ラジャアンパットとバンダ諸島クルーズ旅行記: 多様なサンゴ礁、飛び回る極楽鳥そしてナツメグの島


ラジャアンパットの極楽鳥とサンゴ礁

2015年4月4日。オセアニック・ディスカバラー号はニューギニア島のインドネシア側に入った。かってイリアンジャヤとよばれたこの地は、今は西パプアといわれている。 クルーズの略図はパプアニューギニア・クルーズに記してある。

最初の寄港地はジャヤプラ. まず、郊外のSentani湖に面した集落を訪ねた。木の皮から作った布状のもの上にきれいな模様を描いたのが、ここの特産品だ。そして博物館へ。様々な彫り物などが集められていた。

4月5日と6日をかけて船は、Padaido島とMansinam島に立ち寄りながら西に向かった。目指すはラジャアンパット。海中の生物多様性が世界最高レベルだと近年、人気が急上昇している島々である。

ニューギニア島の西北端から少し西北に進んだ所にある。まさに赤道直下である。

6日の昼食時、Jayapuraから乗り込んできたインドネシア人のガイド、オズワルドと話をした。彼は、現地の最新情報に基づいて、スケジュールの最終調整をする役だから、眼が効いている。

極楽鳥のことも聞いてみた。バードウォッチャーにとって、最も魅力的な鳥の1つは極楽鳥(フウチョウ)である。
極楽鳥にも様々な種類があるが、典型的なものは羽色が美しく、長い変形尾羽を持ち、そして複雑なコートシップ・ダンス(メスを誘うダンス)をする。テレビのドキュメンタリーに適切な題材だ。

しかし、現実に、典型的な極楽鳥を見ようとするとニューギニアの奥地、ことに高地に行くことが第一選択肢となる。かなりの覚悟が必要だ。

このニューギニア一周クルーズでも極楽鳥を見られるかもしれないと宣伝していた。一番可能性が高いのはラジャアンパットのGam島だ。しかし、記述はぼんやりしていた。

本当に極楽鳥を見ようとすれば夜明け前に出発しなければならないはずだが、はっきりしない。おまけに、送られてきた最終案内ではGam島の極楽鳥は消えていた。ひょっとして復活するかと淡い期待を持ってオズワルドに聞いたのである。

「見に行きます。今は良い時期なのです」

オズワルドは白い歯を見せて笑いながら、きっぱりと言った。シーズンは4月から9月とのことだ。朝5時に出発だそうだ。これは本物だ。極楽鳥の夢が復活した。

4月7日。朝、ラジャアンパットに着いた。船は最大の島、Waigeo島に深くえぐられたKabui湾を進んでいった。ラジャアンパットの島々は石灰岩でできていて、典型的なカルスト地形とされている。実際、切り立った崖や、水際がえぐられたキノコ状の小島がたくさんあった。

まず、Xplorerで周囲を観光してから、シュノーケリングとなった。サンゴの見事さではパプアニューギニアのTwin Towerに劣るものの、さすがラジャアンパットで多様な海中風景だった。

大きなサンゴの山があり、また黄色い枝サンゴには赤い魚が群れていた。ブロッコリー状のソフトコーラルがあり、カイメンも生き生きとしていた。

赤、青、黄色と多様な色のイバラカンザシが大きなサンゴにたくさん住みついていた。イバラカンザシはゴカイの仲間で、英語ではクリスマスツリー・ワーム。サンゴの健康度の指標とされている。

分布は広く、日本でも見ることができるそうだが、私にとっては初めての光景だった。残念なことに、もう一つのカメラも水没。海中風景を写真に収めることはできなかった。

午後は近くの小島であるGam島の南部に上陸した。住民たちが浜で迎えてくれ、歓迎のダンスとなった。さらに、地面に穴を掘り、焼いた石を敷き、そこにヤムいもなどを入れ、石の熱で調理する石蒸し料理が披露された。焼きあがったヤムは美味しかった。

船はそのままGam島沖に停泊した。明日夜明け前に、極楽鳥見物のツアーが出発するのだ。目的の鳥はベニフウチョウ(red bird of paradise)。ラジャアンパットの固有種である。

