゼルスから来たという男に話し掛けられた。

「ヨセミテは行ったか」
「むろんだ、セコイアが素晴らしかった」

と答えたら喜ばれた。隣にいる彼の友達は来年エベレストに登るという。観光エベレスト登山が始まったと聞いていたが、こんなに身近になっているとは思わなかった。たしかに、この男は立派な体格である。

一休みの後、川のほとりまで降りて行くと、1億5000万年前の貝の化石が転がっていた。元の高台に戻り、火山灰の台地が削られて生じた渓谷を眺めた。深さ数10メートルはあるだろう。

この台地が1912年の噴火で出来、それから、わずかの間の侵食でこの渓谷が生まれたなんて信じられない。1億5000万年前の貝は今の貝にそっくりだし、私は時間の感覚を失ってしまった。

しばらくすると、ロスの男がやってきた。
「どうだい」
「いや、実に凄い」
「この景色を一言で言ったらどうなる」
「えーと」
「まず、日本語で言ってみろよ」
「ソーゴンだな」
「ソーゴンか良い響きだ、レンジャーに言ってこよう。英語ではどうだ」

そんな高級な英語は知らない。おまけに、森羅万象に神仏を見る日本文明とキリスト教文明のずれもある。しかたなく、キリスト教文明に飛び移って返事をした。

「創造だな」
「うーん、それだ。何時までも続く創造だ」
ロスの男は納得してくれたようだ。

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ツアーから帰って、再びイタリア人たちと滝へ向かった。見覚えのある巨大オスが1頭、川の中央にいるだけである。今日は上手になっていて、40分くらいの間に6匹のサケを捕らえた。

このオスグマはウロウロしているだけかと思ったが、そうではなく、水面を右、左と注意していて、サケが通りかかると、上から手を下ろしてつかみかかるのだった。

そのうちに、昨日、最後に登場したメスグマが子連れでやってきた。オスグマを警戒してか、ちょっと水に入ってはすぐに岸に上がる。

しかし、オスグマがサケ捕りに失敗して川の中ではねている一瞬の間に、さっと川に入り前足を伸ばし跳びかかるようにして、たちまち1匹のサケを捕った。クマによってサケの捕り方はずいぶん違う。

夕食の時間が迫ったので私たちは滝を後にした。帰る途中で、着いたばかりの中年の夫妻とすれ違った。
「様子はどうですか」
訊ねられてイタリア人はのんびりと答えた。

「いや大したことはないな。オスグマ1頭、子連れのメスグマ1頭がいるだけさ」
昨日に比べればクマが少ないので私もうなずいた。

「クマはいてもサケを捕らないのですか」
相手は不審そうな顔である。

「いやー、サケはどんどん捕っているよ」
「それそれ、それを見るためにはるばるやってきたのですよ」

クマがサケを捕っているのに感激しない変な人たちに話し掛けて時間を無駄にしたとばかりに、中年夫婦は双眼鏡をぶらさげて、あたふたと滝へ向かった。

夕食後、イタリア人の子供、エリック君が「クマが来るよ」と叫んでいるので、外を見て驚いた。湖から上がったクマが私たちの部屋の斜め前15メートルくらいを歩いている。

人々はいっせいにカメラをつかんで飛び出したが、クマは悠然と立ち去っていった。それにしてもここに来る人たちは筋金入りだ。その後も家族のうち、だれかは双眼鏡で湖の方を観察している。

2人とも寛いでいるのは私たちだけかもしれない。

8月5日朝。イタリア人たちは遅れて出かけるというので、通りかかったドイツ人のハイカーと滝に向かった。

彼はグループでデナリ国立公園などを回ったが、どうしてもカトマイを見たくて、仲間と別れてやってきたのだそうだ。1万本の煙の谷で、数日間1人でキャンプしたそうだから、相当な剛の者である。

