マダガスカルの原猿たち


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ベレンティ

見知らぬアフリカの町で、深夜に迎えが来なかったら、と一抹の不安をかかえて出口を出たが余計な心配だった。私の名前を高々と掲げてガイドのナリソンさんが待っていた。

2007年8月15日。マダガスカルの首都、アンタナナリボの空港に夜10時過ぎに着いたのである。

ナリソンさんは、上手な日本語を話す。説明を受けながら、宿のヒルトンホテルに向かった。

マダガスカルはキツネザルとバオバブで有名だ。2002年に一度計画したが、政情不安で中止した。5年を経て、そろそろ落ち着いたろうと再挑戦である。

横っ跳びをするシファカが棲むベレンティ、高い鳴き声のインドリが見られるペリネ。はじめから興味を持っていた、この2箇所に、今回はバオバブのモロンダバを加えることにした。

安全な国とも思えないのでツアーを探したが適当なものがない。日本のツアーで、この3箇所を行こうとすると、あわただしい。ヨーロッパからのは北部のビーチでゆったりしている。

そこで、アフリカ旅行のエキスパートである道祖神に手配を頼んだ。2002年の時も道祖神に依頼していた。キャンセルするとき、事情が事情ですからとキャンセル料を取らなかった良心的な会社である。

道祖神はマダガスカルツアーも実施している。ベレンティの後半からモロンダバはこのツアーと重なるように計画した。

同じ会社だから一緒に動いてくれて、個人旅行の不安が和らぐだろうと思った。

アンタナナリボまでの飛行機はパリ発のエールフランスにした。ポルトガルを見てからのマダガスカルという夏休みプランである。

ポルトガルは大航海時代の栄華を伝える修道院が素晴らしかった。マヌエル式の柱に囲まれた中庭は不思議な空間を作っていた。

ユーラシア大陸の西端、ロカ岬も訪ねた。近くの海はエメラルド色、その向こうは深い藍色、空は晴れ渡り明るい青色。しかし、空と海の境はかすんで、はっきりしない。 この混沌を目指して船乗りたちは旅立ったのだ。

ポルトガルは順調だったが、マダガスカルは自信がない。まず、間延びした計画になった。ベレンティ3泊と思ったのが、4泊になった。

エールフランスが毎日飛んでいなくて、道祖神のツアーと重なるようにしたら、こうなってしまった。ペリネは2泊と適当だと思っていたら、エールフランスのスケジュールが変わり、これも3泊となった。