4月8日。朝5時。12名の客を乗せてXplorerは出発した。前日の説明でジャーミーが「険しい道を歩く」とか、
「静かにしているように。前回は1羽やってきたが、少し居て、誰かが物音を立てたら飛び去った。それでお終いだった」などというので多くの人が敬遠したのだ。

私はオズワルドの話しぶりから、もっと多くを期待できると信じていた。鳥を見るのは少人数がいいので、参加者が少ないのは結構なことだ。

上陸して、村の現地ガイドと合流し、ヘッドランプをつけて歩き始めた。すぐに登りとなる。ペースは速い。夜中に雨が降ったせいか、登山靴でなくズックだったせいか、滑りやすく難儀した。

しかし15分歩いたら休憩。5分後に出発。40分くらい歩くと、鋭く、大きく、そして美しい鳥の声が聞こえてきた。一度聴いたら忘れられない深い声だ。クウァー、クウァーとでも書き表せようか。

「極楽鳥がいます。ライトを消して、カメラを出して」
現地ガイドが言った。

それから30メートルほど進むと、3列の長椅子が置いてあった。椅子の10数メートル前方に巨木が立っていた。木のてっぺんの枝は、一部の葉がなくなっている。極楽鳥が舞台用にと葉を取り払ったのだ。

ガイドは私の三脚を椅子の列の後ろにセットしてくれた。これならほかの人の邪魔にならない。後ろの方が角度としてもいい。しかし、枝に邪魔されて見えなくなる確率は高い。

実際、鳥が来たという声がしても、私には見えない。三脚はあきらめて、カメラを持って場所を変わった。
やっと見えた。1羽の鳥が飛んできて止まったのだ。極楽鳥だ。やったぜ、と撮影。6時15分ほどだ。しかし予想していたように困難な状況だった。

薄暗く、おまけに、いわゆる空抜けである。ISOを10000位にすると、やっと1/640のシャッターが切れる。レンズは400mmのズーム。しかし、撮れたのは黒い姿のみ。

それならと、RAWにして現像にしてみると、なんとか色が出たがこれではマダラに色のついたカラスである。おまけに画像はザラザラ。

双眼鏡で見ても黒い姿。時々妙な形をする。これはダンスなのだが、詳しいことは分からなかった。
格闘しているうちに、次第に明るくなってきて、鳥の色が見え始めた。やってくる鳥の数も増えた。一度に7羽くらいいるだろう。

鳥は羽ばたいてから、隣の枝に飛び移る。1羽が飛ぶと他の鳥もつられて飛び立つ。羽の色は下から見ると明るいワインレッドなので壮観である。見とれてばかりいられないと、この飛び回る様子を撮影することにした。

連写するので、メモリー切れを心配して、RAWからjpgに変え、露出補正はプラス1.7. ISO4000と無理をして、なんとかシャッタースピード1/1600を確保した。

6時45分ごろになると、帰って行く鳥も多くなったが、撮影条件が良くなったのはこのころだった。連写、眺めて、連写。これを繰り返した。

7時になって、ジャーミーがもう帰らなければといった。出航の時間もある。ぎりぎりまで頑張ってくれたのだ。
どんな写真が撮れているか心配だったが、船に帰って詳しく見ると、美しく羽を広げ、糸のような変形尾羽をなびかせて飛んでいる姿が何枚も写っていた。

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肉眼では、私には、変形尾羽は見えなかった。もっとも妻は見たそうなので、私の目が悪いのかもしれない。ISOを上げているから、ザラついているところもあるが、なんとか我慢できるレベルである。

ベニフウチョウは赤い飾り羽を持ち、頭部は緑、首が黄色、羽は表から見ると褐色である。やはり露出不足だった画像を調整すると、頭部と首そして飾り羽の鮮やかな色も、少なくとも部分的には、再現されていた。