もっとも、
「昨日はここでキャンプをしたが、クマがテントの周りを歩き回っていて落ち着かなかった」

とこぼしていた。

川に着いて浮橋を渡ろうとすると、30メートルほど先の向こう岸にクマがいる。クマは立ち上がってこちらを見ている。橋を渡りたいが人間がいるなといった様子である。

ドイツ人はコツコツと杖で橋をたたいて注意を促した。なんども立ち上がってから、クマは岸沿いに泳いで残念そうに上流に去っていった。

滝にはなじみのオスグマ1頭しかいない。水量が増えて難しくなったのか、1時間ねばったが、1匹のサケも捕らなかった。さすがにクマも疲れたのかアクビばかりしている。

ガイドブックによれば、カトマイがクマ見物に適するのは7月から8月の第1週にかけてとのことだ。どうやら、クマ見物のピークが終わったようである。

そして、到着した日はまだピーク時だったのでラッキーである。

昼食後にレンジャーの案内で太古のイヌイットの住居跡を見に行った。サケを捕りベリーを集め、クマを倒して生き延びた彼らの心境になってみた。

原始的生活に憧れる時がある私だが、このような一生を送りたいとは思わない。形作られる心象風景は純粋だが狭く恐怖に満ちたものだろうからだ。

レンジャー・ステーションのビデオで改めてクマについて勉強した。ここ、カトマイではクマによる死亡事故はないそうだ。素晴らしいことだ。

この情報を持っていなかったので、必要以上に恐れたともいえよう。それにしても、巨大なヘラジカを倒すヒグマがどうしてヒトを襲わないのだろうか。

ひょっとすると、ヒグマはインディアンやイヌイットによって狩られる対象だったためかもしれない。長い時間の間に、ヒグマは、ヒトは餌ではなく、警戒すべき生き物だと教育されたのかもしれない。

出発を待つ間に、ロッジのゲストブックを眺めた。日本人も10人ほどメッセージを残している。明らかにプロの人もいる。

「来年はシベリアの原野をさ迷っているでしょう」とか、「日本で30年ヒグマの写真を撮ったが、ここでは3時間で同じことができ、感激すると共にがっかりした」と記してあった。

英語のメモの多くがクマと共にここの大自然を称えていた。生涯で最高の経験の一つといった文も目に付いた。私も同感であった。

アンカレッジに引き返し、すぐにキナイ・フィヨルドに向かった。アラスカ州政府観光局の人が「海の動物ならぜひ行ってごらんなさい」と勧めるからだ。

そういわれるだけあって、ザトウクジラ、シャチ、トド、パフィンと一通りの動物を見ることができた。最初にここに来ていれば、もっと感動したかもしれない。

アンカレッジへ帰る時はアラスカ鉄道を利用した。氷河の眺めが良いルートであった。

マッキンリーを望んで

さあ、いよいよデナリ国立公園である。8月8日、アラスカ観光のバスでアンカレッジを出発した。デナリでの楽しみの一つはマッキンリー山を眺めることである。

マッキンリー山は標高6000メートルを超え北米の最高峰だ。夏は雲に隠れることが多く、短い旅でマッキンリーを望める確率は高くないそうだが、その日は好天で、チャンスがあると期待していた。

しかし、観光バスは例によって、あちこちに寄り道を繰り返している。

ついには、訓練中のハスキー犬とじゃれて、写真を撮りまくっている客のためにじっくりと腰を据えた。やっと満足した客がバスに帰り、バスはひた走った。

遠くにマッキンリーらしい山がそびえている。しかし、見晴台に着いて、バスを降りると、どこから沸いたか、雲が山頂部を隠してしまった。

雲はだんだん勢いを増してきた。犬のためにチャンスを逃してしまったのだろうか。

バスの運転手がアナウンスした。
「今から2人の客を降ろすために、デナリの鉄道駅に向かう、彼らはこれから国立公園の奥深く90マイルの位置にあるノースフェイス・ロッジに行くのだ」

駅に着いて、私が荷物を取るために立ち上がったら、「貴方がたか」とびっくりされた。

バスの人たちは公園の入口で一夜を明かすことになる。すぐに、デナリの只中に入る乗客がいると聞かされ、うらやましく思ったら、それが東洋人の夫婦で驚いたというところであろう。