アンタナナリボ・ヒルトンに入ったら日付が変わり、8月16日。早朝のフォールドーファン行きの飛行機を捕まえるため4時起床だから、ほとんど寝る時間がない。

マダガスカル航空のスケジュールはくるくる変わるので、このことが分かったのは出発直前である。

フォールドーファンでは迎えの車でルドーファン・ホテルへ。これから植物園などの市内観光をしてベレンティへ向かう予定である。

しかし、寝不足なので、できればベレンティに直行してゆっくりしたい。相談すると、「もちろん結構です」となった。

車で出発してすぐに気が付いた。帰りの飛行機の再確認はこのホテルに依頼するはずだった。チケットをホテルに預けるようなことを昨日のガイドはいっていた。

片言のフランス語で運転手に相談した。「ベレンティで出来るよ」とのこと。信用して、車を進めてもらった。

市街地はやたらに人が多い。しかし、特に女性は丸顔のアジア的な人が大多数で、親しみやすい。フォールドーファンを抜けても、たくさんの人が道を歩いている。

女性は背をすっと伸ばして、頭に荷を乗せ、スタスタと歩いている。男は天秤棒で荷を担いでいる。道は舗装がはげているので、がたがたした悪路だ。

ベレンティまで80キロしかないのに、3時間の予定なのはそのためだ。さすがに人気がなくなり、道半ばを超えたところで、景色が変わった。とげの森に入ったのだ。

とげの森はマダガスカル南部の乾燥地帯に分布する。ディディエレア科の植物とユーフォルビアがこの景観を形作る。

ディディエレア科はマダガスカルに固有で、和名はカナボウノキ科である。その中でアルオウディア属が目立っている。

長い棒状の幹が何本か立ち上がって、そこに葉ととげがついているのがアルオウディア・アスケンデンスとアルオウディア・プロケラである。

私はとげの森に期待していたので、アルオウディアが見えるとすぐに車を止めてもらって写真を撮った。少し行くとまた停車。でも、これは焦りすぎだったようだ。

しばらく進んで、「ここが良いよ」と運転手が車を止めた。なだらかに谷へと下がる道だった。高さ10数メートルはあるアルオウディアが、たくさん生えていて、大コンブのようにゆったりと風に揺れていた。

その間を、細かい枝のユーフォルビアが埋めていた。ユーフォルビアは何種類かあるようだが、ヒジキのかたまりかイシサンゴのようだった。

そうだ、この景色は海底に似ている。谷の向こうはまた緩やかに上がった丘陵だ。車はアルオウディアとユーフォルビアに満ちた丘を1つ1つ越えていった。

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お昼ごろベレンティ保護区に着いた。案内されたバンガローは貧弱で、白っぽい室内にベッドが2つ置いてあるだけだ。気を取り直して昼食を摂り、疲れをとろうと、ベッドに横になった。

ところが西日が当たり室温はどんどん上昇した。日本の夏並みとなったが、扇風機もない。どうもおかしい。

ベレンティのバンガローは大部分、木製なのだが、一部の古いのは石製で条件が悪いとの情報があった。

出発前に道祖神を通して確認したら「木製です、ただ最後の日は変わって頂くかもしれません」との返事をもらっていた。

安心していたがこれは石製の古いのではないか。急いでマネージャーに会いに行った。

「たしかに石のです。でもこのほうが、蚊が入らなくて良いですよ」
「いや、蒸し焼きになりそうなので、木製にしてください」
「分かりました。明日から変更しましょう」

やれやれ、何とかなりそうである。ほっとして散歩していると早速シファカに出会った。距離的には遠いものの横っ跳びを披露してくれた。

8月17日朝。ワオキツネザルの群れが太陽に向かって手を伸ばし、日向ぼっこをしている。

写真を撮っていると、ワオキツネザルに鋭く声を掛けている男がいる。いじめているのかと、びっくりしたが、視線を向けさせようとしていると分かった。大きなデジカメを抱えている。

私のカメラも大きいので、カメラ仲間とばかり一緒に行動してワオキツネザルの写真を撮りまくった。

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ガイドのジャンがやってきて
「ドイツ人の一家とあなたがたを一緒に英語で案内します」
という。
「もちろん結構です」
と答えた。ジャンは次にさっきの男に近づいて

「日本人の夫婦も一緒です」
と告げた。ドイツ人は明らかに不審そうな顔をしたが、私が後ろから

「俺たちとだよ」
と声を掛けると「そうか」とすっかり安心した表情になった。

朝のツアーが始まる前に、急いでマネージャーに会いに行った。

「それが、実は満室で変更できないのですよ」
と渋るマネージャーを拝み倒して、部屋を変えてもらった。

木製のバンガローは内部を籐が覆っていて、センスのあるものだった。風通しがよく、午後でも涼しく過ごせる構造になっている。

飛行機の予約の再確認も依頼した。

「分かりました。チケットを渡して下さい」
マネージャーは気軽に引き受けた。

9時にジャンに率いられて、保護区内のウォーキング・ツアーに出発した。まず、チャイロキツネザルの群れ。どこかタヌキに似たキツネザルである。

つづいてシファカ数頭の群れに出会った。シファカ、正式には、ベローシファカは全身の大部分が白色で、顔の前面や頭など一部が黒色の大型キツネザルである。

後ろ足が発達していて、跳躍力が優れている。シファカは木の葉の朝食を摂っていた。そして、時々、木から木へ飛び移る。跳躍の瞬間を撮ろうとしたが、なかなか上手くいかない。

