ゾウに乗ってトラを見に行く


DSC_0623v.jpgのサムネール画像

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見ることが難しい野生動物の1つはトラである。トラは、20世紀初頭には10万頭以上いたが、密猟のため急速に数を減らした。

一時は、21世紀には野生のトラは絶滅するのではないか、といわれたほどである。現在、野生のトラは4000頭ほどと考えられている。トラの保護に一番熱心なのはインドである。

問題をかかえながらも、懸命の努力をしている。そのおかげで、今日でも、何とか野生のトラを見ることができる。インドのトラはベンガルトラで、トラの中でも大きい部類である。

私は、いつか、ベンガルトラを見たいと思っていた。しかし、インドは病気がはびこり、治安の面でも不安が多い。おまけに、トラのいるような所は交通不便な奥地である。

行きたい場所のリストに入っていたインドであるが、計画は先延ばしになっていた。ある日、妻がいった。

「そろそろトラを見に行きましょうよ。いなくなってしまうかもしれないわよ」

妻は少女時代、中根千枝さんの「未開の顔・文明の顔」を読んで、文化人類学に興味を持ったことがある。その本に、ゾウに乗ってトラ狩に行くシーンがある。
だから、彼女の夢の1つは、ゾウに乗ってトラを見に行くことである。

2007年の始めから、集中して情報を集めた。最も大切なことはどこへ行くかである。トラを見ることができる可能性が高いのは3ヶ所、そしてゾウに乗っていける所となると、結局2ヶ所と分かった。

バンダウガル国立公園とカーナ国立公園で、いずれもインド中央部に位置する。その中で、どちらかといえばトラの密度が高いバンダウガルを選択した。
といっても、観光客が行ける100平方キロメートルほどの中にいるトラの数は30頭を切っている。さびしい数である。

バンダウガルやカーナでのサファリ体験記をネットで見たが、あまり多くは期待できないようだ。トラを見られる機会は、主に、タイガー・ショーである。

まず、ゾウ使いがゾウに乗ってトラを探す。トラが見つかると、道で待っているサファリカーの客をゾウに乗せて、数分かけて連れて行く。トラはたいてい寝そべっている。

客がトラの写真を撮ると、ゾウは引き返し、順番を待っている次の客を乗せるのである。まあこれでも、ゾウに乗ってトラを見に行くことにはなるだろう。タイガー・ショーは午前中に行われる。

午後は、特別料金を払うと、ゾウに乗ってトラを探すことができると、英語のガイドブックにあった。この場合、トラが見つかる確率は低いようだが、両方を組み合わせれば何とかなるだろう。

旅行の時期は、トラを見るためには4月から5月が良いらしい。しかし、暑いのは閉口だし、授業がある。そこで、大学の行事が少ない2月下旬から3月上旬とした。

バンダウガルに一番近い駅はウマリアである。そこから車で1時間、バンダウガルに達する。しかし、デリーやアグラからウマリアまでは夜行列車で10数時間かかる。

空路を取れば、デリーからカジュラホに飛んで、そこから車でバンダウガルに行くことができる。もっとも、車に6時間ほど乗ることになる。交通事故が多いので有名な国では、これも楽しいことではない。

そこで、変化をつけ、デリーからアグラに向かい、タージマハルを見て、そこから夜汽車と車でバンダウガルへ行き、帰りはカジュラホに抜け、寺院を見て、空路デリーに帰る計画とした。

この行程の予約はコックス・アンド・キングスの東京オフィスにお願いした。夜汽車の治安が心配だったので、デリーからバンダウガルまでのガイドも依頼した。

さらに、小道具を買いこんで、荷物を固定できるようにすれば、評判高いインドの夜汽車も大丈夫だろう。

バンダウガルでの宿は新しいロッジであるマフアコティ(Mahua Kothi)とした。ネットで見ていて新情報を入手したのだ。
インドの大手ホテルグループであるタージ・ホテルズが南アフリカのサファリの概念をインドに持ち込み、ロッジ群を作り始めたのである。

アフリカのサファリ会社で、環境保護にも熱心なCCアフリカとの共同事業である。南アフリカのマラマラで至上のサファリを経験した私には、これは興奮すべきニュースだった。

インドのセールスポイントはトラだけではない。インドは一般の観光客にも、特に欧米では人気が急上昇している。マハラジャの宮殿やそれを模したホテルに泊まることができるのも魅力である。