「グッド・ラック」何人かの人が声をかけてくれた。

鉄道駅で待っていた、ロッジの車に乗り換えた。客は30人くらいで、経営者が同じであるキャンプ・デナリへ行く人たちも含まれている。

運転手は手塚治虫の漫画に出てくる鬼検事といった様子の、大きな眼鏡の男である。

これから、動物を見ながら、ロッジへ向かうのだ。出発してすぐに子連れのヘラジカと2頭のカリブー、すなわちトナカイに出会った。

カリブーはゆっくり見たい動物であったが、運転手は「カリブーはたくさんいる」とあわただしく車を発進させてしまった。

進むにつれ、広々とした草地が広がった。やがて地形は険しくなり、壮大なツンドラの山地となった。途中で早めの夕食をとり、休憩後、ポリクローム・パスへ向かった。

赤や褐色の山肌が露出し、緑のツンドラと複雑な模様を作っている。

アイルソン・ビジターセンターのあたりでツンドラの見事さはさらに増してきた。アルペンツンドラを歩くことも夢の一つだが、明日、それがかなえられるのだろうか。

ビジターセンターの近くに3頭の立派なカリブーがいた。ちょうど車の休憩中だったので、ゆっくりと写真を撮ることができた。

このあたりからマッキンリーが見えるはずであるが、その方向は雲があるだけである。

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ビジターセンターからワンダー湖に向けて出発した。客の1人が運転手に、冗談混じりにクレームをつけた。

「おい、後ろのバスの客は数頭のクマを見たと言ってるぜ」
「そうか」
「動物を見つけるのはあんたの仕事じゃないのかい」
「いや違う。俺の仕事は、道の上で車を走らせることだ」

それはそうだ。ポリクローム・パスからしばらくの間は崖道で、道が狭い。おまけに、運転手は「今日は頭痛がする」とこめかみを揉んでいる。

私はとにかく無事に着けばよいよと声をかけたかった。ワンダー湖の近くで再び数頭のカリブーに会った。距離も近い。たしかにカリブーはいっぱいいる。今日1日で20頭のカリブーに出会った。

ワンダー湖を過ぎてしばらく進み、8時にノースフェイス・ロッジに着いた。6時間かけてやってきたことになる。

ロッジを所有するコール家の奥さんが、一昔前のアメリカのホームドラマに出てくるような、すてきな笑顔で迎えてくれた。おいしいケーキと果物が待っている。

部屋数は15しかなく、我々はコール家の客といった扱いをされるのだ。

幸運な客と呼ぶべきなのだろう。デナリ国立公園の宿はほとんどが公園の外にあり、ワンダー湖の近くにある3つのロッジのどれかに泊まるためには、相当前から予約しなければならないのだ。

3月に連絡した私たちは、運良く2泊の空きを確保できたのである。

マッキンリーは見えないが、空が西のほうから次第に晴れてきた。通りかかった従業員にマッキンリーはどちらの方向かと聞いた。

「あの山すそのこぶのあたりだ」
「そうか、あちらを見ていればよいのだな」
「今日は多分だめさ」

10時になって日が沈んでもまだ外は明るい。アラスカ連山を眺めていると、雲が切れてきた。マッキンリーの方向にまで雲の切れ目が続いていく。

こんどは山を覆っていた雲が少しずつ上がっていく。さっきの男が通りかかり、「始まったな」といった。15分くらいでマッキンリーから雲が去った。

前山がマッキンレーの下部を隠しているので、私は急いでロッジの背後の台地に駆け上った。夕暮れの空に、大きく青白い山があった。やれやれ、これでマッキンリーを十分に見たことになると思った。

8月9日。朝、目を覚まして驚いた。マッキンリーに雲は1つもない。大変だ。朝焼けのマッキンリーを眺めようと急いで支度して出発した。

行き先はワンダー湖。昨日、奥さんに「マッキンリーが一番きれいに見えるところは」と質問したら、「それはワンダー湖ですよ。ここから1.6マイルですよ」との返事を得たからだ。

昨日やってきた車道を走ったり歩いたりして進んだ。クマが怖いので大声を出していった。5時30分、ワンダー湖の北端に達した。

湖面からかすかに水蒸気が上がりあたり一面を神秘的にしている。マッキンリーは大きく湖の向こうに立ちはだかっている。前山が隠すのはマッキンリーの3分の1ほどに減っている。