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シファカの移動方向で、木が途切れてきた。
「さあ、地面に降りるぞ。シファカ・ダンスだ」
とジャン。

シファカの前足は小さく、4足で走るのは苦手で、地上は横っ跳びで移動する。私たちはカメラを構えて待った。

しかし、跳躍のスピードが速いので、カメラのフレームに収めるのは大変だ。ドイツ人も顔をしかめている。

保護区内を一回りして、博物館に入った。一通り展示を見て、建物を出るとジャンが走ってきた。
「近くの木にシファカの群れがいる。もうすぐダンスが始まる」

待っていると、たしかに、シファカが1頭ずつ地面に降りて、横っ跳びで懸命に道を横切っていった。私たちはまた、たくさんのシャッターを切った。

「ドイツ人」が持っている大型のデジカメはキャノンの最新型である。
「これまではフィルムカメラだったので、フィルムの持ち運びが大変だったわ。1旅行で200本使うの」
と奥さん。

「そんなには使わない。100本だ」

いずれにしても大変な量である。奥さんは流暢な英語を話すが、ご主人はそうでもなく、
主に母国語を話している。10代後半と思われる息子と娘の英語も上手だ。

団結の固い一家らしく、奥さんはカメラのケース、娘さんは撮影用小道具を入れたケースを担いでいる。しかし、彼らはドイツ人とは思えない。どう聞いてもご主人の言葉はドイツ語ではない。

時々フランス語的な響きも入るが、南欧系の言葉とも思えない。私は勝手にベルギー人だろうと推定した。

これは私の知識不足であり、フランス語に似た言葉と推定するのであればルクセンブルグ人とすべきと、後で分かったのだが。

午後3時、保護区のはずれにある、とげの森へのツアーに出発した。とげの森ではアルオウディアとユーフォルビアが茂る道を谷間に下り、また丘の上に上った。

アルオウディアにもいくつかの種類がある。茶色の枝がたくさん竹箒のように上を向いているのもある。私は1つ1つの木を見、全体を眺め、うっとりと歩いていった。

でも植物だけでは満足できない人も多いだろう。ネズミキツネザルとイタチキツネザルという夜行性のキツネザルを探すことになった。近所の女の子2人が走り回って見つけてくれた。

イタチキツネザルは木の洞からキョトンと顔を出していた。

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ネズミキツネザルは小型で、高いところでじっとしているので、やっと見えるという程度である。

帰り道にサイザル工場へ行った。アロエの1種、サイザルの葉がトラックで運び込まれていた。これを機械で押しつぶし、水で洗い流すとサイザル麻の繊維が残る。簡単だが見事な工程である。

見物を終わって、ジャンに聞いてみた。
「明日は日本人のツアーが来るね」

道祖神のツアーは明日から2泊の予定だろう。しばらくは一緒の行動だと思っていた。

「日本人は、明日は来ない。明後日だ。プリンスの御一行だ」

びっくりした。秋篠宮様とお嬢様の眞子様が夏休みにマダガスカルを旅行されることはニュースで聞いていた。時期的には重なるが、広いマダガスカルでご一緒の時があるとは思わなかった。

マネージャーがバンガローのやりくりに苦労したこともよく分かった。それより、宿が取れたことに感謝すべきだろう。

ロッジへ帰って一休みして、また、とげの森へ向かった。ナイト・ウォークである。もう日は落ちて、アルオウディアのコンブのような枝とユーフォルビアが幻想的なシルエットを作っていた。

澄み切った空で、三日月が満月のように明るい。ナイト・ウォークの目的は夜行性のキツネザルを見つけることだ。ジャンはしばらくして、イタチキツネザルを発見した。

今度は全身が見えた。リスのようだ。しかし、ネズミキツネザルは見つからない。かなりあちこち探したが空振りで、ジャンは悔しがっていた。

8月18日朝。まずは、シファカ・ダンスである。やっと私も慣れてきて、それらしい撮影ができるようになった。

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つづいて、保護区を出て近くのバオバブの木を見た。バオバブはモロンダバが本場であるが、ここのバオバブも、ずんぐりしているものの、幹が太く枝張りも良く、なかなかのものであった。

