タスマニアからヘロン島へ


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タスマニア

ウミガメの産卵を見に行こう。2人で意見が一致した。屋久島、ボルネオ、コスタリカ、メキシコと候補になる場所は多い。しかし、確実性、そして治安の良さと考えていくと、オーストラリアの東海岸に落ち着いてくる。

とりわけ、ヘロン島とモンレポス(Mon Repos)が有名である。リゾートでの休暇となればヘロン島であるが、モンレポスはレンジャー主催の観察会が秩序立っていそうだ。少し迷ってヘロン島を選択した。そしてタスマニアを目的地に追加した。

珍しい動物が見られるし、ハイキング・トレイルも整備されているからである。

夜行便でシドニーへ飛び、メルボルン経由でタスマニアのデボンポートに着いた。2009年12月25日である。手配したタクシーが待っていた。

1時間少々のドライブでクレイドルマウンテン・ロッジに着いた。

このロッジはクレイドル山・セントクレア湖国立公園に隣接していて、観光の拠点としては絶好だ。ここに3泊の予定である。

クレイドルマウンテン・ロッジは食事の残り物を外に置いていて、それを目当てに野生動物がやってくることでも知られていた。

集まってくる動物の中にタスマニアデビルがいるそうだ。やや小型のイヌほどの大きさで、顎が頑丈な有袋類である。

タスマニアデビルはぜひ見たかったので、チェックイン手続きが終わったら早速聞いてみた。

しかし、この習慣は、餌付けの一種になると、10年以上前に止めたそうだ。どうやら情報が古すぎたらしい。

タスマニアデビルは流行病のため数が激減している。残り物を目当てにやってくるのでなければ、発見することは難しそうだ。

一休みしたらすぐにディナーに出かけた。私たちのキャビンの前にはワラビーが住み着いていて食事に専念していた。

少し歩くとウォンバットがいた。ウォンバットは大型のモルモットといった様子の可愛げのある動物で、タスマニアに多い。

写真を撮ろうと意気込んだが、すぐに草むらに入ってしまった。

夕食後、ロッジの近くのトレイルを歩いた。

エンチャンテッド・トレイルといって川沿いの道である。しばらく歩くと川の流れがゆるやかになり、川岸に柵が作られている所に来た。

隠れて動物を見るためのシェルターもある。何か居そうな雰囲気である。3人連れが真剣に川面を見つめている。小声で様子を聞いた。

「カモノハシが出たそうですよ」
と返事が帰ってきた。少し上流にいた大型カメラを持った人が近づいてきた。

「日本の方ですか」

ささやくように日本語で聞かれた。うなずくとカメラのディスプレイを見せてくれた。見事にカモノハシが捕らえられていた。

「水面の動きが妙なので注視しているとカモノハシでした」

と説明してくれた。私たちもじっとカモノハシを待ったが、現れることはなかった。

カモノハシは日没と日の出の頃に良く活動するそうである。もう時間が遅くなったのであろう。

引き返して、9時出発のスポットライト・ツアーに参加した。10数人の客がバンに乗り込んで移動し、スポットライトに照らされた動物を観察するのである。

すぐにウォンバットが現れた。ライトに照らされたウォンバットをゆっくり見て写真を撮れて満足だった。

この夜、ウォンバットは10頭以上登場した。ポッサムも何度か現れた。

しかし、タスマニアデビルの姿はない。ツアーも終盤になって、突然ガイドが叫んだ
「デビルだ!」

見ると、右側の斜面を駆け下りていく動物がいる。ガイドはすぐに

「いや、あれはポッサムだ」

と訂正した。私はがっかりして写真を撮るのを止めた。しかし妙なポッサムだ。全身が黒いし、走り方が速く、逞しい。

12月26日。朝の天気は上々である。タスマニア、ことにクレイドルマウンテンは雨が多いと聞いていたので幸運を喜んだ。

急いで支度して国立公園のビジター・センターに向かった。歩いて数分の距離である。ここでシャトルバスの切符を購入した。

シャトルバスは10分から20分の間隔で運行していて、国立公園の中の移動には最適である。

やってきた9時発のバスに乗り込むと、始発の公園入り口から乗っていた客の中に昨日の日本人がいた。

「昨夜はロッジの周りでタスマニアデビルを狙ったのですよ。出ました」

見せてくれたディスプレイには見事にタスマニアデビルが収まっていた。9時少し過ぎ、車のライトに照らされて浮かび上がったのだそうだ。

一瞬のチャンスをものにする腕に感服した。

「スポットライト・ツアーでもデビルが出たそうじゃないですか」