ベニフウチョウのディスプレイは枝に止まって羽ばたいたり、逆立ちをしたりするのだそうだ。撮った写真には、羽ばたきだけでなく逆立ちも記録されていた。

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オスのダンスを遠く見守るメスの姿もあった。

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全体のシーンを肉眼で見て、さらに双眼鏡、あるいは望遠レンズで細部を見、それでも瞬時の出来事でよく分からないところは撮影した画像で知るという、私のスタイルで、極楽鳥の姿を堪能したのである。

クルーズ船に乗って行くというお手軽、安楽な方法にしては、予想を超えた素晴らしい経験だった。

おそらく、昨年の10月、このクルーズ船が来たときには時期が悪く失敗だったので、最終プランから極楽鳥が抜けたのであろう。それを、今は良い時だとオズワルドが説得して、復活させてくれたに違いない。幸運なことである。

船は出航して、Waigeo島西部のAljui湾に移動した。ここに黒真珠の養殖場があり、見学できる。しかし私はシュノーケリング、妻はグラスボトムボートを選択した。どちらも、見事な海中風景を眺めることができた。

飛び込むと、眼下は一面のキャベツコーラルだった。そして銀色の小魚の群れがやってきた。これをかき分けて岸に近寄ると、大きな枝サンゴの林だ。その中にランプの傘状の巨大なカイメンがあった。

カイメンには銀緑色のウミシダがとりついていた。よく見るとサンゴの所にもいる。ウミシダも多様だ。大きなテーブルサンゴも見える。二重になって渦を巻いているようだ。

明るい緑色のサンゴはことに美しい。赤いトサカ状のソフトコーラルもある。さらに岸沿いに泳いでいくと、ドロップオフとなった。白いオオイソバナのようなものが見える。テーブルサンゴも張り出している。様々な魚もいる。

サンゴの海を泳いでいくと、鳥になったようだ。サンゴを見下ろして飛んでいくのだ。パプアニューギニアのTwin Peakと並び立つ素晴らしさだった。水中カメラが壊れたので、コダックのインスタントカメラを買って使ったが、ろくな写真とならなかったことだけは残念だ。

4月9日早。船は赤道を越えた。そしてラジャアンパットの北端にあるWayag島に着いた。ここのカルスト地形はことに目覚ましい。マッシュルーム状の小島が至る所にある。

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島の高い所に登ってこの絶景を眺めるツアーもあった。しかし道なき道を行くというし、極楽鳥見物ではズックを履いたせいで、やたらに滑ったので今回は敬遠した。

代わりに浜でシュノーケリング。明るく澄んだ水だった。テーブルサンゴが多層になっていた。黄緑色のサンゴは特に見事だ。淡い青色の魚がサンゴに群れていた。世界は光り輝いている、何を恐れることがある、という気分になる場所である。

船に帰ると、アナウンスがあった。

「問題が発生した。全員ラウンジに集まるように」
という。何事であろうかと行ってみると、恐ろしげな恰好をした海神ネプチューンがやってきた。赤道通過の儀式で、もちろんネプチューンは乗組員の変装である。

ネプチューンはご乱行となり、ほかの乗組員を縛り上げ、魚まみれにした。オーストラリア人らしい底抜けのジョークである。
午後、Xplorerでクルーズ。マッシュルーム状の小島が、澄み切ったサンゴの海に映えていた。切り立った絶壁も見事だ。

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4月10日。再び赤道を越えて南半球に戻った。そしてFam諸島の一つ、Penemu島に上陸した。ここには整備された板の道があり、見晴らし台に行くことができる。そこからの景色はWayag島とほぼ同じだとされている。

確かに、マッシュルーム状の小島がサンゴの海に点在していた。素晴らしい景色だが、残念なのは逆光気味で、写真に良い色を出すのが難しかったことだ。午後がいいのかもしれない。もっとも事情はWayagでも同じだろう。

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そして、シュノーケリング。大きな枝サンゴが峰をなしていた。多層になった黄緑色のテーブルサンゴも素晴らしく、今まで見たものの中で最高だ。しかもインスタントカメラで何とかこの姿を捕えることができた。

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様々なソフトコーラルもある。深い所では白い幹に褐色の葉がついたような、大きなソフトコーラルが群生していた。ソフトコーラルは波の動きにつれて揺れて、ゆったりとダンスをしているようだ。