さらに走って別の保護区に入った。とげの森が保護されている。ディディエレア・トローリーが生い茂っていて興奮した。

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この木はアルオウディアの親戚であるが、タコの足のように曲がりくねった細い枝が、湧き出すように伸びているのである。とげの森の、満ち足りた散歩の後、近くの市に立ち寄った。

子供たち、そして少女たちがじっと私たちを見つめていた。顔つきに類似点があるから、身近に感じてしまう。ここに生まれたら、どうなっていただろう。やはり、呪術医を志したろうと思った。

ベレンティに帰って、午後3時にはオオコウモリの集団を見に行った。オオコウモリはオーストラリアでも見ているが、ここのコウモリは、昼間でも一部が飛び回っている。

私は、飛んでいるコウモリを撮ろうとまた、大量のフィルムを消費した。

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そして、シファカ・ダンスである。ジャンは的確に横っ跳びをしそうなシファカの群れを見つけるのである。

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再びナイト・ウォーク。やはりネズミキツネザルは見つからない。ジャンがあせり始めた時、なんと「ベルギー人」の息子が発見した。目がライトの光を反射したのだそうだ。

ネズミキツネザルは本当にネズミくらいの大きさしかない。茶色と白の毛皮に包まれて、ネズミキツネザルはじっとしていた。丸いかわいい顔はむしろ子ネコのようだ。

目がキラキラと光っている。宝石のようなサルだ。

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「ベルギー人」一家は明日、一足早く出発する。目的地はモロンダバであるが、そこからツインギーへ行くという。石灰岩が削られて、針の山のようになっているところだ。

その後、ペリネへ向かうそうだから、そこで再会できるだろう。ツインギーは興味があったので、様子を聞かせてくれと頼んだ。それにしても、過不足ない時間をかけた理想的なプランである。

これまで、ケニア、タンザニアばかりかイリアンジャヤにも出かけているそうだから相当な達人に違いない。

8月19日の朝。とげの森を再訪することにした。
「その前にまとめておきましょう」

ジャンはロッジの近くのミニ植物園で、マダガスカル特有の植物について説明してくれた。知識を整理している私たちを残して、ジャンは近くの様子を調べにいった。

「チャンスだ! こっちだ!」

ジャンが走って案内に戻ってきた。駆けつけると、目覚しいシーンが待っていた。ミニバオバブといった風情のモリンガの木が何本か植わり並木のようになっている。

その1本1本にシファカが止まっていた。さらに後ろのモリンガの木々にはチャイロキツネザルたちがとりつき、シファカを威嚇していた。縄張り争いであろう。

「さあ、ダンスだぞ」
ジャンが得意げにいった。実際、すぐに横っ跳びが始まり、シファカは1頭、1頭、道を横切っていった。

最後に、幕引きのピエロよろしくチャイロキツネザルが1頭、のっそりと地上に降り立って、ショーは終わった。

もっとも、この時は、良い写真が撮れなかった。フィルムの底が見えてきたので、チャンスを狙って1枚という撮りかたをしたからだ。

やはり動物写真は乱写しなければだめだ。ケニア行きのとき、手振れ防止装置付きの明るい望遠レンズを買い込んだ。

そう頻繁にカメラに投資できないと控えていたが、そろそろデジカメへの切り替え時であろう。

とげの森では、あらためて1つ1つの植物を眺めた。でも、判別できないものも多い。奥深い世界である。

昼食後はフリー。ジャンは宮様ご一行の歓迎準備に忙しいのだ。もう十分にベレンティを見てしまった私たちにとっても、ご一行の到着は変化があって楽しみなことであった。

すでに朝から雰囲気が変わっていた。道は何度も掃き清められている。メイドは白衣、白い帽子という晴れ姿で、空いたロッジの窓を開け放って大掃除だ。

マネージャーはカッターシャツにネクタイというりりしい姿になって、何度も、清掃状況を確認していた。

ご一行は4時ごろに到着された。私たちと、もう一組の日本人夫婦もお出迎えに参加した。秋篠宮様も眞子様もお元気そうだった。とくに、眞子様は好奇心満々のお顔で車を降りられた。