日本人が続けた。動物好きの間での情報交換で昨日の様子を知ったのだ。

やはりあれはタスマニアデビルであったらしい。ガイドは新人で知識不足であったが、客の中にベテランがいたのであろう。

ロニー・クリークでバスを降りて歩き出した。たどるルートはオーバーランド・トラックと呼ばれ、オーストラリアを代表するトレイルだ。

今日の目的地はマリオンの見晴台(Marion’s Lookout)である。眺めの良いところらしい。好天ならここへ行こうと荷物の中に山用具一式を入れておいた。

草原を過ぎ、花を眺めながらの軽い登りでクレイター湖に着いた。深い青色の湖が素晴らしい。

やや急な岩場を越えるとクレイター湖とダブ湖が共に見えるようになった。

さらに一登りでマリオンの見晴台に着いた。出発してから1時間半位である。

眼下にはダブ湖とクレイター湖、そして前方にはクレイドルマウンテンの岩峰。たしかに一級の眺望である。

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このまま帰る積りだったが、登ってきた人たちは皆、オーバーランド・トラックを進んでいく。私たちも先へ行ってみることにした。

少し登ると高原台地となった。台地からクレイドルマウンテンが聳え、遠くにはモニュメントバレーにあるようなビュートが見える。

様々な高山植物もある。久しぶりに味わう天上の楽園だ。

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私たちは平坦なトレイルをうきうきと歩いて、キッチン小屋に達した。
「何かいるわよ!」

妻が叫んだ。小屋の脇を細長い、ブチのケダモノが走っている。

ケダモノは小屋を離れ岩場に向かった。鋭い動きだ。私はケダモノの撮影に成功した。後で調べてクウォール(フクロネコ)と分かった。

タスマニアデビルと並ぶ珍獣で、やはり肉食の有袋類である。短期間の旅ではめったに出会えなくなったと言われている。

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キッチン小屋に着いたのは正午。小休止して帰路についた。ここで私は大きな誤りを犯した。

フェイス・トラックへ向かいダブ湖を高所で回って帰ることにしたのである。

これまでの整備された道の状況からして2時間もあれば十分と思った。しかし、正解は単純に引き返すことであった。

道はにわかに山道らしくなり、アップダウンを繰り返した。行く手のハンソンズ・ピークを望む地点に達し、少し下ると避難小屋に出た。

キッチン小屋を出てから30分ほどである。

その先で道は2つに分かれた。道標によると、ピークを巻く道のほうが時間的に優れているようだった。

遠望したハンソンズ・ピークはやや険しそうでもあるし、この迂回路を取った。

しかし、実際はやたら時間がかかった。ルートが不鮮明なところもある。そして人がいない。

タスマニアに着いたばかりの高齢者夫婦があわただしく歩くコースではない。だんだん疲れてきたので、うっかり捻挫でもすれば悲惨なことになりかねない。

困難な道であったが、救いは、フェイス・トラックから先は、花がさらに見事になったことだ。岩場を下るとき、幻のように美しい花があった。

写真を撮るゆとりはなく、心に刻み付けた。

少し歩いて、また同じ花があった。横から見るので、美しさはやや劣るものの、今度は写真に収めることができた。

これはタスマニア・ワラタで、タスマニアを代表する花である。

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見事なタスマニア・クリスマスベルもあった。さらに、清楚な白い花をはじめ、様々な花が咲き誇っていた。

ひたすらに我慢して歩いていくと、ハンソンズ・ピークからの道と合流した。やがて気楽な道となり、ダブ湖の駐車場に着いた。

3時40分という予想外の到着時間である。シャトルバスはじきにやって来た。
ディナーの前に動物を探してロッジの敷地内を散策した。じきにウォンバットが見つかった。

草を食べている。写真を撮ろうとしたが、逆光で具合が悪い。位置取りに苦労していると、ウォンバットの背後からもう1頭が顔を出した。

子供である。これは幸運とシャッターを押した。

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夜9時ごろから、2人でロッジの周囲を回った。もちろんタスマニアデビル狙いである。