午後、船はラジャアンパットの西端にあるBoo諸島に向けて出発した。

4月11日。オセアニック・ディスカバラーはBoo島沖に停泊した。

朝、Xplorerによる探索が始まり、遠浅の海を進んでいった。マダラトビエイが黒い影を落として泳いで行った。その後、シュノーケリング2回。Boo諸島は遠隔地のため管理が不十分で、ダイナマイトを使った漁が行われたこともある。

だから、サンゴが根こそぎ壊れているところもある。しかし、2度目にシュノーケリングしたところでは、破壊を免れた部分が多く、ノアの方舟のように、圧倒的な多様性が残されていた。

見事だったのは赤紫のサンゴ。先端部分は花の様だ。ソフトコーラルの種類も多い。褐色のものだけでも松葉状、柳状などなどである。白く半透明な葉のようなものもあった。

白く、大脳の表面のような溝のある巨大な塊もあった。サンゴか、ソフトコーラルか、イソギンチャクかと迷ったが、所々に穴があるのでカイメンだろうと判断した。魚もたくさんの種類がいたが、とても記憶できない。

4月12日。船は南下してMisool島のMesempta水路に到着した。切り立った崖の島が並んでいる。早朝、私たちはXplorerに乗った。

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朝の風景を眺めるためと、狭い水路を行くオセアニック・ディスカバラーの写真を撮るためだ。朝食後、もう一度Xplorerで水路を探索した。

赤紫の美しいランが水面近くに垂れ下がっていた。これまでにもランを見ていたが、ここのが一番きれいだ。

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そして食虫植物であるウツボカズラも見られた。

その後、待望のシュノーケリング。ここは岸からすとんと落ちて、しばらくの間平らとなる。そのかなりの部分が生きたサンゴで覆われていた。特にここがポイントだといわれたところは見事なコーラルガーデンだ。サンゴは先が丸く、小ぶりである。

褐色を帯びた黄緑色のサンゴが主体で、その間に赤紫色や灰色で紫色を帯びたサンゴが混じっている。サンゴは無傷で、全体として落ち着いた美しさだ。私は何度も何度もこのガーデンの上を泳いで行った。

ここには、小さなタツノオトシゴがいるので有名であるが、探し方が悪く残念ながら見つけられなかった。

そしてドロップオフに行くと、見事な大きな枝サンゴ、キャベツコーラルとあり、サンゴが死んだところがあり、さらにソフトコーラル、大きなテーブルサンゴと実に多様だ。

午後、近くのWagmab島でシュノーケリング。地形は似ていて、ドロップオフには白や赤のソフトコーラルがあった。
驚いたことに、ソフトコーラルでできたコーラルガーデンがあった。赤褐色、淡い紫色、淡い緑色と多様な色が混じっていた。私は名残惜しく、このソフトコーラルのガーデンで時間を過ごした。

こうしてラジャアンパットの旅は完結した。ラジャアンパットは乾季だというだけあって、全体に晴天で、たまに短くスコールがあるだけと、天候にも恵まれた。サンゴ礁は多様性に満ちていて、力強く無傷なパプアニューギニアの海とは性格が異なり、共に超一級のものだった。

もちろん、飛び回る極楽鳥も忘れられない。船は最後の目的地であるバンダ諸島に針路を向けた。

バンダ諸島

ラジャアンパットから南下し、Seram島を迂回してさらに行くと小さな島が散らばった群島に出る。モルッカ(マルク)諸島の一部をなす、バンダ諸島である。

中世のヨーロッパで珍重された香辛料は胡椒、クローブそしてナツメグであった。これらは味付けの役目と共に防腐作用があると信じられ、極めて高価で取引された。

胡椒はインドとスマトラ島が原産地で、クローブはモルッカ諸島の小さな島であるTerunate島とTidore島でのみ生産され、そしてナツメグはこのバンダ諸島の特産である。