私たちは、随行の方々と会話を楽しんだ。呪術医にも話が及んだ。
「呪術医はとても頭が良いですよ」
「薬草に詳しいのですか」

「そうです。でもそれだけではありません。熱心にお祈りしながら患者の様子を見るのです。回復のきざしがあれば治療を続けます。

これはだめだと判断すれば悪い血があるから手に負えないとか言って病院に送ります。そこで亡くなっても自分の責任になりません」

呪術医になるのも、演技力まで必要で大変そうだ。

旅行社の人とも話した。
「これでマダガスカルへ来る日本人が増えますね」

「いや、宿泊施設が限られている問題があります。特に人気のあるベレンティに宿を取るのは大変です」

たしかに、全部で30人も泊まれないのだ。
「今度のご旅行も早くから交渉しましたが、確保できたのはずいぶん後ですよ。 おたくは何時依頼されましたか」

「11月です」
「ご夫婦だけだから、なんとかなったのでしょうね」
私たちはとても幸運だった気になった。

宮様方のお食事は、やや早くて6時からであった。私たちが7時にレストランに入った時もお食事は続いていた。宮様のおかげで食事のレベルが上がったようだ。

特にデザートのバナナ・フランベではラム酒の炎が盛大に燃え上がった。やがてご一同はナイト・ウォークのためご退出された。

私は、眞子様が宝石のようなネズミキツネザルをご覧になれたら良いなと思った。

その後も宮様の恩恵は続いた。いつもは夜10時から朝まで停電となるのだが、その日は夜通し電気が供給された。朝にベレンティを発つので、準備をする私たちには特に好都合だった。

8月20日。朝食後あわただしく出発して、ガタガタ道をまた3時間走った。帰ってきたフォールドーファンでは心配事があった。ベレンティのマネージャーは

「あなたがたの航空券はもうフォールドーファンに行っていますから、空港で受け取ってください。 再確認はされています」

といっていた。随分危なっかしいことである。空港行きの車に、黒いショルダーバックのビジネスマンが乗り込んだ。あのバックの中にチケットがあるのだ、と思っていたが、違った。

空港カウンターの前で、薄汚い作業服を着た、目だけは鋭い男が1人、1人にチケットを渡していた。不思議なシステムである。

アンタナナリボの空港ではガイドと運転手が迎えてくれた。ヒルトンでくつろいだが、夜中に妻が眠れないという。

飛行機が飛び立つときは、めまいがするし、咳が止まらないし、どうもただごとではない。

はたと、気が付いた。マラリア予防薬の副作用ではないか。私たちは時々、予防薬を服用しているが、今まで大きな障害は受けていない。

しかし、体調にもよるだろうし、多分関係ないだろうが、今回の薬は製造元も違う。副作用は次第に軽減するだろうから、服用を止めて様子を見ることにした。

モロンダバ

8月21日。モロンダバへ飛んだ。空港出口では、またガイドと運転手が待っていた。早速バオバブ見物に出発だ。例によってガタガタ道を飛ばしていく。

ガイドは3種類のバオバブの区別を、実物を前に教えてくれた。

大型でやや赤っぽい木肌で、枝が上向きなのがグランディディエリー、灰白色の木肌で傘状に茂るのがザー、小型でとっくり状なのがフニである。

バオバブの並木道を過ぎて、愛し合うバオバブを見に行った。2本のフニが絡み合っていた。

日没の45分くらい前にバオバブの並木道に引き返した。一帯のバオバブはグランディディエリーである。太い幹で、しかも高く伸びている。30メートルを超えるのもあるそうだ。

遠くから見ても、近寄ってみてもバオバブは迫力がある。並木の端に立ち、夕日に映えるバオバブを眺めた。そして、ガイドに勧められて、並木の脇の池の向こう岸にも行ってみた。