ゴミ箱のあたりとかレストランの裏口とかいろいろ工夫してみたが空振りであった。柳の下のドジョウは多くないようだ。
12月27日。前日のハイキングで疲労したので、今日は軽く歩くことにして、Speelerトラックを選択した。1時間半のコースである。空は再び晴れ渡っている。

ハリモグラやウォンバットを見られる可能性があると書かれていたが、ワラビーが走っていっただけであった。

ハイライトはロッジが近くなったころに現れた草原だ。シダ様の植物が茂り、その胞子で一面に茶色になっていた。遠くにはクレイドルマウンテンも見えた。

野生のタスマニアデビルを見るのは難しい。

ロッジから1キロほどのところにデビルズ・アット・クレイドル(devils@cradle)という飼育施設があると、事前に情報検索を済ませていた。

ここを訪問することにしよう。できれば餌を与える時が良いと、ロッジのフロントに様子を聞きに行った。

「餌を与えるショーは人気が高くて、予約が必要です。夕方5時半からのは満席ですから、8時半からのにしてはどうですか」

と意外な返事が返ってきた。とりあえず8時半を予約してもらったが、どうにも残念だ。

8時半からでは薄暗くなっているので良い写真が撮れそうもない。

それに2度目の餌ではデビルの動きも悪いのではないか。

直接行って頼めば2人くらい何とかなるかもしれないと、昼食後にデビルズ・アット・クレイドルまで歩いた。

1キロとはいっても、車道を歩くので気分が良くない。

レンタカーで来なかったのを初めて後悔した。幸いなことに、現場に着けば空席があった。

夕方、再びデビルズ・アット・クレイドルを目指した。

気負って出かけたので5時に着いてしまった。すぐに中に入れてくれた。自由に見学できる。

タスマニアデビルは草が生え、木も茂っている広々とした囲いの中にいた。可愛がられていることが一目で分かる。

タスマニアデビルは大人しい顔をしているが、口を開けると立派な牙が見えた。

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客はどんどん増えて40人位になった。

飛び込みの客は断られていたから、私たちは最後のほうの空席を得たのだろう。

5時半になってビデオが始まった。

タスマニアデビルは自分で狩もするが、クウォールの獲物を横取りすることもあるようだ。ハイエナとチーターの関係である。

私はクウォールの写真を撮ったことがとても嬉しくなった。

そのうちに眠り込んだ2頭の子供のデビルが連れられてきた。客はデビルに触ることができる。

デビルを抱きながら係員が説明した。伝染性の皮膚癌でその数は急減した。数年前の30%ほどしか残っていない。

タスマニアデビルはオーストラリア大陸が原産で、そのうち少数がタスマニアに渡って数を増やした。だからデビルの遺伝的多様性は少ない。

あたかも一卵性双生児の集団のようだ。

そのため噛み合うことで癌が伝染してしまうのだ。このままでは野生のデビルは絶滅するかもしれない。

そうなったら、ここのデビルを森に放つのだそうだ。

説明が終わって待望の餌やりとなった。係員が大型のカンガルーの太ももを持って柵内に入った。わっとデビルたちがやってくる。

係員は太ももをゆっくり引っ張っていく。

デビルは必死に食らいついて肉をはがそうとする。

これも森に放つためのトレーニングで、逃げる獲物を追うことを経験させているのだ。

そのうちに大きく剥がれた肉の奪い合いで大騒動となった。

しっかり肉に食いついているタスマニアデビルの目はデビルといわれるのが分かる怖さだった。

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満足して帰り、ディナーの後でエンチャンテッド・トレイルに行った。

カモノハシが目的だ。先客の子供連れは見たのだが、もう潜った後だった。

続いて、タスマニアデビルを探した。しかし、遠くに見えたのはウォンバットで、デビルの姿はなかった。
12月28日、出発の日である。朝早く、頑張って一人でエンチャンテッド・トレイルに行ったが、カモノハシもハリモグラも見えない。