大航海時代の幕を開けた原動力はこれらの香辛料を求めてであったとされているから、今や忘れ去られたバンダ諸島がかっては重要な島々であったことが理解できる。

4月13日。船はバンダ諸島に近づいた。ポケットサイズの富士山と称せられるGunung Apiが迎えてくれた。

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もう一つの出迎えは20人ほどの人が力を合わせて漕ぐ長大なカヌーで、2艘で競争までしてくれた。

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停泊すると、早速Xplorerに乗り換えて観光クルーズ。中心となるBandaneiraには家が立ち並んでいた。そしてモスクの黄金色のドームが光り輝いていた。

昼食後はGunung Apiの近くでシュノーケルの予定だったが、気乗りしなかった。Gunung Apiは20年ほど前に大噴火し、あたりのサンゴは死滅したと聞いていたからだ。溶岩流の流れた跡を見るのだと皆で噂していた。

念のために、オズワルドに聞いてみた。
「サンゴは復活していますよ。お薦めです」

意外な返事に驚いて、急いで支度して、シュノーケルツアーに参加した。やはり何時もより人が少ない。

目覚ましい景色が待っていた。山のなだらかな傾斜は海中でも続いていた。そして、その斜面を枝サンゴが埋め尽くしていた。サンゴは緩やかな塊となり、この塊が果てしなく続いて、紺色の深みに消えていく。

黄緑色のものが多く、淡い灰色の塊も混じっている。死んだサンゴはほとんど見えない。驚くべき回復力だ。水は澄み渡り、明るくのびやかな風景である。所によっては小型のキャベツサンゴの群落もある。

魚の種類も多い。しかし、黄色のヘラガヤ以外は同定できなかった。

何と、最高の海がまた一つ増えてしまった。私は飽きることなくサンゴの上を泳ぎ回った。

船に帰ると急いでシャワー。着かえてまたXplorerに乗った。上陸して、高台を目指す。ここにオランダ統治時代の城塞がある。
下の庭園、遠くの海さらにGunung Apiと眺めることができる。ここで日没を愛でながらスパークリングワインを飲むのだ。

オセアニック・ディスカバラーの乗組員は全員オーストラリア人であることを誇っている。ウェイトレスたちは若くきびきびして気持ち良い。今回も手早くグラスを満たして客に渡していた。

民族衣装の若者たちが踊りを披露してくれた。そのうちに、日が沈もうとしている。良い設定だ。

4月14日。観光のため再びBandaneiraに上陸。古い井戸の跡を見た。バンダ諸島では大虐殺があった。 オランダ東インド会社の長官がナツメグの栽培と販売を独占しようと、ほとんどの住民を一掃してしまったのだ。

その時、処刑される運命の有力者たちは、イスラム教徒らしく死にたいとここで身を清めたのである。

この後、丘を登っていき、ナツメグ園に達した。高さ数メートルの木に梅ほどの大きさのナツメグがたくさん実っていた。写真のような道具で実を取る。

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係りの人が説明してくれた。ナツメグの果肉を割ると大きな種子が現れる。種子を覆っている赤い皮状のものがメースだ。

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ナツメグは種子の仁から作るが、果肉もメースも似た味だそうだ。果肉の砂糖づけを売っていたので、購入して味を試した。好みの味ではなかった。

港へ帰って民族舞踊鑑賞。鮮やかな衣装を着た踊り手たちは跳んだり走ったりとダイナミックに演じてくれた。

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最後に訪れたのは博物館。オランダ人による大虐殺を描いた絵もあった。植民地支配の罪悪を今に伝える絵である。もっとも日本人雇い兵も虐殺に関与したようで、正面の人物はふんどし姿だし、後ろはさらし首かもしれない。

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こうしてすべての観光プログラムは無事終了した。4月15日は終日航海。ここで船長の講演を聞いた。
オーストラリアを発見したのはクックではなく、バンダ諸島を出航したオランダ東インド会社の船で、ヨーク半島に到着したそうだ。

このことを記念して、その船が再建され船長も乗って航海したとスライドを示した。

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16日の朝ダーウィンに上陸した。 一泊してシドニー経由で帰国した。

結果的には大成功のクルーズだった。魂の奥底に刻み込まれるような経験を幾つかすることができたのである。