私たちは、2008年には結婚40年を迎える。それで、良いホテルに泊まって、マハラジャの夢を見ることも計画に加えた。高級ホテルの予約は、その方面に強いクレジットカードのサービスを利用した。

計画が出来上がると、インドの旅はとても魅力的になった。ついにフィルムカメラからデジカメに切り替えることにして、ニコンのD300を買い込んだ。

ASA3200まであるので、早朝や夕方でもトラを撮影できるであろう。

2008年2月21日、シンガポール乗換えで深夜にデリーに着いた。宿泊先のインペリアルの車が待っていた。インペリアルは植民地時代に出来た由緒正しいホテルである。

部屋には当時の絵が飾ってあった。1つは、川の中にいるトラをゾウに乗って射撃しているものである。もう1つ、トラに驚いているウシの絵もあった。トラが満ち溢れていた時代のものである。

翌日、デリー観光を楽しんだ。ガイドはコックス・アンド・キングスのアラムさん。親切で、客の希望は良く汲み取るし、日本語は上手いし、とても優秀なガイドであった。

バンダウガルに着くまで、彼の世話になるのだ。その日はフマユーン廟、ラール・キラー、クトゥブ・ミナールという3つの世界遺産、さらにマハトマ・ガンジーを記念するラージ・ガート、そしてニューデリーの官庁街とインド門を効率的に回った。

クトゥブ・ミナールの高い塔が見事であった。ガンジーを尊敬する私には、彼のゆかりの地も思い深かった。もう一つ印象的なのはオールドデリーのすさまじい混沌であった。

朝早くデリー発の列車でアグラに向かった。デリー駅は混み合っていて、大混乱であったが、アラムさんは私たちのトランクを頭上にかかげて進んでくれた。

アグラでの宿泊先はアマールヴィラス。アラビアの宮殿を思わせる作りである。売りはタージマハルがよく見えることだ。たしかに、森の上にタージマハルがそびえていた。

荷物を置いて、まず、ファテープル・スィークリーに出かけた。アクバル大帝が建設した都で、柱の彫り物が立派である。郊外にあるせいか、空いていて、ゆっくり見学できた。

午後3時半、タージマハルに向かった。ホテルのゴルフカートに乗って近くまで行き、少し歩くともうタージマハルである。タージマハルは大きく、まろやかに光っていた。

私たちは建物のテラスに登り、貴石が大理石に美しくはめ込まれているのを眺めた。そして、夕方にかけて、タージマハルが色を変えるのを待った。

たしかに、建物は、やや橙色を帯びたが、それ以上にはならなかった。地平線に、もやがたちこめ、夕日はその中に没して、きれいな夕焼けを作らなかったからである。

その日は、満月の2日後。ホテルの部屋から、月光に照らされたタージマハルを見ることを夢見ていた。しかし、夜中に起きてみても、タージマハルは見えなかった。空気が澄み切っていないからであろう。

翌朝、早起きして、またタージマハルに向かった。朝霧をうっすらとまとったタージマハルもなかなかのものである。
朝食後、アグラ城を観光した。その後、アラムさんの案内で土産物屋に。私は警戒していたが大理石に貴石の象嵌細工をしたテーブルトップはタージマハル観光の記念として素晴らしいものだった。

妻はすっかり気に入り、1つ購入した。そしてホテルでくつろぎ、16時10分発の列車を捕まえるために駅に向かった。

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列車は1時間半遅れて到着した。ガイドがいなければ不安になるところである。私たちはエアコンつき車両の2段ベッドの寝台を予約していた。席についたらすぐに南京錠とワイヤーを取り出した。

アラムさんは、手回しが良いのに驚きながら、しっかりと荷物を固定してくれた。狭いベッドにビスケットや駅で買ったバナナなどの食料を置いていると、妻が私の手に触った。

「あら、あなた熱があるわよ」

たしかに、朝から少しフラフラした感じがあった。測ってみると、脈が速い。
出発前から風邪を引いていたが、デリーとアグラの空気が悪いせいか、せきがひどくなった。でも、熱が出るとは思えない。

下痢はしていないが、軽い腹痛を感じるので、そのせいだろうと抗生物質をのんだ。厄介な病気に発展しなければよいがと、心配しながら眠り込んだ。

夜中に目が覚めると、列車は爆走していた。遅れを取り戻そうとしているのだろう。汗をかいていて、気分が良くなった。脈も正常である。抗生物質が効いたらしい。5時ごろ、アラムさんが声を掛けた。