並木が正面に広がり、池には並木の倒立像が写っている。夕日はバオバブ並木の真ん中に沈もうとしている。

立っているところの横にも後ろにもバオバブがあるから、バオバブに取り囲まれている感じだ。そのままじっと日没を待った。

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モロンダバのホテルはガイドブックでは評判の良いところだ。しかし、部屋は貧弱で、おまけに2つの部屋をつなぐことが出来る構造で、境目は、か弱いドアであった。

隣室の音は反響するためか、壁がないよりよく聞こえる。隣室の夫婦のご主人は腹の突き出したイタリア人で、呼吸が苦しいためか、いびきがすさまじい。

夜にはライオンの咆哮と旅客機の離陸が一緒になったような音が襲ってくる。妻が眠れるか心配だったが、すぐ寝付いたそうだ。マラリア予防薬の副作用は減りつつあるようだ。

8月22日。朝、キリンディ森林保護区に向けて出発した。保護区に着くと、フォッサが2頭いた。マダガスカル最大の肉食獣で、大きいものは尾の長さを含めて1.5メートルに達するという。

めったに見られない珍獣であるが、場所が悪かった。ごみをあさっていた。それでも、フォッサは迫力があり、放し飼いのドーベルマンという印象である。

黒い体毛のように感じたが、写真にしてみると褐色であった。こわごわ眺めたのでそう感じたのであろう。動作はイヌそっくりだが、分類上はマングースの親戚だそうだ。

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待っていてもフォッサはゴミ捨て場を去らないので、保護区の観察に出かけた。ガイドはチャイロキツネザル、ベローシファカ、イタチキツネザルと見つけ出してくれた。

イタチキツネザルは、詳しく言えば、ベレンティのものと種が違うようで、おまけに昼間に全身が見えるという拾い物であった。
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キリンディから引き返す途中、またバオバブを見た。神聖なバオバブとよばれる大木もあった。子供を授かるようにお願いする木だそうだ。根元には小銭やコーラのビンのお供えがあった。

さらに、運転手が道を横切るカメレオンを見つけた。道端の木に止まったので、絶好の被写体となった。大きさは20センチを超えている。

夕食はイセエビの丸焼きを注文した。冷凍保存された代物だが、1キロ弱という大型で、1匹2400円ほどだからお値打ちである。

イセエビを肴にしてワインを飲み、隣室からのいびき攻撃に備えた。おかげで何とか寝られたが、酒が十分に入ると私のいびきもかなりのもので、今度は隣室が迷惑したかもしれない。

ペリネ

アンタナナリボに帰り8月24日ペリネを目指した。運転手のミラントは腕が確かそうだ。車も新しい。おまけに幹線を走るので道もガタガタしていない。途中、ラ・マンドラカというカメレオン・ファームに立ち寄った。

大型のパーソン・カメレオンを眺めたり、ガイドが差し出すバッタをさっと長い舌をだして食べるカメレオンを見たりと有意義だった。

昼に宿のバコナ・フォレスト・ロッジに到着した。庭には花が咲き乱れていた。レストランのあるメインロッジは八角形で池に突き出し、池には小さなカワセミがいた。

メインロッジの中央では暖炉が燃えている。しゃれたリゾートだ。

午後はロッジでゆっくりして敷地内の小さな保護区を見に行った。エリマキキツネザルそしてカンムリシファカという珍しいキツネザルが放し飼いにされていた。餌付けされていて、とても人懐っこい。

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8月25日。朝7時、ミラントの車でロッジを出発してペリネに向かった。20分ほどの道のりである。ペリネ特別保護区の入り口で、ガイドのマリーが待っていた。なんとなくがっかりした。

中年の黒々、でっぷりとしたご婦人で、素早くインドリを見つけられるとは、とても思えない。

しかし、信頼できそうなミラントが予約した人だからと、異議を唱えなえず、インドリを中心とした4時間コースをお願いした。

熱帯雨林の中の道を歩いて、インドリがいるはずの地帯に入ったが、何の気配もない。インドリは朝の合唱をするはずだが、その様子もない。そのうち、遠くから口笛のようなものが聞こえてきた。