朝食後、妻がもう一回りしましょうという。

散歩に付き合うつもりで、同じトレイルに向かった。もう9時を回っている。

いつものポイントに着いたが、何もいるはずがない。

「いるわ、浮いている」

妻がささやいた。たしかに、平らに身体を伸ばしたカモノハシが泳いでいた。カモノハシは倒木に向かった。

一度、姿を消し、倒木の反対側に出てきた。浅く水に浸かった倒木の上にいるので背中が大きく水面から露出している。

カメラがないのが残念だが、12年前よりも、はっきり見ることができた。
11時に迎えのタクシーが来るはずだが、姿がない。

ロッジから電話して貰うと、すっかり忘れていたようだ。あわてて用意してくれたロッジの車で空港を目指した。

「ハリモグラだ!」

少し行ったところで、妻が叫んだ。

見逃していたハリモグラに最後にお目にかかったのだ。たしかに茶色の塊が見えた。妻には針までよく見えたそうだ。

無事にデボンポート空港に着き、メルボルン、ブリスベン経由でグラッドストーンに到着した。

Rydesというモーテル風だが別に不足はないホテルが今夜の宿である。

ヘロン島

12月29日、朝10時頃、タクシーで港へ向かった。ヘロン島行きの船に乗るためである。港を出てしばらくすると、海は真っ青になった。

同時に揺れが始まった。

ヘロン島にはヘリコプターでも行くことができるので、ヘリコプターを選択するべきだったと思わせるほどの揺れだ。

やがてグレートバリアリーフが見えた。そして、ヘロン島に到着である。

ヘロン島はグレートバリアリーフの一部を成す島で、自然が豊かなことで有名である。

チェックインに行くと、これがあなたの部屋ですと案内図をくれた。ビーチハウスと記してある。

ロンリープラネットにはポイント・スィートが、眺めが良いと書いてあったので、10ヶ月前に予約してポイント・スィートを確保していた。

「部屋が違うのではないでしょうか」
「分かってます。でもここがベストですよ。不審なら見てきてください」

半信半疑で確かめに行き、一目で気に入った。ポイント・スィートより少し値段が高いはずであるが、料金は同じにしてくれた。

部屋のやりくりが難しくなり、良い場所を提供してくれたのであろう。

ここに5泊である。年末年始は最低4泊しなければならないが、それに1泊追加していた。

台風が来る可能性だってあるから、ゆっくりして、どうしてもウミガメの産卵を見ようと思ったのである。

ビーチハウスは林の中にある。その向こうは真っ白なビーチだ。木陰に涼みながら浜と海を見渡せるから、たしかに良い所だ。

周りの木には沢山のアジサシが巣を作っていた。そして地上にはクイナがヒョコヒョコと歩いていた。

じっくり見ると結構きれいなクイナである。

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さてウミガメである。チェックインの時に配られた「ウミガメ観察のガイドライン」を読めば大体のことは分かる。