「列車は時刻表どおりに走っています」
彼は付け加えた。

「夜中に掃除の人が来ました。ロックしてある所に触らないでねといいました。ああいうのは危ないのです」

朝5時40分にウマリアに着いた。駅には手配した車が待っていた。国立公園の入り口を通り過ぎ、7時にはマフアコティに着いた。何事もなく、目的地に着いたのだ。アラムさんは別れを惜しんで帰っていった。

マフアコティのメインロッジの前は草原で、アフリカのサバンナを思わせる。静かに、数頭のチタールが現れた。斑点が鮮やかなシカである。

トラの世界で生きているシカだから、全身に緊張感がみなぎっている。身体を流れるように移動させてチタールたちは去っていった。

すぐにコテージに案内された。外観は現地の小屋風であるが、内装はこっている。午前のサファリはもう出発しているので、午後のサファリまでゆっくりと待てばよい。私たちは昼寝して夜行列車の疲れを取ることにした。

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もっとも、別の選択肢もあった。国立公園の入り口には数台のジープが待っていた。
「どうだい、今からすぐにサファリを始められるよ」
と声をかけられた。

帰っていくアラムさんと一緒に入り口まで引き返し、適当なジープを捕まえればよい。しかし、なんだか、ガツガツした行動に思えた。無事に着いたのだ。焦ってはだめだと、言い聞かせた。

昼食の時間となった。マネージャーが食堂に現れたので、ゾウに乗るサファリのことを聞いてみた。
「午後に特別料金を払うと、長時間ゾウに乗ってトラを探すことができるのですね」
「いいえ、今はそういうサービスはしていません。ゾウに乗るのは午前中のタイガー・ショーの時だけです。もっとも、プロ写真家は、経費はかかりますが、午後にゾウに乗ることができます。」

「そうですか。私は写真コンクールで賞を取ったことはあるし、写真入りの紀行文で何度かお金を貰ったこともあるんですが」
ジョークとして聞いてみた。
「あなたは立派なプロです。2週間前に予約しなければいけないので、ぜひもう一度来てください」

マネージャーは真面目に答えてくれた。そうか、あらかじめ連絡しておけば良かったかな、と一瞬思ったが、いややっぱりだめだと、考え直した。

ゾウに乗ってトラを見に行きたいのは妻である。プロが奥さんを連れて行かなければならない理由まで考えるのは難しい。

とにかく、ゾウに乗ってトラを見に行くのはタイガー・ショーを頼るしかないのだ。いや、ぜいたくはいわない。ゾウに乗らなくても、トラが見られればよいのだ。

午後3時。いよいよサファリである。サファリカーは南アフリカと同じ、3段シートの大型車である。トラを眺めるには絶好だ。
ゲートをくぐるとすぐにチタール、そして褐色の大型シカであるサムバー、さらにアカゲザルやハヌマン・ラングールといったサルたちが現れた。

見た動物種の数を増やすという喜びはあるが、トラの前では、しょせんシカとサルである。ゆっくり写真を撮る気にもなれなかった。

少しでも多くの時間をトラ探しに使いたい。草原のかなたを、茂みの中を、目を凝らして眺めても、トラの姿はない。
そのうちに、クジャクが空を飛んだ。7色の首飾りが回転して飛んでいったような美しさだった。しかし、トラの姿はない。

もうじきトラが出そうな予感がする。100数えるうちかな。何も起こらない。あの角を曲がればトラがいるのだ。何もいない。やがて、6時になった。国立公園を出なければならない。

公園の外をロッジに向かった。ガイドが慰め顔でいった。
「運ですよ。トラは出る時もあれば、出ない時もあるのです」
     
それはそうだが、少し違う気もした。たしかに、運ではあるが、少しでも確率を上げる努力をすることで、結果は大きく変わってくるのだ。

このガイドは滞在期間中、私たちの世話をしてくれるのだが、今一つ迫力がない。まだ年が若く、未経験のところがあるのだろう。そう思っていると、呼び止める人がいる。

なんと、この先をトラが歩いていったという。ガイドはにわかにキリッとして車を走らせた。しかし、トラは去った後だった。今日は運がないことはたしからしい。

ワインやカクテルを飲んで談笑した後で、屋上で星を見ながらのディナーとなった。料理も美味しいし、リゾート気分である。滞在している人たちは盛り上がっていた。

朝のサファリではトラが出て、タイガー・ショーがあったのだ。しかも、タイガー・ショーは毎日あるわけでなく、最近は2日に1回ほどだという。ゾウ使いが毎日トラを発見できる状況ではないのである。
私は、これは朝、無理してでもサファリに行くべきだったと後悔した。少しでも確率を上げる努力をしていないのは、私も同じではないか。