「あれかい」
「いや、あれはガイドですよ」

しばらく進んで、マリーは
「このあたりにインドリがいるはずです。数分待ってください」
といって、森に消えた。

突然、近くですさまじい音が聞こえた。アーア、キャーアという甲高い声で、しかも複数だ。これがインドリの朝の合唱だ。マリーがあわただしく走ってきた。

「こっちです!」
思いがけず素早い動きの彼女に従って森を走った。

「ここですよ。木の先端部分です」
たしかに、高い木の梢に黒と白のパンダのような生き物がしがみついている。

インドリだと喜んだが、あまりにも遠い。アマゾンでのナマケモノを思い出した。

「そのうちに降りてきますよ」
とマリー。実際、そうだった。

4頭のインドリの家族は少しずつ枝の下の方へ動き、木の葉を食べ、そして近くの木へ飛び移った。マリーはインドリの群れの移動方向を良く理解していた。

「こっち、こっち」
というので、ついていくと、たしかによく見える。彼女はついに私のリュックを持って走ってくれた。

写真を撮るときに木の枝が邪魔と知ると、そっと枝を押したりと、至れり尽くせりである。マリーはガイド歴21年のベテランだそうだ。

インドリは時には地上数メートルの位置まで降りてくるから、ゆっくり観察できる。

丸い目、もじゃもじゃした毛の耳、丸い顔、黒と白の毛皮。正面から見ると、ぬいぐるみのクマという表現がぴったりする。

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だんだん見物人が増えてきた。マリーはもう1つの群れを探すという。しばらく行って「待ってね」と森に消えた。今度は5頭の群れを、彼女は見つけ出した。

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私たちはインドリの行動をゆっくりと観察した。長い足を伸ばして、木の枝と枝の間につかまって食事をしているのを見ると、本当に大きなサルであることを実感する。

インドリはキツネザルの中で一番大きいのだ。インドリの手と足のバランスは人間に似ていて、人間が木の高いところに居るようにも見える。

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帰り道に、マリーはカンムリシファカを見つけた。バコナの保護区で見ているが、野生のものは格別だ。毛皮の黄色い部分が鮮やかだ。

マリーはさらにヨウモウキツネザルが木の股でじっとしているのも探し出した。夜行性の小型のキツネザルである。

ロッジに帰り、午後からはまた、ゆっくりした。マラリア予防薬を止めたので、ナイト・ウォークも不参加とした。

夕食前「ベルギー人」の奥さんに会った。昼ごろ、無事にペリネに到着し、もうインドリも見たそうだ。明日はマンタディアに行ってみようかと思うが、どんな様子かと聞かれた。

マンタディアはペリネ特別保護区と共にマンタディア・アンダシベ国立公園を構成している。未開発ではあるが、原生林が美しいと評判の場所である。

私たちがまだ、マンタディアに行っていないと聞いて、奥さんはとても意外そうな顔をした。それはともかく、明日の夕食前に会うことになった。ツインギーの旅について教えてくれるのだ。

8月26日。天気は思わしくない。マリーと会ったときには雨も降ってきた。熱帯雨林だからしかたがないと、用意した雨具に身を包んで出発した。今日も、インドリ中心の4時間コースを頼んだ。

そして、
「ひょっとしたらジェントルキツネザルも見られたら良いな」
と付け加えた。

ジェントルキツネザルは小型で昼行性のサルである。思った通り、雨は降ったり止んだりで大したことはない。じきにインドリの群れに遭遇した。

群れの移動についていくのだが、ぬかるんで傾斜のきついところもあり、山歩きの感覚である。歌っている最中のインドリを見て、撮影にも成功した。口を精一杯あけて、赤い口内を見せていた。

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しばらくして、マリーは私たちを違う場所に案内した。ジェントルキツネザルがよくいるところだ。しかし、ジェントルキツネザルは現れず、もう1つのインドリの群れを探した。