さらに詳しい情報を得ようと、4時半から開かれる「ウミガメ観察のヒント」という集いに参加した。

レンジャーが詳しく説明してくれた。総合するとここのルールは次のようだ。

ウミガメが上陸して浜を上がっている時は近づいてはいけない。穴を掘り出したら背後10メートルまで接近してよい。

卵を産み始めたら10分待って、背後2メートルほどまで近づいてよい。

この段階なら弱い光を後ろから照らしてもよい。フラッシュはいかなるときも厳禁である。

いつ卵を産み始めたか分からないときは砂を掘るのを止めてから15分、あるいはカメが掘りだす砂が飛ばなくなって、30分待ったらそっと様子を見に行ってよい。

大変分かりやすい。ウミガメに配慮して、しかも観光客の好奇心も満足させるルールである。これなら簡単だと思った。

しかし、このあと経験する実情は簡単ではなかった。

フラッシュをたく人がいるかと思えば、より厳しい自己規制をし、時にはそれを押し付ける人もいた。

ガイドラインを読んでいない人が多いし、レンジャーの開いた集まりも決して盛況ではなかったのである。

それでも、この絶海の孤島に来るような人は自然が好きな善意の人が多いから、なんとかなっていたのである。

夕食の後、早速、一人でビーチに出た。午後8時である。今夜の満潮は午後7時40分。

ウミガメの産卵を見るのは満潮の1時間後くらいからが良いとされているから、まだ早い。

しかし、子ガメの孵化が始まっているとレンジャーがいっていた。これは日没の近くが見ごろだそうだ。両方を狙って出かけたのである。

波の音が威嚇的だ。夕暮れの海を恐ろしいと眺めたのは、いつ以来だろうか。

この海から巨大な動物が姿を現す。そんなことが本当に起こるだろうか。

キャビンの前のノース・ショアを歩き、シャーク・ベイに出た。浜と林の境界線で2羽のカモメが騒いでいる。子ガメの孵化であろうか。

近づいてみると、巨大なカメが自分の掘った穴の中でじっとしている。大変だ、産卵だ。

そういえば、10メートルほど離れたところに数人の人が座って海を見ている。産卵が確実になるのを待っているのだろうか。

あわててキャビンに帰り、妻と一緒にシャーク・ベイに引き返した。

カメのいる位置からは物音もしない。浜にいる人数は増えていた。

私たちもじっと待ったが何の動きもない。

いくら何でも大丈夫だろう、と近くの人に聞いたが、「まだだめだ」という。しかたなく座っていると、カメが動き出した。

そこへ、ヘルメットとヘッドライトに身を固めたウミガメ保護のボランティア2人がやってきた。2人は様子を調べ、説明した。

「このカメはアカウミガメです。産卵は終わっています」

産卵が終わっていたというのにはがっかりしたが、アカウミガメであることに喜んだ。

ヘロン島に来るのは大部分アオウミガメでアカウミガメにはお目にかかれないだろうと思っていたからだ。

カメにとって不幸なことに、カメには標識が付いていなかった。

おまけにボランティアの一人は明らかに新人で、緊張しているのかカメをやや手荒に扱って、ヒレに標識をつけた。

カメは、うめいて、ほうほうのていで海に帰っていった。

シャーク・ベイの端まで行って引き返してくると、砂浜で動きを止めた数人の人がいる。

その人たちと私たちの間の砂浜にウミガメがいた。私たちも立ち止まった。

ウミガメはゆっくり移動して、林に入った。

砂浜にはウミガメのつけた跡が残った。ウミガメは穴掘りを始めて、砂が飛んでくる。

やがて砂が飛ばなくなった。卵を入れる穴を掘っているのだろう。皆で待った。ボランティア2人もいるが、おしゃべりしている。

後で聞くと、ウミガメは人声を気にしないというが、本当だろうか。

30分経った。様子を見ようと立ち上がるとボランティアが声をかけた。
「私が見てきましょう」

ボランティアはすぐに帰ってきた。
「カメは移動しています。少なくとも後30分はだめです」

ボランティアが話し声を立てていたせいかもしれないと疑ったが、しかたがない。今や、カメは盛大に砂を飛ばしている。

一度キャビンに引き返し、またシャーク・ベイに戻った。

もう産卵が始まっていた。カメの周りには3人いるだけだった。

ボランティアも他所を見回りに行っていた。私たちは座り込んで、たまにカメの後ろから弱い光を当てた。

尾部に産卵腔ともなる総排泄腔があるはずだ。

この部分が、管のように砂の中に突きこまれて微妙に動いているのがはっきり見えた。

カメは、時々、後ろ足で砂を払った。卵は見えなかった。カメと過ごす平和な時が流れていった。

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ヘロン島第2日目。朝、キャビンの前の浜にシュノーケリングに出かけた。ヘロン島はグレートバリアリーフの上にある島だからサンゴの美しさで有名である。