朝、6時15分に、国立公園のゲートをくぐった。早朝はトラが出やすい時間帯であるが、いくら走ってもトラはいない。1時間半ほどして、ガイドは公園のゲートに車を向けた。

行きかう車との情報交換で、タイガー・ショーが始まったと知ったのだ。公園の中で、携帯電話を使うことができるのはゾウ使いだけである。それでも、口コミで情報は素早く伝わる。

「早めの番号が手に入りましたよ」
ガイドは誇らしげに、ゲートにある事務室から帰ってきた。この順番で客がゾウに乗るのだ。車は、今度は公園の奥にある第二の事務所を目指した。ここで、確認作業がある。

数分、待たされた後、出発。しばらく進むと、ゾウがいた。すぐにタイガー・ショーが始まった。私たちはサファリカーの後部座席からゾウの背中によじのぼった。

左右の背中に4人の客を乗せて、ゾウは動き出した。ゾウ使いは声をかけ、裸足でゾウの頭を踏み、そして鞭でたたいて、ゾウを進めていった。トラの姿はない。

そのうちに険しい岩山にぶつかった。ゾウ使いの厳しい声に促されて、ゾウは、30度はあろうかという勾配の岩山をよじのぼった。私は落ちないようにゾウの背中の木枠を握りしめた。

岩山を越えて少し行くと、妻が「いた!」と叫んだ。私には見えない。しかし、ほどなく、トラが視界に入った。

トラは歩いていて、後ろから見るトラの姿は意外に小さい。最初にライオンを見たときと同じだ。でも、ゾウがトラの横に出ると、大きさがよく分かる。
このトラは7歳のメスだそうだ。茶色と黒の縞がじつに鮮やかである。

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トラは真正面から私たちを見つめた。すぐにトラは視線をはずして悠然と歩いていく。トラはまた、キッと私たちを見た。目はあくまでも鋭く、そして静かだ。

トラは再び前を向いて、前方をゆったりと確かめて、何事もなかったかのように進んでいった。ゾウはトラの右になったり、左になったりと、同じ歩調でついていってくれた。

もう1頭のゾウも仲間入りした。景色は林から森に変わった。だんだんと低地に向かっているのだ。森の中でも、トラの毛皮の輝きは変わらない。トラと過ごした時間は、20分ほどであった。

私は心ゆくまでトラを眺め、たくさんの写真を撮ることができた。凝縮した透明な時間であった。
運が良いと、歩いているトラをゾウで追跡することがあるとイギリスの写真家が書いていたが、まさにその幸運に出くわしたのである。

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午後のゲームドライブ。サファリカーに乗り込んできたのは有能なレンジャーだった。車を運転するのはガイドであるが、その横に国立公園のレンジャーが乗るシステムである。

レンジャーはガイドや客が違反行為をしないか、見張ると共に、トラ探しに協力する。

このレンジャーはトラを警戒してサルやシカが発するアラームコールに気を配り、トラの足跡や糞を解析しと、活躍してくれたが、トラを見つけることはできなかった。トラの数は多くないのだ。

ロッジに帰るとバスタブにお湯が張られ、花びらがちりばめられていた。花風呂である。近くにはグラスにワインがなみなみと注がれていた。ロマンティックな設定である。私たちは、乾杯して、トラを見たことを祝った。

夕食は、サバンナの真ん中で、キャンプファイアーを囲んで摂った。タンドリの炉が置かれていて、インド式のパンであるナンの作り方が実演された。サービス満点である。

3日目の朝。ゲームドライブではやはり、トラは出ない。1時間くらい走り回ってから、草原の前に停車した。数台の車がすでに止まっている。

草原と林の境に2頭の子供を連れた母トラがいるのだそうだ。しばらく待ったがトラは現れない。ゾウ使いがゾウに乗って、そちらに接近した。

3頭のトラは移動し、草の隙間からチラと見えたと、レンジャーがいった。私には何も見えなかった。
そのうちに、タイガー・ショーが始まったとの情報が伝わり、あわてて手続きに走った。今度はたくさんの車が行列を作っている。

