花とクジラのオーストラリア 


ワイルド・フラワー

1997年8月8日、メルボルンに着いた。ペンギンパレードを見物するためである。朝のうちに、クック提督の育った家を見にいった。
イギリスから移したものだ。大探検家の生家にしては余りに小さく、部屋も質素であった。植民地時代以前のヨーロッパの貧しさを改めて認識した。
ペンギンツアーの一行はインコの餌付け、ヒツジの毛刈りといったアトラクションのあとフィリップ島の海岸に向かった。駐車場には既に大型観光バスが20台以上止まっていた。

海岸にスタジアムの観客席のようなものが出来ていて、たくさんの人が座っていた。ざっと見渡すと1000人くらいの客がいるであろう。これはもうペンギ・ショーである。

日没から少したって数羽のペンギンが上陸した。自分たちしか浜に居ないと知ると慌てて海に戻った。10数羽となった所で巣へ帰るためパレードを開始。

ペンギンの中では最も小型のコビトペンギンで、ヨチヨチと必死に歩いている。
「いろんな種類のペンギンが来るんじゃろうか」
日本語が聞こえる。ここにいるペンギンはこの一種類であるが、情報不足らしい。

「ペンギンの目を傷めるからフラッシュは厳禁です」
アナウンスが繰り返された。しかし、フラッシュは止まない。
ついに中国語、そして日本語のアナウンスがあった。日本語のものは厳しく、
「違反者のカメラは没収する」
と叫んだ。フラッシュはピタリと止まった。どちらかの言葉を理解する何人かの人がフラッシュをたいていたのだろう。

ペンギンが一番恐れるのはカモメである。カモメのほうが大きいくらいだからである。闇が迫ってくるにつれて、上がってくるペンギンの数も増えた。ユーモラスなペンギンの姿は、やはり、一見の価値がある。

西オーストラリアの中心、パースに飛んだ。翌日、ザ・ピナクルスへのツアーに参加した。最初の呼び物は砂丘である。
砂丘は氷山に似ていると思った。遠くから、つながって見えている時も、近くで複雑な側面を見せる時も。
残念なことに、四輪駆動車で上を走るため、砂丘は荒れていた。何時か無傷の砂丘を見たいと思った。

昼食はインド洋沿いの美しいビーチで摂る。近くの磯を70センチほどのアジの群が背びれを立てて泳いでいた。ここで釣りをすれば、釣りほうだいであろう。

また、ひた走りに走って、ザ・ピナクルスに着いた。ザ・ピナクルスは木の根などの侵食を免れて残った石灰岩の塔であるという。砂漠の中に、1メートルから5メートルくらいの塔が立ち並んでいる。

不思議な風景だ。夕方にここを歩いたら神秘的だろう。塔を眺めていくと、明らかに日本人と見える青年が塔によじ登っている。
もろい塔なのに、けしからん同胞だ、と思ったが聞こえてきたのは日本語ではなかった。しばらく歩くと、また塔に取り付いている東洋人の青年がいた。まったく無作法な連中だと思ったら、今度は日本語が聞こえてきた。

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8月12日、旅の目的地の一つであるモンキー・マイアを目指す。早朝の便でジェラルトンまで飛び、そこからレンタカーで北上した。西オーストラリアはワイルド・フラワーでも有名である。

シーズンは9月と思っていたが道端にけっこう花が咲いている。進むにつれて花が増えてきた、と妻がいう。予定を変更して、花見物のためにカルバリ国立公園に寄り道することにした。

国立公園に入ると黄色いマリのような花をつけたアカシアの潅木が続くようになった。より大きな木で細長い赤い花をつけたものも目立つ。これは当たりである。

私たちは駐車場に車をとめ、近くのブッシュで花を探した。ありとあらゆる花がある。おもちゃ売り場にほうりこまれた幼児のような心境だ。

走っては車を止めて、近くを探すこと3度、数え切れないほどの種類の花を見た。
緑色で複雑な形をしたカンガルーポウ、ブラシのような赤い花のブラシの木、そして小型のパイナップルのようなバンクシアは西オーストラリアの花の代表だ。

小さな水仙、尖った星状の青紫の花、マメのような花もある。赤、黄、白、紫と花の色は様々だ。葉が細く、糸状の花が多いことは、ここが乾燥地であることを反映している。

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私たちは酔ったようになって引き返した。気がつくと丘全体が花で黄色くなっている所もある。見惚れていて、ハンドルがおろそかになり、車が蛇行してしまった。

公園の出口にはピンクのサクラソウの群落がある。近くの牧場は黄色いデイジーで覆われている。

モンキー・マイアを目指して北上し、シャーク・ベイに入った。今度は道の両側で、そして続く林の中まで、黄色いマリ状の花が満開である。タンポポのような草がつける花だ。黄色いじゅうたんは果てしなく続き、その上は青い空である。