サンゴを見るために、マスクとシュノーケルだけは持ってきた。

フィンを借りて、ビーチからシュノーケリングを始めた。

しかし、リーフエッジまでは遠くて、砂浜に散在したサンゴが見えただけだった。

午後、干潮になったので、2人でリーフエッジ目指して歩いた。進むにつれてサンゴが見事になってきた。

異常気象のためグレートバリアリーフのサンゴは傷んだと聞いていたが、ここでは回復基調にあるようだ。

死んだサンゴに被さる様に生き生きと鮮やかなサンゴが枝を伸ばしている所も多かった。

潮が満ちてきたので、途中で引き返した。

夜9時半。2人で浜に出た。
「あら、あなた、あそこよ」

妻がささやいた。すぐ近くの海に黒い大きな盛り上がりがある。

ウミガメが泳いでいるのだ。すぐにウミガメは上陸して浜を登っていく。

ボランティアに率いられた一団もやってきて、この光景を見守った。

穴掘りが始まり、砂が舞い上がった。別のウミガメも上陸して同じ方向に登っていった。

まだ産卵には時間がかかるだろうと、浜を歩いていると別のカメが上陸した。近くにはもう1頭のカメが登った跡もある。

今日は盛大にカメが活躍する日らしい。ボランティアに率いられた一団もこちらにやってきた。

産卵が始まりそうな場所が2箇所になって、どちらに行こうか迷ってしまった。

ボランティアは先ほどの所をチェックするというので、ついて行った。

カメの後ろから近づくとカメはじっとしている。確証はないが、産卵が始まったらしい。

「ここで見張っていてくれますか。私はもう一方のカメを見に行きます」

とボランティアに頼まれた。カメの後ろにじっといられるから喜んで引き受けた。

長く待ったがカメは動かない。間違いなく産卵中だ。

妻は卵が落ちる音が聞こえるという。確かめようと、そっとライトをつけたが、卵は見えない。

「明かりを消してください」

後ろから声がかかった。産卵中だから、大丈夫のはずだが、異国で議論しても仕方がないと、黙ってライトを消した。

「もっと下がってください」

また声が飛んできた。さすがに我慢できなくて、後方に行って反論した。

「産卵中ですよ。あそこまでは行っていいはずです。おまけにボランティアに頼まれてあそこにいるのです」

相手は若い女性だ。ボランティアの件は全く信用しなかった。

「どうして産卵中と分かるのですか。ほら動いた」

と顎を突き出した。

数分たってボランティアが帰ってきた。
「いや見張りをありがとう。どうですか」
「カメはずっとじっとしていますよ。産卵は間違いないと思いますが」

ボランティアはカメの後ろに回ってチェックした。もう産卵は終わっていたらしい。ボランティアは砂地を掘り返した。

「このカメは産卵に成功しました。子供たちは前においで」

子供たちは喜んで卵を見た。私たちも見張り役の特権として、しっかりと卵を見た。

真っ白に光るピンポン球のような、数十個の卵だった。掘った穴はすぐに埋められて、カメラを取り出すゆとりはなかった。

後ろの人には卵はチラと見えただけだったろう。

カメは悠然と海に帰っていった。カメと、その移動の跡が月光に照らされていた。

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11時半ボランティアによるカメ見学ツアーは終わった。

「皆さん、今日はご協力をありがとう。ことに無名の2人の日本人はしっかり役を果たしてくれました」

とボランティアは挨拶した。今日は多くのカメが上陸したのだが、産卵が確認されたのはあの1頭だけだったようである。

第3日目。午後の干潮時には、また、リーフエッジ目指して歩いた。

進むにつれてサンゴが多くなり、サンゴを踏まずに砂地を行くのが難しくなり、結局途中で停止した。

それでも、多くの種類のサンゴを見た。本当に久しぶりの鮮やかなサンゴだった。

産卵の観察に適した時間はどんどん夜中にずれている。まず、私だけ8時半に浜に出た。

2頭のカメが上陸しようとしていたが、フラッシュを焚く人に驚かされて、去ってしまった。

中年の夫婦がやってきた。
「カメはいますか」
「いたのですが、フラッシュを使う人のせいで姿を消しましたよ」
「まあひどい、カメを見るために来たのに」

浜をシャーク・ベイに向かって歩いていくと、遠くに上陸しているカメが見えた。2人が離れて見守っている。