やっと順番が来た。ゾウに乗って少し行くと、もうトラがいた。何と2頭である。1頭は大きなオス。もう1頭はメスである。成熟したトラが一緒にいることは珍しい。

繁殖期なのであろうが、そういう時期に出くわすとは、これも幸運である。オスの巨大な体には圧倒された。2頭のトラはいずれも寝そべってウトウトしていた。

やがて、メストラが立ち上がって向きを変え、オストラもゆっくり首を上げた。それから、また2頭は目を閉じた。平和な時が流れていく。

トラの近くにいたのは、今度は数分だった。時間の点ではこれが典型的なタイガー・ショーなのであろう。帰り道、相客のニューヨークから来た弁護士が聞いた。

「あのオスはB2かい」
その通りであった。B2はバンダウガル一帯で最大のボストラだそうだ。それにしても、ボストラの名前まで知っているとはすごい。

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午後のサファリ。やはり、トラは出ない。しばらくして、草原に近づくと、1台の車が止まっている。マフアコティの車だ。この車のガイドはヒタと視線をサバンナの奥の林に据えている。

林の向こうは今日、タイガー・ショーがあったところである。彼はあの2頭のトラがこちら側に来ると判断したのである。私たちの車も待ち伏せに参加した。

静かに時間が過ぎてゆく。草原にチタールの群れが現れて去っていった。サンバーが林から現れ、そして去った。マフアコティの車に誘われて、道に停車する車の数が増えてきた。

夕闇が迫ってくる。突然、多くの車が一斉にエンジンをかけ、左側に走った。トラが出たのだ。

草原を1頭のトラが移動している。やがて、もう1頭も現れた。今朝見たトラたちである。トラは草の間から顔を伸ばして様子を探り、また歩いていった。

車は止まったり、発進したりして、トラと一緒に進んだ。しばらくすると、同乗していたレンジャーが、もっと先へ行けといった。少し走って、車は路肩に停止した。
予想は当たった。2頭のトラは車から数メートルのところまで近づいてきた。

このころになると、情報が伝わって、ほとんどの車がこの一帯に殺到してきた。トラ祭りだ。
やがて、1頭のトラは道を横切り、山に消えた。もう1頭は別の道を行ったらしい。トラを見送った人々の顔は喜びに輝いていた。

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ディナーの余興は村人のダンスである。地域と交流するというCCアフリカの考えが生かされている。明日はロッジを出発すると思うと名残り惜しい。

でも、頃合いなのかもしれない。昨夜、グラスが倒れる音がした。ネズミが出るのだろうか。マフアコティ最後の夜はビスケットなどの食料を処分し、戸の隙間を少なくし、蚊取り線香の煙まで出しというネズミ対策を講じた。
それでも、夜中に目覚めると生き物の気配がした。やはり、ここはインドの奥地なのだ。

例によって朝のドライブでは何も起こらない。ガイドは早めに切り上げて、ゲートに帰って、タイガー・ショーの事務所に行った。

タイガー・ショーがあるかどうかは分からないが、順番をとっておくのだという。レンジャーが手続きをしている間に、朝食となった。

私たちの車には合計4人の客が乗っている。全員がそそくさと朝食をすませた。まだ、トラを見るのに良い時間である。ゆっくり、朝食のムードではない。

「ここはほこりっぽい。朝食は良いけど、急ぐことにしよう」
私はガイドにおだやかにいった。ガイドはあわててマフィンを呑みこんで、車に戻った。

タイガー・ショーの中継事務所に行くと、今日もトラが見つかり、タイガー・ショーが始まったという。急いでよかったのだ。しかし、現場に着くと、トラが消えたとの情報である。ひときわ大きなゾウがやってきた。

「懸命に探していますが、見つからないかもしれません。それを承知で乗ってください」
と、ガイドがいう。

ゾウは藪をかき分けて、山道を登っていった。しばらく尾根道を進んだが、トラはいない。これは、まさにゾウに乗ってトラを探すことではないか。トラが見つからなくても良い、と思った。

ついにゾウは山を下って車道に引き返した。やっぱりいなかったな、と思っていると、ゾウは車道沿いに少し進み、また奥地を目指した。

今度の道は平らで、距離をかせげる。丘の上にゾウ使いが一人でゾウに乗って前方を見ている。彼がトラの動きを追っているのだ。指令があったようで、私たちのゾウ使いは、ゾウに激しく命令した。