じきに見つかったが、もう人だかりしている。マリーは移動している先頭の2頭のインドリを標的にした。「こっち、こっち」と案内して、森の中に観察地点を確保した。

やがて、日も射してきて、写真撮影にも絶好だ。大部分の客は下のほうにいて歓声を上げている。インドリが派手な動作をしているのだろうか。

マリーは落ち着いていて
「ここで待ちましょう」
という。

しばらくして、遅れていた3頭も、木を飛び移ってやってきた。なんと、2頭は私たちの前でなめあったり、抱きあったりしている。

長いことインドリは身近にいた。葉っぱを食べ、身づくろいし、日を浴び、おだやかな時だった。

昼食後、マンタディアに出かけた。「ベルギー人」の奥さんに刺激されたようだ。車で走っていると、マリーがジェントルキツネザルを見つけた。

すぐに隠れてしまったので、それからもマリーはジェントルキツネザルを一生懸命探した。彼女のプロ意識はすごい。
公園入り口から30分ばかり走ったところで車を止め、トレイルを歩き始めた。とても深い原生林だ。アロエに似たバコナが巨木になっている。登っていくと展望台に出た。

大きく削られた谷の向こうにも原生林に覆われた山が広がっている。白神山地で見た景色に似ているが、こちらがより雄大だ。

見ていると、原生林の山に虹がかかった。虹はだんだん明るくなり、突然消えた。

山を下り、今度は、川沿いの道を歩いていった。マリーが、また、ジェントルキツネザルを見つけた。

今度のキツネザルはじっとしていて、私たちは小さな丸い顔や長いシッポをじっくりと眺めることができた。そして、キツネザルは、はっと我に帰ったようにブッシュに消えた。

「ベルギー人」一家と私たちはロッジのロビーに集まった。ツインギーの写真を見せながら、息子が説明してくれた。ロープを使った懸垂下降もあるような冒険コースである

。もうマダガスカルを訪問することもないだろうから、私たちにとってはバーチャル・ツアーになった。彼らは私たちより1日早くモロンダバに入り、1泊している。

旅なれた彼らの宿はどこだろうと聞いてみた。同じホテルだった。

「あなたがたは、4人だから続きの部屋を取ればよいから、問題なかったのですね」
「それそれよ」

奥さんが思い出し笑いをしながら聞いた。
「部屋は何番でした」
「20番」
「同じだわ」
「隣には太ったイタリア人がいて、すごいイビキなのだ」

とご主人。一同大笑いをした。奥さんは文句を言って即刻、部屋を変えてもらったという。「あの部屋に2日も泊まるなんて、辛抱強い」

といわれた。こんな評価をされたのは初めてだ。そして、これからも連絡しあおうとメールアドレスを交換した。

驚いたことに、彼らはロシア人だった。今もモスクワに住んでいる。世界は急速に変わりつつあるだ。

8月27日。朝は快晴。もう一度ペリネに行こうか迷ったが、公園入り口に差し掛かると雲が出てきた。結局、似たような天気になるだろうと、予定通り車を走らせてもらった。

昼に、アンタナナリボに着き、マダガスカルエアーツアーズの事務所に立ち寄った。道祖神の依頼を受けたのはこの会社で、実際の手配はここがやってくれたのである。

すぐに、ガイドのジョセがでてきた。日本語のうまいベテランで、これから私たちの世話をしてくれる。昼食は中華、そしてホテルで一休みして出かけた夕食はなんと高級な日本料理であった。

8月28日。いよいよ、マダガスカルを去る日となった。お土産を買い、市内観光し、そしてチンバザザ動植物公園に行った。

自分たちのお土産はアンモナイトの化石だ。これまで入手したアンモナイトとは比べ物にならない美しい化石だった。チンバザザではアイアイを見た。アイアイはとても活発に動き回っていた。

ゲートまで見送ってくれたジョセと別れを惜しんだ。マダガスカルエアーツアーズのガイドや運転手達はお互いに良く知っていた。

彼らが張り巡らしたネットワークの上を私たちは安全に旅したのだと分かった。