シャーク・ベイの入口でハメリン・プールに立ち寄った。複雑にうねった黒い岩が少しばかり海面から顔を出して、いくつも、いくつも続いていた。

原始時代の地球に、はびこった藍藻が作る岩である。その表面では藍藻がまだ生きているという。原始の地球ではこのような景観が広がっていたのであろうか。

続いてシェル・ビーチへ。海岸はすべて貝殻で覆われていた。サクラの花びらより少し大きい程度の白い貝殻だ。手で掬うとサラサラと下に落ちた。

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夕方にモンキー・マイアに到着。そこのリゾートに泊まった。朝、呼び物のイルカの餌付けに出かけると、浜には100人ほどの人が群れていた。

イルカは2頭やってきて、鼻先を水から上げて、早くエサを頂戴とねだった。レンジャーが持ってきた魚は3匹だから、これは自分で餌付けするのは無理だとあきらめた。

ところが、2匹目の魚を持ったレンジャーが真っ直ぐ妻を指している。
「どうしましょうか」
「いいじゃないか」
喜んで好意を受けることにした。イルカは嬉しそうに口を開けてエサを貰った。

午後になって、ジュゴン見物のクルーズに参加した。ジュゴンは人魚のモデルとなった生き物だが、数が激減し絶滅の危機にある。

ここシャーク・ベイはジュゴンを高い確率で観察できる稀な場所なのだ。ショット・オーバー号という双胴ヨットに乗り組み、海草が茂った浅場をゆっくりと探して行く。

ジュゴンの食物は海草だそうだ。最初の、港に近いポイントには何も居ない。次のポイントは相当沖のほうだ。水がきれいになってきたが、やはり海草が茂っている。

期待していると、船員が双眼鏡で見渡して何も見えないという。しかし、遠くに水しぶきを上げている生き物がいる。あれは、イルカだろうか。

船が近づいてやはりジュゴンであると分かった。船の前方10-15メートルのところで、2頭のジュゴンはゆっくりと海草を食べながら前進した。

息をするとき鼻を上げるが、それ以外は背中を見ているだけである。それでも私たちは満足だった。すると、1頭のジュゴンがだんだん船に寄ってきた。船に気がつかないらしい。

あと数メートルの所になって、突然に向きを変え、大きく尾を振って海の深みに消えた。ジュゴンの力強い尾の動きで、海面にうねりが生じ、また、ジュゴンの全身をはっきり見ることが出来た。巨大な魚のようでもある。
「クライマックスだ!」

誰かが叫んだ。その通りで、この後には、遠くからジュゴンの背中を見ているだけだった。

翌日、帰り道に、再びカルバリ国立公園に立ち寄った。気のせいか、さらに花の数が増えたようだ。ゴクラクチョウの羽のような房状の花もある。
カンガルーポウの仲間で、赤と緑の花も見つけた。公園を出てジェラルトンへの道では牧場に紫のじゅうたんが広がっていた。

気なザトウクジラ達

パースから東海岸へ戻り、乗り継いでハービーベイに達し、さらにフェリーでフレーザー島のキングフィッシャー・ベイ・リゾートに着いた。目的はクジラである。

ここは、ザトウクジラの移動ルートにあたり、たくさんのクジラを見ることができるという。アラスカでクジラを満喫したはずだが、南半球で評判の高いここはどうなっているか、知りたかったのである。

しかし、ハービー・ベイの港に着いた時はがっかりした。アラスカクルーズにでも出かけそうな巨大な船がホエール・ウォッチングと看板を掲げて何艘もとまっているのである。

私は満員の船の乗客となって海を行き、巨船に取り囲まれる1頭のクジラを眺めることを予想した。

朝、リゾートの桟橋から、ホエール・ウォッチングに出発した。中型の船で、乗客は50人くらい。それほど混みあった印象はなく、ほっとした。

しかし、1時間進んでも、イルカが見えるだけである。そろそろ心配になった頃、やっと3頭のクジラに出会った。
規則通り100メートルの距離をとって観察するが、潮吹き、背中のコブ、潜る時のシッポと定番の行動である。しばらくして場所を移るとまた2頭のクジラがいた。同じことの繰り返し。

「このクジラも協力的ではありません」
アナウンスがあって、船はさらに先へ進んだ。

次に出会った4頭のザトウクジラはヒレでバタバタ水面を叩いたり、頭を水面から出して様子を窺がうスパイホップをしたりと楽しませてくれた。

しかも、クジラのほうからジワジワと近づいて来たようだ。距離が40メートルほどになった時、1頭のクジラが船を目がけて泳ぎ始めた。もう1頭は横泳ぎして、ヒレで水面を叩きながら寄ってきた。
あっという間に4頭のクジラが船を取り巻いてしまった。

1頭は船に向かってさらに泳いできて、2-3メートルの距離になって頭を上げて大きく呼吸した。頭や口についている大仏の頭にあるようなコブが良く見える。

2頭は10メートル位先でスパイホップしている。今度は、船の前面、3メートルほどでスパイホップが始まった。フジツボのついた首が印象的だ。1頭は仰向けで船の近くを泳ぐ。

腹部の白いウネの全体像が分かる。軽く潜って逆立ちし、大きな尾を水上に突き立てて振る奴もいる。2頭が背中のコブを突き出して船から数メートルの距離でユウユウと泳いでいる。