なんと、ゾウは駆け足となった。しばらく走って行くと、高台にトラがいた。トラは茂みに隠れたが、ゾウが反対側に回り込むと、木の下に、大きく立ち上がったトラの姿があった。

トラはじっと前方を見つめた。そして、意を決したように走り出し、くぼ地の茂みを通って、前方の丘に登り、林の中に消えた。このままトラは深い山に入っていくのであろう。タイガー・ショーは終わったらしい。

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ゾウに乗って、トラを探し出すという、信じがたい経験であった。車に戻ると、ガイドが様子を聞いた。
「いやー、素晴らしかった」

と詳しく説明した。
「そうですか、それは良かったです。じつは、ゾウ使いはもうだめだというのを、それでも良いからと説得したのですよ」

ガイドは得意そうだった。そう、最善の努力をして結果を待つのだ。私たちの今回の幸運はガイドと客の執念の賜物である。やや頼りなげなガイドも、こうして次第に筋金入りのガイドに育っていくのだろう。

ロッジに帰ると、イタリア人の一家がいた。朝、着いたのである。
「トラは見えましたか」
「もちろん。3日間で延べ6頭ですよ」
私は快活に答えた。幸運に感謝しながら。
「本当ですか」
イタリア人たちはトラがいると喜びながらも、疑わしそうだった。

手配した車は正午に迎えに来た。たくさんの人に見送られて、マフアコティを後にした。カジュラホに着いたときは6時を過ぎていた。

急いで支度してカジュラホ・ダンスフェスティバルを見に行った。全国から選抜されたインド・ダンスの達人がライトアップされたカジュラホの寺院の前で演技するのである。

1週間ほどの公演にタイミングよく巡り合ったのだ。その日は宮廷風の衣装をまとった女性が演じる古典ダンスであった。
踊り手は1人なので、やや単調ではあるが、その後ホテルで見た古典ダンスとは明らかにレベルが違った。

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翌朝、早起きして8時にはカジュラホ寺院の敷地に入った。ガイドが遅れてくるというので、自分たちで観光を始めた。空は澄み切っている。客は少なく、花が咲き乱れていて良い雰囲気である。

真っ先に、最も有名なカンダリヤー・マハーデーヴァに行った。カジュラホの寺院はエロティックな彫刻で聞こえている。私は、早速、有名な像の実物を確かめた。

それから、ゆっくりと全体の雰囲気を味わった。そこへ、息せき切ってガイドが駆けつけてきた。
「詳しい説明は要りません。ついてきて、私たちが大事なものを見逃したら、注意してください。また質問したら答えてください」
と、頼んだ。しかし、ガイドはうなずき終わったら、すぐに、大きなだみ声で説明を始めた。だんだん、がまんができなくなって、少し小さな声にしてくれといったが聞き入れない。

そこで、大きく身振りしたら、ガイドは気分を害したらしい。
「わかりました、門のところで待っています」
このガイドは、日本語が出来るというが、会話は出来ないのであろう。私が頼んだことは理解せず、覚えこんだことを声にしているのだ。

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雑音がいなくなって、せいせいして、私たちは寺院を1つ1つ、ゆっくりと見た。回り終わって、この寺院のメッセージは何だろうかと考えた。もう一度、カンダリヤー・マハーデーヴァを眺めた。

そして、ヒンドゥー教の人生観を体現しているのだろうと思った。壮年期には、性愛を含む快楽を求め、仕事に精を出す。そして次の老年期には、宗教的哲理を探求するのだ。

性愛を謳歌する像の上には、これまた精巧に彫られた、ヒマラヤを模した屋根がある。これが、悟りの境地を象徴しているのであろう。

全力で生きた後に、悟りがある。ヘルマンヘッセの小説、シッダルタの主題でもある考えだ。勇気づけられる考えである。もっとも、インドの基準では、すでに十分老年期である私が悟りに近づいているかといえば、はなはだ疑わしい。

午後の飛行機でデリーに帰り、ラジャスタンに向かった、ウダイプールのレイクパレス、ジャイプールのランバーグパレスも素晴らしかった。

レイクパレスは湖の中の宮殿をホテルとしたものである。 私は夜や早朝のレイクパレスの写真を撮った。

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ランバーグパレスの豪華さも、さすがかってのマハラジャ宮殿である。しばらくの間、インドが私の中に住み着いてしまうな、と思った。

DSC_1063a.jpgのサムネール画像

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