私たちも座り込んだ。

「もっと近くに行けませんか」
「穴を掘り始めるまでは、刺激してはいけないのです」

この夫婦はオーストラリア人であるが、今日着いたばかりでカメ観察に詳しくない。行きがかり上、コーチを引き受けることになってしまった。

やがてカメは林に入り、盛んに砂を巻き上げ始めた。そこで、10メートル後方まで近づいた。カメの上げる砂が近くに飛んでくる。

「まあすごい。素晴らしいわ」

奥さんは早くも感激している。しばらくして砂が上がらなくなった。30分待って、3人でそっと後ろから近づいたが、カメはまだ後ろ足を動かしていた。

あわててもとの場所に戻った。浜に座り込んでもう少し待つことにした。
「大晦日の晩。満月。大きなウミガメ。最高だわ」

奥さんの感激はさらに高まってきた。

妻が浜を歩いてきてウォッチングに参加した。お互いの紹介が終わって、4人でカメに近づいた。

今度は、カメはじっとしていて、規則的にゆっくり身体を上下させている。

間違いなく産卵が始まったのだ。4人でただじっとカメを見ていた。

月光に照らされた姿はたしかに神秘的だ。

大晦日の夜でパーティーが盛り上がっているせいか、浜に人が少なく、静かな夜である。

相当に時が経ったので、もう大丈夫だろうと、スポットライトをカメの後部に当てた。

尾部が砂に突き刺さり、モゾモゾと動いていた。卵はやはり見えなかった。

長い時が過ぎた。若い日本人がやってきたので、どうぞ、と招き入れた。
「息子さんですか」

オーストラリア人が聞いてきた。

たしかに妻の次には息子が現れても不思議はない。いや違います、と短く答えたが、カメがいなければ大笑いするところである。

やがてカメは四肢を動かして砂を掛け始めた。産卵は終わったらしい。
「完璧なご指導でしたよ」

とオーストラリア人に感謝された。いつのまにか、ボランティアに取り込まれて、その助手になってしまったのかもしれない。

第4日目。元旦である。午前中にシュノーケル・ツアーに参加した。目的地はボニーという大きなサンゴの根である。

ダイバーと一緒の混成ツアーであった。

無傷のサンゴが広がっていて、眺めが良かった。満潮のころで、サンゴとの距離はやや遠い。

海は穏やかで、ブランクがあってもダイビングに問題なさそうであった。

PADIのカードを持ってこなかったことを少し後悔した。

魚の大物はサメ1匹だけだったが、ツバメウオが目についた。大きなチョウチョウウオのように見える。

夜は再びウミガメ見物。じっと横たわって産卵するウミガメを、また、ひっそりと眺めた。

今夜は日本人の一家4人と一緒だった。海へ帰るカメを皆で見送った。

1月2日。午前中に半潜水艇によるサンゴ礁見物に出かけた。桟橋にギンガメアジが群れているのに驚いた。

目的地はやはりボニー。マダラトビエイが飛び上がったり、2匹で窓の近くを通ったりと活躍してくれた。

全体的にシュノーケルのときより魚がよく見えた。

午後、もう一度シュノーケル・ツアーに参加した。今度はシュノーケル専門のツアーである。目的地はキャニオン。

渓谷のような深い切れ込みがサンゴ礁にできていて、そこを外海側からたどっていくと、サンゴ礁に囲まれた小さな花園のような空間に出た。

顔を上げると、平らなサンゴ礁が一面に広がっていた。

満潮時刻が遅れてきて、産卵見物に最適な時間は深夜となってしまった。

翌日は出発だから、あまり夜更かししてもと、目標を子ガメに変更した。

私たちは子ガメを探して夕暮れの砂浜を歩き、島を一周した。

しかし、1匹の子ガメもいなかった。たしかに孵化は始まっていて、カメの掘った穴の中に、時々、数センチの小穴が開いていた。

とはいっても、孵化の最盛期は1月の後半以後である。

巣穴から出た子ガメが海に達するまで数分というから、よほどたくさん孵化していないと見つけにくいのであろう。

1月3日。午後の船でヘロン島を出発した。しばらくはグレートバリアリーフ沿いの航行である。

海は穏やかで、サンゴ礁の多彩な色も見事だった。鳥が群れている所もあった。黒い鳥は島に巣を作っているアジサシであろうか。

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その日のうちにグラッドストーンからブリスベンに抜け、翌日ブリスベンから帰国した。