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「後はブリーチだけだわ」
興奮した御婦人が叫んだがこれは無理であろう。ブリーチすなわちジャンプして、少し間違えれば船に飛び込んでしまう。
私はそれまでセーブしていたフィルムを使い切ってしまって、一寸クジラが見えなくなったすきに詰め替えた。

クジラはまたやってきた。さっきの繰り返しだ。船にぶつかりそうな距離で泳ぐ奴。ご面という近さでスパイホップする奴。船に向かってきて直前で潜る奴。

クジラ四頭と船一艘の乱痴気騒ぎである。私は上のデッキにいたが、下のデッキにも降りてみた。目の前をクジラの背中が通り過ぎていく。しかし全体像を見るには上が良いと、再び上部デッキに帰った。

「クジラの鼻の形はカバの鼻に似ているわ」
妻がいった。系統樹では離れているはずだが、水中生活をすると似た形になるのだろうと思った。
遺伝子の解析からそれまでの定説が覆り、クジラとカバは親戚だとのニュースがもたらされたのは、しばらく経ってからだった。

私たちの船から100メートルくらい離れていた船がたまらなくなったのか、にじり寄るように近づいてきた。
しかし、クジラたちは私たちの船の底を潜って反対側に出て相変わらずこちらの船と遊び続けた。2頭は並んで船のほうに頭を向けた。

誰かが「はい、ポーズ」といった。近づいてきた船は遠慮がちに方向を変え、やっとクジラに接近できた。

30分以上もクジラと遊んで、満足しきった乗客を乗せて船は帰路についた。ハービー・ベイの宣伝にクジラが私たちを見物に来るとあり、船のすぐ近くでスパイホップしている写真があった。ごく珍しい事だろうと思っていたが、これが現実のものとなったのだ。

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午後はリゾートの散策路を歩いた。デザート・ピーという、赤いホタルイカのような大きなマメの花があった。夕食後、ナイト・ウォークについていった。

ライトで高い木の上を照らすと、数匹のフクロモモンガが見つかった。でも飛ばない。海岸へ行って引き返してくると、今度は飛んだ。茶色い、四角な布のようになって、木から木へ20メートルくらい飛んだ。

翌日も、午前中はクジラ見物だ。しかし、クジラは少しも友好的でなかった。あとから来た船のほうに行ってしまうクジラもいる。

「あー、あちらの船は良いな」
後ろで乗客が嘆いている。といっても向こうの船と平行に少し泳ぐだけである。

午後は四輪駆動車による探検に参加した。この島は、砂地でできている島としては世界最大だそうだ。澄み切った流れに沿ってヤシの原生林を歩いた。

最終日のホエール・ウォチング。レンジャーの説明によると、船にクジラが寄り付いている時は、船は動いてはいけないそうだ。
「港へ帰れなくて困る時は、他の船に近づいてもらって、クジラが遊ぶ対象を別に作って脱出します。今シーズンにそういうことが2回ありました」

 これで、一昨日の、近づいてきた船の行動が理解できた。私たちはこの幸運に出くわしたのである。レンジャーの説明が終わったとたん、前方100メートルにクジラが見えた。

私がカメラを出そうとバッグをかき回していると、ドッと声が上がった。クジラがブリーチしたのだそうだ。慌てて顔を上げた私には水しぶきしか見えなかった。

カメラとの関係では、余り幸運ではない。カメラにかかわっている時に、クジラは何かする。

でも、今日は再び良い日だった。3頭のクジラがやってきて、船とたわむれた。スパイホップ、船に向かっての記念撮影。一昨日と同じ光景が、15分ほど続いた。

2度目のゆとりで、私はアングルを選んで写真を撮ったり、かぶりつきの所でクジラを眺めたりして過ごした。今回は救援を頼むことなく脱出できたが、オーストラリアらしい底抜けに陽気なクジラの振る舞いは驚くべきである。

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ブリスベーンへ戻って、ケアンズに向かった。すでに訪れた所だが、カモノハシを見ようとしたのである。カモノハシは卵から産まれる、珍しい哺乳類だ。動物園でもめったにお目にかかれない。

このカモノハシをツアーで見物できると、地球の歩き方に書いてあったので、計画に組み入れた。 何と、日本人対象のツアーである。

行程は通常の熱帯雨林のツアーと似ているが、カモノハシの棲むバロン川上流への立ち寄りが追加されている。
しかし、トイレ休憩がやたらに多くてスケジュールは遅れていった。何度バスを止めても、それなりに需要があり、時間がかかるから不思議である。

それでも、日没直前に目的地に達することができた。川岸に立っている人たちの間に飛び込むと、サンショウウオに似たケダモノが水面に浮いているのが見えた。

黄色いクチバシがあることを双眼鏡で確かめた。カモノハシである。胴体は黒褐色で、幅広い手足で水をかいている。じきに潜ってしまうが、しばらくすると浮上する。これを3回繰り返した。

原始的な哺乳類にしては動きがすばやい。 カモノハシが現れなくなると、あたりは薄暗くなった。