マッキンリーは雪と氷河に覆われ純白である。日が昇り、朝日を浴びると山はピンクに染まった。巨大なモルゲンロートである。

おまけにピンクのマッキンリーは静かなワンダー湖に見事な鏡像を描いているのだった。他に観客がいないのがもったいないようである。

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朝8時、好天は続いている。客たちは希望するプランごとにグループに分かれた。私たちは、もちろん、ワンダー湖のハイキングを選択した。出発する時、ガイドの1人が聞いた。

「ミティオ・ホッシーノを知っているか」

一瞬とまどったが、すぐに星野道夫だと分かった。写真といい、やや哀愁のある文章といい、私の好きな男である。星野の「風のような物語」は繰り返し読んだ。

アラスカへの憧れが具体化する時、星野道夫の影響もあったに違いない。

「当然さ。彼は写真だけではなく、文章もすごいぜ」
「そうか、彼はキャンプ・デナリにしばらく滞在したよ」

姉妹ロッジのキャンプ・デナリは向こうの高台にある。星野がにわかに身近に感ぜられた。

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レフレクション池のあたりから、一行10人は小山を登り始めた。このあたりは、完全なアルペンツンドラで植物の丈はごく低く、コケやブルーベリーなどの潅木が主体である。

道はフカフカとして気持ちよい。アルペンツンドラをハイキングしたいとの望みがかなえられたのだ。

一面にブルーベリーが稔っている。多いところはブルーベリーの畑を行くようである。ガイドのディブに勧められて、皆、始めは恐る恐る、次第に大胆に摘み取って口に入れた。

栽培したブルーベリーと同じような、あるいはそれ以上の甘さと酸っぱさだった。

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「たくさん食べたら、クマが困らないかい」
客の1人が尋ねた。
「大丈夫。ここには一杯ある」

見渡す限りの山にブルーベリーがあり、訪れる人はごく少ない。ディブの言うとおりである。無尽蔵な自然に接する喜びを本当に久しぶりに味わった。

ツンドラの小山のピークに登ればマッキンリーはいよいよ近い。晴れ渡った暖かい日で、山は全体像を現し、気が向けば一番大きいブルーベリーを選んで口に入れる。

完全だ。何も欠けることはない。私たちはワンダー湖の南端近くを眼前にして、小山の稜線をゆっくり、ゆっくり歩いていった。

ディブは客が求めているのは自然との一体感だということを知っていた。だから、ゆったり行動し、全員が飽きるまで一箇所に留まった。彼は生物に詳しいが、今の遺伝子中心の生物学を嫌っていた。

「利己的な遺伝子に動かされるロボット。自分やここの生き物たちがそうだなんて信じられない」
と1人の客に語りかけていた。

私は、自分も妻も分子生物学の領域で働いているが、あなたの意見に賛成であるとはいわなかった。そんなことをすれば、この夢の時間を放棄して彼と突き詰めた話をしなければならない。

ワンダー湖のほとりで昼食を摂り、今度はキャンプ場の入口から小山に登っていった。ここが、マッキンリーに最も接近できる所なのだ。

目の下にはマッキンリー川の川床と複雑に分かれた川筋が広がっている。

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その向こうはもうマッキンリーだ。マッキンリーの全貌と共に両側に連なるアラスカ連山もはっきり見える。

私はまたゆっくりとマッキンリーを眺めた。全体のドーム型を、そして切り立った斜面の部分や氷河を目に焼き付けようと。暖かい日を浴びて私たちはただひっそりと座っていた。

顔の緩みきった客を乗せて、車がワンダー湖北端にさしかかると、なんとそこに巨大な角のムース、すなわちヘラジカがいてマッキンリーを背景に水草を食べているではないか。

ムースはシカ族の最大種で角の長さは2メートルにも達する。ムースがじっとしているので、私たちは、角の張り出しやアゴヒゲの立派さを詳しく観察することができた。

そのうち、写真グループも駆けつけてきた。ガイド役はロッジのご主人で、彼は写真がタイム誌に載ったというプロの写真家である。

そのご主人が、おっとり刀でカメラを構えたから、相当のシャッターチャンスだったに違いない。

8月10日。朝7時にロッジを出発して帰路についた。マッキンリーはさすがにちらほらと雲を帯びていたが、いぜんとして、はっきりと見えていた。

ワンダー湖北端にはまだムースがいた。朝の光は撮影に適していると、私はたくさんの写真を撮った。

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ビジターセンターの近くでは7頭のカリブーがマッキンリーを背景にゴシゴシと草を食べていた。これまた、絶好の被写体である。

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私たちにとっては、本当にこの上もない2泊3日の旅だったが、他の客たちは一つだけ不満があった。クマが出なかったのである。ガイドによれば、これは珍しいことらしい。

私たちも協力して一生懸命クマを探したが、出会う動物はカリブーかムースであった。なんだ、ムースか、ではムースに気の毒である。

公園の入口に泊まり、8月11日、早朝出発のワイルド・ライフ・ツアーに参加した。ノースフェイス・ロッジで天気が悪かった時に備えた保険の計画であった。

幸い運転手は動物好きの男でじっくり説明してくれた。ムース、カリブー、ドールシープ、そしてクマと呼び物を見ることができて、デナリを始めて経験する客達は大満足であった。

ここのクマはハイイログマと呼ばれているが、ヒグマそのものか、その亜種である。サケの多い海岸部に棲むヒグマに比べて、山間部に棲むハイイログマはやや小型で、より凶暴とされている。

ハイイログマを見つけたのは妻である。「ベア」との叫びに運転手はあわててブレーキを踏んだ。クマはブルーベリーを口でむしりつつ前進していた。
「何時もは帰り道でクマが出るんだが、今日は行きに出て良かった」
運転手はほっとしていた。

このバス・ツアーは多くの人に野生動物を見せようとの善意が感ぜられて、悪くない企画である。

しかし、ほとんどの時間をバスの中で過ごすので、これだけでデナリを去る事になれば、宝の山を目前にと悔やんだと思う。

午後、アラスカ観光のバスでアンカレッジに帰った。バスの中で、備えつけられていたアラスカのクマの話という本を読んだ。

人里離れた所でキャンプしてヒグマに食い殺されたというような恐ろしい話がいくつか載っていた。この本を読んでいたらカトマイには行かなかったろう。

それにしても、なぜカトマイでクマによる死者が出なかったのだろうかと再び疑問を持った。人間に異常な興味を示すクマは奥地に追放するなど、目に見えないところで厳しい管理がされているのかもしれない。

星野道夫がカムチャッカで取材中ヒグマに襲われて死亡したという悲報がもたらされたのは、それからしばらく経ってからだった。

アラスカ最後の目的地はコロンビア大氷河である。原油汚染から5年経ち、かなり回復してきたと報道されるようになっていた。8月13日、バルディーズから観光船に乗った。

コロンビア大氷河は崩壊が激しくなり氷河の面には近づけない。進むにつれて氷塊の数が増え、おまけに砕けた氷が海を覆っている。氷はだんだん大きくなり、ついには高さ数メートルとなった。

こうなるともう氷山である。氷山はグレイシャー・ブルーの美しいものもあれば、白と茶色の氷の塊に過ぎないものもある。船は執拗に氷山を迂回して前に進む。ガリガリと音がする。
「おいおい、一体どこまで進むんだい」
客が驚いて恐れるくらいである。空は晴れ渡って、氷山のあちこちのグレイシャー・ブルーは空よりも青い。

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船はコロンビア大氷河を後にしてカレッジフィヨルドのバリー氷河に向かった。バリー氷河は十分に大きく、快晴の日に海岸氷河に接近したのはこれが始めてであり、私たちは幸運を祝った。

バリー氷河は崩落を繰り返していて、すさまじい砲声のような崩壊音が数分ごとに沈黙を破った。

ゆったりと帰路につく船で、乗組員とおしゃべりした。アルバイトの女子大生である。氷河の後退が激しく、観光業者は心配しているそうだ。つづいて、アラスカのクマの話になった。

「今年の夏にクマに襲われた客は1人だけだよ。襲ったのはシロクマさ」
アラスカではシロクマの数は少ない。
「珍しい話だね」
「場所はアンカレッジよ」
「冗談だろ」
「動物園で観光客が写真を撮ろうと柵を乗り越えたのさ」
クマによる事故がごく少なくなっていることは確かだろう。

降り立ったウィッティアの港からアラスカ観光の車でアンカレッジを目指した。アンカレッジに入る直前、「見ろ」とガイドがいう。晴れた空になんとマッキンリーが小さく浮かんでいた。